第10話―ランチ


 最近の麗しき女神亭はこうだ。サイゾーのアドバイスで導入した「ランチ」をお昼に格安で提供している。


 サイゾーの予言通り掲示板を設置してから確かに客足は伸びていた。だが、ヘルディナはもう少し客を増やせないかと、サイゾーに相談してみた。お門違いであることは重々承知していたが、サイゾーはむしろ喜んで引き受けてくれた。


 サイゾー曰く、プロデュース業務、と言う物らしい。


 そのプロデュースとして提案された物が「ランチ」だったのだ。


 初めヘルディナは「大銅貨5枚」という格安に設定された値段に見合う、それなりのメニューを開発したのだが、ことごとくサイゾーにダメ出しされた。


 ヘルディナが文句を言うと、サイゾーはメニュー作りにも協力してくれた。


 結果としてランチメニューは女性が喜ぶ見た目も味も抜群の物を作らされた。


 サイゾーの味と見た目に対する情熱は異常で、何度も何度も作り直させられた。しかし文句を言うだけで無く、味付けや料理法を一緒に模索してくれたのだが、サイゾーの提案するアイディアはことごとく常識を逸脱していた。


 後に名物調味料となる「まよねーず」など、作り方を見て気が狂ってるとしか思えなかった。舌触りが良くなるまで専用の器具でひたすら手早くかき回すのだ。いったいどこの王侯貴族の厨房だというのだ。


 どうやらサイゾーにいい加減という言葉は存在しないらしい。だが、ヘルディナが気がついた時には、自分でも飛び上がるほど美味しいメニューが完成していた。


 問題は、量が少なめといっても変わった材料や香辛料を多用しており、赤字は確実だと言うことだ。普通に考えたら銀貨二枚取ってもおかしくない出来なのだ。


 だがサイゾーは言った。


「良い物を作れば必ず客は来る。そしたら薄利多売。そしてランチは赤字にさえならなきゃいいんだ」


 赤字になるとしか考えられなかったヘルディナは、その言葉の意味をまったく理解出来なかった。


 良い物が出来たら高く売るのが当たり前で、人気が出たら料金を上げるのがこの世界の一般的な考え方だったからだ。だがサイゾーはそれを許さなかった。


 サイゾーの設置した掲示板のおかげで夜の客足は増えた。確かに増えたのだが、サイゾー曰く、昼から客を引き込まなければダメだ。開店時間も11時にする。


 という誰の店だかわからない強引な指導でランチメニューを稼働させた。


 その結果……。


「み! みなさぁん! 押さないでくださぁあい! 並んでくださぁぁい! あああ! 横入りはダメですぅぅう!」


 新しく雇われた店員が必死に入り口に殺到する女性の津波を押しとどめようとしていた。だが並ぶ習慣の無いこの国の住人たちは土石流と化して店内に雪崩れ込もうとしていた。


 彼女たちのお目当ては当然「ランチ」であった。恐ろしく美味くて、驚くほど安い食事。


 ガルドラゴン王国は好景気である。若い女性のほとんどが自立し働きに出ている。それは専業主婦の減少を意味し、外食産業が発達する道筋となった。


 そんな自らの食い扶持を稼ぐ女性たちにとって、お昼を知らせる教会の鐘の音は、いつの日からか戦争の幕開けを知らせる戦いの鐘となっていた。


 昼に休める業種の昼飯は、すでに王国の社会問題になっていたのだ。もちろんまだまだ弁当などの持ち込みが主流だが、足の速い食材も多く、朝に作る手間も馬鹿にならない。そんな理由で昼を外食ですませる労働者はヘルディナが考えている以上に多かったのだ。


 店を夕方に開けていたのは、飲み屋なのだからという一般常識と惰性で決めていた。誰も昼から開いて食事を出してはいけないなどと決めてはいないのだ。あえて言うならギルドの許可が必要だろうが、そんなものは女神亭の開店日から、上納金を飲食ギルドに納めている。文句を言われる筋合いなど一つも無いのだ。むしろ上納金が増えて喜ぶだろう。


 ランチ……この言葉が爆発的に広がったのは言うまでも無いだろう。


 麗しき女神亭を中心に王都74地区はランチ激戦地区となり、昼から人が人を呼ぶ一大地域になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る