第5話 お礼①

 翌日の正午過ぎ、ハロルドとヌレハは連れたって再び王城を訪れていた。

 北の小国ベルフェットのスパイであったと判明した大臣、いや、元大臣が兵士によって捕まったあと、

「あいやゴタゴタして申し訳がないのだが、急ぎでないのなら、恩賞の話は城が落ち着いてから改めてしたいと思う。ついては、明日の正午、また王城に赴いてはくれぬだろうか」

 などと王様直々に頭を下げられてしまっては、また来るの面倒ですと内心で思っていたハロルドたちも「わかりました」と言うほか無い。

 というわけで、別に欲しいものもないまま、言われるがままに再び城門まで歩いてきたのだ。昨日と同じ轍を踏みそうな行動だが、何でも、「その時間の門番にはここに居る兵を派遣するため、顔パスで入れるようにしておく」とのことらしい。


「これはこれはヌレハ殿。お待ちしておりました」


 昨日とは打って変わって好意的な笑顔を向ける門番は、歩み寄ってきたヌレハに向かって深々と頭を下げる。


「……これ、こっから入って良いのかしら?」


 門番が頭を上げてから、ヌレハは大きな門を見上げてそう問う。顔パスと言われたが、当の門は現在閉まっていて入れそうもない。


「現在案内の者がこちらに向かっていますので、少々お待ちください」

「あら、そ」

「……ところで、そちらの方はお付きの者か何かですかな?」


 頷いて納得した様子のヌレハに安心したあと、彼女の後ろに控えるハロルドに訝しげな目線を送った門番は、そんな疑問を投げ掛ける。


「……え?」


 しかし、何故か『ヌレハのお付き』認定をされてしまったハロルドは、ワケもわからずそんな間抜けな声を出すしかなかった。


   ◇ ◇ ◇


「ハロルド様! ヌレハ様! ようこそいらっ」

「ほんっっっとーうに申し訳ないっ!!」

「……しゃいました」


 ずっと門からあまり離れていない城の庭で「花壇に水やり」と銘打ってハロルドたちを待っていたエリザベス。

 彼らが到着したと耳にした瞬間、周囲のストップの声には目もくれず弾けるように城門に向かうと、真っ先に目に入った光景は、城門を見張っていた兵士が大声で謝りながら土下座をしている姿だった。


「……な、何が起きて……?」

「え、エリザベス王女っ!?」

「ああ、エリザベス様。この人が、ハルに向かって『お付きの者ですか?』なんていう質問をしたのよ」

「まあっ! なんてことを!」

「も、もも、申し訳ありませんっ! 何卒……何卒ご容赦をっ……!」

「ははっ。もういいって。別に最初から怒ってねえし、ヌレハもからかうのはその辺にきておけって。てか、お前は何の被害も被ってねえだろうが」


 目を丸くして驚いていたエリザベスにヌレハが簡単な事情説明をすると、とたんにぷりぷりと怒りながら兵士を睨む第二王女。

 気の毒なほどの汗を流し、脳震盪が起こるのではないかと心配になるほど高速で頭を上下させる兵士を「もういいから」と無理矢理立たせたハロルドは、同時に、怒ってもいないくせに怒った振りをして兵士をからかっていたヌレハを諌める。


「あ、ようこそ! ハロルドさ……」


 そのハロルドの声を耳にした瞬間、今度はぱあっと花が咲いたかのような笑顔を浮かべたエリザベスが声の方を向き、その姿を確認すると、とたんに声を詰まらせ、


「…………どなたですか?」


 訝しげに目を細め、奇しくも門番の兵士がしたのと同じ質問を投げ掛け、


「……え?」


 当然、ハロルドもさっきと全く同じ反応をするのだった。


 その後、急に駆け出した王女を追いかけてきた兵士や、最初からハロルドたちの案内を頼まれていた者が城門に到着したとき、ぺこぺこと謝る王女の姿に、さっきのエリザベスと全く同じように固まってしまうのは、至極自然な流れであった。



