愛する男、恋するあなた

岸 武丸

本文

「そんなに不機嫌そうにしなくたっていいじゃないか」

 困ったような男の声がテレビの音声を打ち消す。男は卓上の食材をつまみながら目の前の顔を一瞥した。

「別に不機嫌というわけじゃないわ。ただちょっと調子が悪いだけよ」

 彼のワイフは無表情のまま抑揚すら付けずに言い捨てた。誰が見ているわけでもないテレビには面白くもない芸能人のトークが垂れ流されていた。この芸能人は誰だ、見た事がないな。男はふぅと溜息を吐き、食材を口に運んだ。卓上を囲む雰囲気はまるで鉛のように重く、冷たい空気感を彼らに与えた。彼は作業的に食材を口に運び、咀嚼した。


「今日は診断に行くのか」スーツを身に纏った彼が玄関先に向かいながら言うと、「ええ2時ごろに予約してあるわ。最近調子が悪いみたいなので。いってらっしゃいあなた。夕飯までには帰ってくるのよね。」

 追い出されるように彼は家を出て、自宅付近の駅に向かった。

 妻は最近どうもおかしい。昨日のようにやけに無愛想であったり、私を無視したりという頻度があまりにも多い気がするのだ。もともと妻は明るいタイプではないにしろどうも最近はつれない。これは他に男が出来ているに違いない。きっと今日も診断に行くと言っておきながら他の男といちゃついているのだろう。確認しようと思えばできたが彼にはそれを実行する勇気は無かった。

 気がつけば電車を降りて会社に着いていた。「おはよう〇〇君、ん?どうした表情が浮かないぞ?」

「あ、おはようございます部長。別に何でもないですよ。ほら、この笑顔」

 彼は悲痛な表情とは一変して屈託の無い笑顔を部長に見せた。

 とは言え表情を変えただけでは彼の心が晴れるはずもなく、その事を頭から消去しようと思えばできたが、やはり彼にはその勇気は持ち合わせていなかった。

 昼過ぎだろうか、彼のデスク上のPCをカタカタと動かしているとポケットの中の携帯が振動した。電話のようだ。発信元は妻であった。

「〇〇さんの奥様でございますか。」

「ええそうですが」

「こちら△△病院の者ですが、奥様が事故にお逢いになりまして、、、」

「何だって!?今すぐに向かうから!!」

 部長に旨を伝えると彼は会社を飛び出した。ここからそう遠くはないなと思い彼は病院まで飛んで行った。

 息を切らしながら病室に入ると妻がベッドの上で眠っていた。

「大丈夫か!?」駆け寄ると頭には管が繋がれ、皮膚には縫った後があった。少しして初老の医師が来て事情を説明した。

「奥様ならもう大丈夫です。奥様かなりボーッとしていたみたいで、どうやらOSのバージョンが古かったみたいです。脆弱性があってそこから不具合を発生させていたらしいので、今バージョン更新している所です。その縫い跡は車に轢かれた時に皮膚が傷ついてしまったようですね。内部には問題ありませんよ。なにせ皮膚の下はチタン製の外装ですから。」医師は白ひげをさすりながら言った。

「そうだったのか、なんで、それくらい言ってくれてもよかったのに、、、でも無事でよかった。」

「もうそろそろ終わりますよ。」

 医師がそう言うと、少しして、繋がれた管の母体である機械が動作を停止し、管が自動で抜かれた。と同時に妻はゆっくりと目を開けた。

「あなた、、、」

「私だ。無事でよかった。」

「迷惑をかけて、ごめんなさい。」

「いや良いんだ。無事で何よりだ。本当によかった。」

 2人は今にも泣きそうになり、

「愛しているよ。」

「ええ私も。」

 2人は額と額を静かに合わせた。カツン、と金属が触れ合う音が響いた。触れ合う直前には妻のはにかむ顔が見えた気がした。一体いつぶりなのだろうか。彼は泣きそうになったが生憎、涙が出る機能は搭載されていなかった。

 医師は2人の様子を見て笑顔になると静かにその場を立ち去ろうとしたが、ガタがきているのか動く度に動作音が漏れ出している。

 彼は額を通じて妻を感じる事ができたが、そこには冷たさが残るだけであった。

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愛する男、恋するあなた 岸 武丸 @blackstar_5110

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