幕間
幕間―「知的な彼女は泥棒の夢を見る」
マルティナ・ウルサイス17歳が仕事を辞めてきたのは昨日の事だった。最初の話では、力仕事は無く書類仕事が主だと聞いていた。だからマルティナはそこに決めた。
だが勤めて半年もすると、書類仕事は次第に減っていき、1年経つ頃には全く無くなって、毎日酒瓶の詰まった木箱を担がされる毎日になっていた。
何度も抗議したのだが、聞き入れてもらえず、結局昨夜に大げんか。その場で辞めてきたのである。
「早まったかしら……」
現在家族と離れて暮らす彼女は、比較的新しい職業である弁護士を目指していた。
これまであやふやだった王国法が整備されたことによって、きちんとした裁判が行われるようになってきた。
もっともいままで通り、裁判を起こすのは大半が貴族ではあったのだが。一般市民は相変わらず、冒険者ギルドに依頼という形でトラブルを解決している。冒険者ギルド自体が国からある程度の裁量権を与えられている事に起因している。
本を読むのが好きで、身体を動かすことが苦手なマルティナは、この新しい制度に興味を持ち、弁護士という職業に興味を持った。
だが、調べれば調べるほど、その壁は高いことを知る。
弁護士になるために必要な本はどれも目玉が飛び出るほど高価で、未だに一冊も手に入れていない。最近普及してきた英雄譚などは木版印刷のおかげで安くなっていて、比較的手に入れやすくなっているのだが……。
勉強が出来てお金も稼げる仕事はないかしら。
マルティナがそんな都合の良い事を考えながらとぼとぼと歩いていると、唐突に声を掛けられた。
「よう! マルちゃん! もう酒の納品かい?!」
見れば74区画でも最大級の面積を誇る宿屋兼酒場の「海が恋しいアホウドリ亭」の主人、モリアーノ・ビゴットだった。前職の顧客の一人だった。
「いえ、実は昨日退職しまして……」
「ああ、前から不満そうだったからなぁ」
「顔に出てましたか?」
「ははは! これでも長いこと人を見てきたからな! お前さんくらい無表情でもなんとなくわかるんだよ!」
「そうですか……」
マルティナはさらに凹む。今まであまり他人に内心を知られないように過ごしてきたからだ。
「それで、次の仕事は決まってるのか?」
「いえ、まったく」
「力仕事で良いなら、家で働くか? ウェイトレスが欲しいところだったんだ」
「有り難いお申し出ですが、遠慮しておきます。次は文字に関われる仕事を探していますから」
「それは……難しいなぁ……そうだ! 一杯奢るから何か飲んでいくと良い!」
それは思いもしない言葉だった。あまり他人と関わらないように生きてきたせいか、妙にこそばゆい。
「では、お言葉に甘えて一杯だけ……」
「おう! 今ちょっと開店前で色々と騒がしいんだが、そこは気にしないでくれ! で、何を飲む?」
「……出来るだけ強いのをお願いします」
「うはは! さすが酒屋勤めだったことはあるな! 中で待っててくれ!」
酒屋勤めだったのは関係無いと思いつつもありがたくいただくことにした。彼女、幼く見えてザルなのだ。
裏から大回りで表口から、店内に入る。そう言えば店内に入ったことは無かったなと、マルティナはじっくりと店の中を見渡した。
元々は商会の建物で、商談用のカウンターがいくつも並ぶ不思議な作りだった。
「……?」
ふと見ると、壁の一面を覆うような巨大な掲示板がそこに設置されていた。絵画を飾る額縁のような拵えで、妙に目立つようになっていた。
掲示板のてっぺんには飾り文字でこうあった。
出会い掲示板【ファインド・ラブ】
マルティナは首を傾げが、興味を無くしてどこか適当に座ろうとして、それを見つけた。いや、見つけてしまった。
王国法四法全書。
マルティナは無造作にテーブルに置かれたそれに目を丸くして、釘付けになってしまった。
四法全書は王国憲法・民法・商法・刑法の四つが書かれた書物だ。弁護士にとって必須であるのに、あまりにも高価で、いつも本屋で指を咥えて背表紙を見つめていたシロモノだ。
欲しい!