「うう、まさか、髪を切って髭を剃っただけでここまで印象が変わってしまうとは……」


 命の恩人に対してはたらいた無礼に火照った顔を両手で覆い隠し、しかし真っ赤に染まった耳までは隠しようがなく、そんな言葉を口にするエリザベス。


「しょうがないわよ。昨日のハルは『路地裏の不審者モード』だったもの」

「そんなモードないけどっ!?」


 その言葉に返事をするは、昨日と模様は違うが着物ということは変わり無いヌレハと、髭をきれいに剃り、髪も短く切り揃えられた好青年モードのハロルド。


「まあでも確かに、盗賊に『おっさん』って言われたしな……」


 と、思い出し凹みをするのは、数えて19歳の彼である。


『あの、あの……とても失礼な感想だとはわかっているのですが、その……ハロルド様は、お若かったのですね……』


 先ほど取り乱した王女が漏らしたそんな感想は、彼の記憶に新しい。

 そんな実に自由気ままな彼らは現在王城内部の通路を歩いていた。


「あれ。昨日と同じ場所じゃないんすか?」


 ふとそのとき、昨日通った通路と違う気がして、ハロルドは少し前を歩くエリザベスに問う。


「は、はい。特別な儀式をするワケでもないので、謁見の間を使うほどでもないだろうというお父様の判断です」

「はあ、なるほどですよ。まあ、あそこの部屋に居たら変に力入っちまうから、その方が楽で良いや」

「あ、あの……」

「ん?」


 ようやく顔の火照りが抜けたのか、顔を覆い隠していた両手をどけ、しずしずとした様子でハロルドに話しかけるエリザベス。


「私相手でしたら、無理して敬語を使わなくても大丈夫ですよ? あまり気にしないたちですし、その、敬語だと、何だか距離を感じるので……」


 段々と言葉が尻すぼみになったせいで、最後の方は聞き取れなかったハロルドだが、大切な「敬語を使わなくても大丈夫」という部分はしっかり聞き取れたので、「マジすか?」と嬉しそうな声で返事をする。

 しかし、すぐに顎に手を当て、眉を顰めて、なにがしか考えるような素振りをすると、


「あー、でもなあ……」

「な、何か問題でも……?」

「いや、王女様に対してタメ語使ってたら、思わず王様とかにも飛び出しちゃいそうで怖いなって思いまして」

「お、お父様もあまり気にしないかと……!」

「いやいや、さすがにヤベェですよ。……うん、やっぱりこのままにしときますや」


 ハロルドがそう口にした瞬間、「そ、そうですか……」と小さく呟いて、見るからにしょぼくれるエリザベス。

 あわやこのまま下手くそな敬語で話し続けるのかと諦めた頃、それまで彼らに一瞥すらくれなかったヌレハが「はあ」と大きな溜め息を吐いて、心底気だるげに口を開く。


「……いいんじゃない? エリザベス様の言う通り、普通に喋りなさいな。私なんて最初から敬語使う気皆無だったわよ?」

「あっ! そ、そうですよ! ヌレハ様同様、ハロルド様も敬語など使わず普通に話すべきです!」

「いや、それはヌレハがちょっとおかしいだけ……。まあ、いいか。わかったよ。これでいいかな?」

「はいっ!」


 と、半ば勢いに負けた様子で敬語を抜くことになったハロルドと、心の底から嬉しそうに微笑むエリザベス。

 ころころ表情が変わる子だな、と困ったように笑うハロルドだが、彼女のそういうところは、彼にとって非常に好印象であった。


「可愛らしいじゃない? あんたももう良い歳なんだし、どう?」

「……どう、とは?」

「向こうもどうやら慕ってくれてるみたいだし、押せばイケるかもよ?」

「おい止せよ。相手は王女様だぞ」


 耳元でヌレハからされる下世話な密話に、眉を顰めて不快感を表す。いくらなんでもその手の話題にする相手として不適切すぎるというものだろう。ハロルドはちらと少し前方を嬉しそうに歩くエリザベスを見た後、「それに」と付け加えるように口を開くと、


「住んでる世界が違えよ。……文字通りな」

「……なに、まーだ気にしてんの?」

「まあな。そりゃもちろん、前ほどじゃねえけど」


 そこまでコソコソと話をすると、「あっそ」と返事をしたヌレハがハロルドの側から離れたため、話題は終了した。

 彼らのそんな様子をチラチラと見ていたエリザベスだが、はたと何かに気付いたようで立ち止まり、


「着きました。ここです」


 一つの扉を指し示す。

 コンコンコン、と軽くノックをすると、「うむ、入ってよい」というくぐもった声が扉越しに返ってくる。

 そこで、ハロルドたちを案内するはずが、結局気付いたらエリザベスが案内していたせいでただただ手持ち無沙汰だった兵士たちが、「私たちはここで」と一言断りをいれてから去っていった。


