第11話―はじめてのはじめて


 あれから数日が経った。


 マッシュはあの晩の事を今も忘れられなかった。


 一夜限りだったとはいえ、素晴らしい体験が出来たからだ。


 ただ、言葉に出来ないもやもやとした感情が胸中に渦巻いていたのも事実だ。


 彼は今日、完全休養日だった。


 マッシュは無意識に「海が恋しいアホウドリ亭」へと向かっていた。自分でも理由は良くわからなかった。


 相変わらず酒場は盛況だった。男たちが掲示板の前にたむろし、黒板に新しいタイトルが並べられると、何人もの男たちがそそくさと小ブースへと足を運ぶ。


 ほとんど無意識に黒板に目を滑らした。探していた名前がなく、ほっとしたような、寂しいような複雑な気持ちになる。


 他の書き込みを見る気にもなれず、離れた席に座る。掲示板から一番遠い席は人気が無いようだった。


 旅の商人たちは好奇心旺盛だ、参加せずとも商売の種になりそうなものであれば、なんだって貪欲に食らいつく。会員以外の旅商人たちも目を皿にして掲示板と人の動きを観察していた。


 マッシュは適当に酒とつまみを注文すると、無言でそれを摘まんでいた。


 しばらくすると掲示板前の集団から一人の男がマッシュに目をやってニヤリと笑た。


 気色の悪い奴だと思っていたら、なぜかその男はマッシュと同じテーブルに腰を掛けた。わざわざ自分の酒を持ってだ。


「よう、色男、また来るとは思わなかったぜ」


 言っている意味がわからない。


「何時間待ちぼうけだったよ? 最近はひでぇ遊びが流行ってやがる」


「……なんだって?」


「おや? おとぼけか? いいから気にすんなって、そんな失敗、ここの男共なら1回2回は経験済みってもんよ。俺はこの掲示板が出来てかなり初期に登録したからよ、色んな事を知ってるぜ? 良かったら相談に乗ってやるよ」


 そう言って男はマッシュのつまみに手を伸ばしてきた。


 一瞬その手をひっぱたいてやろうと思ったが、男にとってこれが情報料と言うことだろう。


 マッシュはため息交じりに皿をテーブルの中央へ押しやった。


「へへへ……。それで何時間待ってから、すっぽかされたと気づいた?」


「その意味がわからん」


「あ? それじゃあ会えたのか……。なるほど、商売女の方だったか。それならまぁ当たりの方だな。良かったらどんな女だったか教えてくれよ。具合とか見た目とかよ。せっかくだから情報共有と——」


 男は最後に「いこうぜ?」と言おうとしたが、それは敵わなかった。


「貴様! それはどういう意味だ! えりかさんを……商売女だっていうのか?!」


 マッシュは立ち上がって男の襟首をつかみ上げていた。仮にも警備兵である。一般人くらいは楽に持ち上げてしまう。


「うぐっ?! ちょっ! くるし……なに……ムキになって……げふぉ! はなせ……頼む……!」


 途端に酒場中の注目が集まり、酔っ払い共のヤジが飛ぶ。


 マッシュは少しだけ冷静になって手を緩めた。だが離すまでは出来なかった。


「げふぉ! げふぉ! この馬鹿力野郎め! この掲示板じゃ普通なんだよ! 悪戯! 冷やかし! ドタキャン! ……そして売春もな!」


「違う! あれは……!」


「当ててやろうか? 待ち合わせ場所は……聖人像前か、冒険者ギルド向かいの喫茶店前のどっちかだ。そんで要求されたのは大銀貨2枚だったろ?! 相場よりだいぶ安いからな! 思わず買っちまったわけだ!」


「貴様ぁ!」


 マッシュが男を床に放り出す。ギリギリで投げ飛ばさないだけの理性は残っていた。


「名前がな、癖があってなんとなくわかるのよ! きっと誰かが仕切ってるんだろうけど、ここのシステムを上手く利用したもんさ! あんたも恥じることはねえっての! それよりえりか・・・だったか? あれ以来書き込みがねえんだよ。これからえりかを買う奴らの為に……」


「違う……」


 マッシュは喉の奥から声を絞り出した。


「違うんだ……」


「へっ……何が違うっていうんだ?」


「彼女は……初めて・・・だったんだぞ!!!!」


 マッシュの叫びに酒場中が静まりかえった。

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