第7話―麗しき女神亭
少し過去の話をしよう。
麗しき女神亭。そこは女性専用という、最近王都で流行りだしたスタイルをいち早く取り入れた酒場の一つである。その店を切り盛りするのは長い
人間よりも寿命の短いピョン種族が店を持つのは珍しい事であった。
長く美しいうさ耳で有名なヘルディナはあることで悩んでいた。それは売り上げである。
女性専用酒場を始めたは良いが、場所の問題なのか、営業不足なのか、ヘルディナの実力不足なのか、はたまた想像もつかない別の問題なのか、売り上げが思うように伸びなかった。オーナーはゆっくりやれと言ってくれたが、寿命の短いピョン種族である、そこは一日でも早く大繁盛させてオーナーに恩を返したい。
毎日必死で働くも、どうしても売り上げには繋がらなかった。
そんなある日である、オープン直前の時間に酒場の中を覗き込んでいる男を発見したのは。
王都民の大半は字を読めるが、外から来た商人や、貧困で教育を受けられなかった一部の人間は文字を読めない。時々そういう人間が間違って入ってくるが、入り口で止まっているところを見るとそういうわけでも無さそうだ。
「あんた、なにしてんだい?」
ヘルディナはピョン種族特有の可愛らしい声で注意をする。この声のおかげで怒っても通じないことが多くて困る。
「あ、おはようございます。実はこちらの店長……主人とお話をしたくてまいりました」
丁寧な言葉で一礼する青年は、王都でも珍しい真っ黒な髪をしていた。黒い髪自体は珍しくは無いが、ここまで深く艶のある黒髪というのはさすがに見ないかも知れない。さらに黒目というなかなかなお目にかかれないタイプの人間だった。
「店主は……私だけど、何の用だい?」
普通の町人が着る、安物の服装だったので、てっきり一般人だと思ったが、口調からすぐに商人だと悟った。こういうのは大抵が酒や食材の売り込みである。
「ええ、実は儲け話を持ってきました」
「……」
それは余りにもあんまりな一言であった。前振り一切無しで胸を張って言い切る話では無いだろう。しかも酒場に儲け話。ヘルディナは頭を抱えたくなった。
「悪いけど、ここは商会でもギルドでもないんだ。ただのいち酒場で……」
「実はここ数日、向かいの酒場からこちらを観察させてもらったのですが、少々客足が少ないようですね」
黒髪の青年はヘルディナの言葉に割って入ってきた。彼女はムッとして反射的に言い返す。
「ふん。余計なお世話だよ。そりゃああんたの目が節穴ってだけさ、なにせ穴みたいに真っ黒——」
ヘルディナは思いっきり嫌味を添付してこけ降ろしてやろうとしたが、再び遮られてしまった。
「この酒場の壁一面と、一角にスペースをお借り出来れば、満員御礼のお客様をお約束しましょう」
「……はぁ? 何を馬鹿な事を……」
満員御礼の客……オープン当初の何日かにだけ訪れた、あの活気ある日々を思い出してしまう。だがヘルディナは頭を振って追い出した。そんな非現実な夢はそうそう訪れないのだ。
「もちろんお代をいただきます……と言いたいところなのですが、最初の二ヶ月はこちらが設置料をお支払いしましょう。二ヶ月分で金貨一枚。壁と酒場の隅を貸し出すだけで金貨とお客が手に入るのです。良い取引でしょう?」
「な……なにを馬鹿な……」
やや若めの男性一ヶ月分の給料が、大体金貨1枚と半分の価値だ。正直今の赤字続きのこの酒場にはかなり大きな額である。それを壁を二ヶ月貸すだけでよこすだって? ヘルディナは長い耳をぴくぴくと震えさせた。
「そんな……夢みたいな話があるかい……あんたに何のメリットがあるっていうんだ……」
ヘルディナは強がったつもりだったが、声は震えに震えていた。
「申し遅れました、私はサイゾー。サイゾー・ミズタニと申します。お名前をうかがっても?」
「ふえ?! わ……私はヘルディナ・ピョン・クロンメリンだよ」
「ヘルディナさんですが、良い名前ですね。まさに麗しき女神といった響きです」
「ちょっ?!」
ヘルディナは突然の称賛に狼狽えた。サイゾーからしたら軽い社交辞令だったのだが、どうやらこの世界の一般市民にはあまりこのような文化はまだ普及していないようだった。
顔を真っ赤にしながらヘルディナは怒鳴った。
「あ、あんた! 一体何が目的で……!」
まさか
「もちろん……」
ヘルディナはごくりと唾を飲んで次の言葉を待った。
「もちろん金儲けですよ」
「へ?」
「……ん? 何か変な事を言いましたか?」
「ああ……いや、うん。言ってない。言ってないね」
ほっとしたような、気が抜けたような、誤魔化されたような複雑な気分に陥るヘルディナだった。だがこのおかげで頭が少々冷えた。
「金儲けってどういう事だい? うちはただの酒場だよ。女性専門ってだけで」
「ええ。それこそが金剛石よりも価値のある壁を生み出すのです」
「……言ってることがわからないよ」
「良かったら中でお話させてもらえませんか?」
黒髪の青年、サイゾーは入り口に視線をやった。
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