「王女様? ここは?」

「え? ああ。お父様の自室です」

「は?」

「失礼します。ハロルド様とヌレハ様をお連れしました」


 何やら軽い気持ちで投げかけた質問に対する答えが「王の自室」と聞こえた気がしたが、問い質そうとする前にエリザベスは扉を開けて、部屋の中に足を踏み入れてしまう。

 いやいや、流石に王女を護ったとしても、王の自室には招かんだろう。と独りでに合点したハロルドも、聞き間違いと結論付け、その後に続く。


 果たしてそこに広がっていた景色は、普通の部屋であった。

 当然、一般的な宿屋のような部屋よりはかなり、いや物凄く広いわけだが。

 ベッドやソファーなんていうなんてことない家具からすら、隠しきれない高級感が醸され漂っているわけだが。

 しかし、王族が住まう王城なのだから、その程度の『規格外』は想定内である。


 問題は、部屋に一つだけあるデスクに腰掛け、何やら書類に目を通していたらしい王様と、その側に佇む二人の女性と、二人の近衛兵士。

 その「ここは自分の部屋である」と言わんばかりのどっしりとした雰囲気から、嫌でもここが間違いなく王の自室なのだと理解した。


「……本当に王様の部屋じゃねえか」

「? さっきそう言ったではないですか」

「いや、聞き間違いだとばかり……」


 思わず口をついて出た言葉に、心底不思議そうな表情で返事をするエリザベス。

 そんなハロルドたちの様子をにこやかに見つめていた王の側に佇む女性たちが、言葉を発する。


「あらら。結局、エリーがご案内したのね?」

「まあ、そんなことだろうとは思っていましたけどねぇ。普段は目にも留めないくせに、今日になっていきなり『お花の世話をしなければ!』って言い始めるんだものねぇ」

「お、お姉様! お母様も!」


 からかい混じりの彼女らの言葉に、顔を真っ赤に染めながらぷりぷりの反応するエリザベス。

 実に可愛らしいと和みながらも、ハロルドは彼女たちに目を移す。

 エリザベスに声をかけた彼女らは、昨日、元大臣から解放され腰が抜けたエリザベスのもとにいち早く駆けつけた女性たちであった。エリザベスがお母様、お姉様と呼んだことからも、彼女らが王妃、第一王女であることは間違いがなさそうだ。


「呼んでおいて申し訳ないのだが、この書類に目を通すまで少し待っていてほしい。そこのソファーに腰掛けていてくれ。遠慮はするなよ」

「あ、は、はい。大丈夫です。全然」

「お言葉に甘えさせて頂きますわ」


 ぼうっと佇んでいたハロルドに、突然王から言葉がかかる。

 そのせいでしどろもどろに返事をするハロルドと、淡々と返事をするヌレハ。三者三様な返答をした彼らは、王の言葉の通り、示されたソファーに腰掛ける。

 応接用なのか、一つのローテーブルを挟むように二つの三人掛けのソファーが向かい合って設置されている。その一方のソファーに腰を下ろすと、ふんわりと沈み尻を包み込むような、なかなか味わったことのない座り心地に思わず「うおっ」と声が漏れる。反応がいかにも庶民であるが、仕方がない。事実ハロルドは自分の家を持ちすらしない、宿屋暮らしの庶民なのだから。



「あいや済まない。待たせたな」


 それから少しすると、書類に何やら書き込んでからようやく顔を上げた王がそう口にする。

 ちなみにだが、王を除いた王族の三人はその間、なぜか向かいのソファーに腰かけもせず、その斜め後ろに立ったままじいっとハロルドを見つめていた。

 その目はとても穏やかな光を帯びているので、敵対的な視線ではないとわかるのだが、王族から観察されるという初体験のプレッシャーに、ハロルドは冷や汗がだらだらであった。その点、ヌレハはそれでも悠々とした態度なのだから、流石だとハロルドは感心していた。


「い、いえ。滅相もないです」


 漸く気まずい沈黙の時間が終わると内心深く息を吐いたハロルドは、王の言葉にそう返事をする。

 王は立ち上がるとデスクから離れ、なぜかこれまたソファーには座らず、にこにこと優しい笑みを浮かべている王妃の隣に並ぶ。

 もしかして俺らが何するかわからないから、いつでも逃げられるように立ってんのかな、とか、でも王族が立ってて俺らが座ってるのは気まずいから嫌だな、なんてことを思いつつ、ハロルドはかねてより気になっていたことを訊くべく、「あの」と声を出す。