マルティナは全ての思考がすっ飛び、ふらふらとその分厚い稀覯本と言っても良い豪華な本へ近づいていく。
これを持って逃げてしまえば……。
震える手で、あこがれの書籍を手に取って……。
「よう、その本に興味があるのか?」
「ひやああああああああ!!」
マルティナは生まれて初めて肺の奥から全ての空気を吐き出す勢いで悲鳴を上げた。それはもう自分自身がびっくりするほどの大声で。
「うぉおおぅ! 悪い悪い。そんなに驚いたか?」
「ひ……ふ……」
「出しっ放しで悪かったな。さっきまで読んでたもんで。あ、片付けの邪魔だったか? 新しいウェイトレス? おやっさん、手が足りないって言ってたからなぁ」
「は……ふ……」
マルティナは冒険者ギルドか警備兵に突き出されると思っていたが、どうやらこの黒髪の青年、寝ぼけているのか、彼女が持ち去ろうとしていたとはまったく思ってないようだった。
「ち……違います」
「ん? あ、そう。もしかして読みたかった?」
マルティナは今彼女が犯そうとしていた罪も忘れて、首を激しく縦に振った。
「でもそれ、法律の本だぜ? 最近流行の恋愛譚とかじゃねーよ?」
「いえ、私はそれが……」
「その娘は弁護士を目指してるんだよ」
口を挟んできたのは酒場の店主、モリアーノだった。
「おやっさん?」
彼は手にしていた三つの飲み物をテーブルに並べて、席に着いた。
「休憩にしようぜ?」
「ん? もちろん奢りだよな?」
「はっ! おかげで最近は儲けさせてもらってるからな!」
「だったらもうちょっと感謝しろよ」
「ふん。お前こそな! なんたって、とびきりの職員を紹介してやるんだ」
「あん?」
「お前、書類仕事が得意な従業員を探してただろ?」
「ああ、みんな読み書きは出来ても、スピードがなぁ……」
「そこのマルちゃんはちょっと違うぜ? 酒の納品書を書くのとか、一瞬だからな」
「ほう?」
黒髪の青年が目つきを鋭くしてマルティナをねぶるように見つめる。彼女は少しだけ身を引いた。
「なああんた、良かったらうちで働いて見ないか? 給料は……かなり安いんだが、力仕事は少なくて、ほとんど書類仕事だ」
黒髪の青年に嘘はない。だが、その書類仕事が生半可な仕事量で無いことを言わなかった。
「それは……お給金次第ですね……」
「こんなもんかな」
青年はなにかの裏紙にさらさらと数字を書いて見せた。
「それは……さすがに……」
少なすぎる。と続けようとしたマルティナの言葉を青年が遮った。
「その代わりにその本を読み放題と、一日に30分法律の勉強に当てていいぜ?」
「え?」
マルティナは時間が止まったかのように身体を硬直させる。
「それって……」
「弁護士を目指してるんだろ? わかるよ、その本、無茶苦茶高いもんな。他にも法律関係の本を購入したら好きに読んで良いぜ?」
青年はさらっと言ったが、それはとんでもない条件である。だが、マルティナは根本的に大切な事を思い出した。
「あの、何をする仕事なんですか? 酒場……では無いですよね?」
マルティナの疑問に、青年はニヤリと笑った。
「それはな……」
■
青年の語る出会いの商売。
それは恐ろしいほどまでに考え込まれたシステムであった。おそらくよほど頭の良い人間で無ければこれが商売として成り立つかどうか判別すら出来ないであろう。
そのくせ王国法に引っかからないようにする抜け目の無さ。
マルティナは数日悩んだ末に、商会の従業員になった。
確かに書類仕事が主ではあったが……、その書類仕事自体が肉体労働と言うほどの仕事量だった。
彼女が働き出して数ヶ月で見る間に規模を広げていく商会。彼女は間違っていなかった。
「遅いぞコニー! そんなんじゃ次便が来ちまう! ああ畜生、俺がやるからお前は受付!」
「ふえええい、親方ぁぁああ……」
「親方じゃねぇってんだろ! ……おっとマルティナ、こっちの案件だが、リーガルチェック頼む!」
「はい。任せてください」
書類を受け取るとき、
サイゾーは平静を装っているが、目がわずかに泳いでいるのを見逃さなかった。
一見、経験豊富そうな青年をからかうのが彼女の最近の楽しみの一つである。あとコニーいじめ。
「コニー君、また説明を間違えないでくださいね? とても迷惑ですから」
「ふえええ……マルティナさーん……」
マルティナ・ウルサイス。
今日も元気に働いていた。
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