「ちょっと護衛が少なすぎやしませんか? いや、信用してもらえるのは嬉しいんですが……」


 ちろりと部屋を見渡すと、現在部屋に居る兵士は、唯一ある扉を護るようにその傍に控える二人と、王族一家を挟むように二人。計四人である。

 信用されていると言えば聞こえはいいが、この部屋には現在、王含め四人も王族が揃っているのだ。いくらなんでも不用心が過ぎると思ってしまうのも無理からぬ話であった。


「ふむ……。護衛が多く居なければならないことを、お主らはしでかすのか?」

「え? い、いえ。誓ってそんなことはしませんが、いくらなんでも四人っていうのは……」

「大丈夫よ。この部屋だけで、10人は下らない護衛が潜んでるわ」

「は?」


 突然介入してきたヌレハのセリフに、口を開けて呆けるハロルド。王の目も驚愕に見開かれ、王妃など「あらぁ……」と声に出して驚いていた。


「さっきからあらゆる角度で視線が飛んできて、不愉快ったら無いもの。大方、噂の第三師団ね。まあ、姿を隠すのはお上手だけど、気配を隠すのが下手だわ。鋭い人相手なら簡単に見つかるわよ」

「……なるほど。そこは、要訓練といったところかの」


 ヌレハの言葉を否定せず、むしろヌレハからの批評を受け入れる王。それは言外に、「この部屋には現在第三師団の団員が多く潜んでいる」と白状したことに他ならなかった。


「……すみませんが、陛下?」

「む、何だ?」


 そのとき、さっきからむすっとしていたヌレハが眉を顰めて、より一層不愉快そうな表情をつくると、すっと軽く手を挙げて王に発言する。


「陛下の影の中に居る人の殺気を何とかしてくださいますか? 流石に射殺さんばかりに睨まれるのは不愉快ですので。……それに、わざわざ【影潜かげひそみ】なんて高度な魔術を使っているのだから、殺気で位置がバレるようなお間抜けさんじゃ勿体無いわよ?」


 最後の方は王の足元を睨みつけながら、潜んでいるらしい者に向かって、ハロルドが「超上から目線……」と呆れて漏らすほどの言葉をかける。

 そんなヌレハに対して王が返答する前に、辛抱ならなくなったのか、が動いた。

 王の影から音もなく飛び出したは、これまた一切の音を立てずに、目にも留まらぬ速さでヌレハの元に迫る。

 それはさながら、黒く染まった一陣の風。それほどまでにその者は速く、静かに、動いていた。

 その風は、一本の短い刀を右手に握っていた。その刀によってヌレハを無力化すべく、駆ける風は刃をヌレハの首に突き付けようとする。

 しかし、


「なっ……!?」


 キィンという金属がぶつかり合う音が空間に響く。その直後に聞こえたのは、奇襲を防がれ、足を止めた全身黒装束の男の驚愕の声だった。

 握っていた刀を真上に弾かれ、それにつられて右手が高く上がった状態で目を見開き、驚愕を露わにする奇襲者。

 弾かれた衝撃でその手を離れ、高く打ち上げられた刀はそのまま天井に深々と突き刺さり、落ちてこなかった。


「あっぶねえー……」


 凶刃からヌレハを咄嗟に護ったハロルドは、右手を振り上げた姿勢のまま、そんな間の抜けた感想を漏らす。

 彼がしたことといえば、ヌレハの首に迫る刃に向かって右手を振り上げ、中指にはめられたシルバーリングをぶつけ、弾き飛ばすという、単純ではあるが簡単には出来ないであろう離れ業であった。

 黒装束の男も、武器も持たない相手にまさか奇襲を防がれるとは思っていなかったのだろう。そうでなくても、ハロルドの膂力で刃の真横という思わぬ角度からもたらされた衝撃に、刀を握っていた右手は痺れ、そのせいで得物を弾き飛ばされてしまうのは、自然の成り行きであった。

 しかし見事と言うべきは、男の立ち直りであった。彼が思わず呆けたのは一瞬で、即座に我に返るとその場から飛び退き、王を護るように立ちはだかると、左手でもう一本の刀を腰から抜いて構えた。

 その自然な構えから、右手が痺れているから仕方なく左手で、という苦肉の策ではなく、左手一本でも満足に刀を振るえるであろうことが窺い知れた。


 しかし、構えと共に殺気をぶつけられているハロルドはそんなことを気にする様子もなく、きょとんと男を見つめたと思ったら、


「おお、すげえ。ニンジャだ、ニンジャ」


 などと、これまた場違いな感想を漏らすのであった。

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