第10話―はじめての一夜
マッシュの身体に雷撃が落ちたような衝撃が走った。
どういうことだ?! どういう事なんだ?!
必死に考えるがまったく状況を理解出来ない。
えりかは休もうと言った。お小遣いが欲しいといった。そして彼女が指をさしたのは連れ込み宿だった。
「……やっふぁり……わらしなんかじゃ……いやれすよね……」
「それは……いや、もちろん嫌とかではなく……えりかさんはあの宿がどのような……」
マッシュの言葉を遮って、彼女はピースした。いや違う、指を二本立てたのだ。まだ腕を絡めているのでマッシュの位置からだと俯いている彼女の表情は覗えない。
「だ……大銀貨……2枚で……わ……私と……た、楽しみません……か?」
それはつまり……。ようやくマッシュは合点がいった気がする。
「私……本当に……お金が……必要なんです。だから……」
顔を上げた彼女の瞳は、波打って波紋状に光を反射していた気がする。
「……わかった。もう何も言わないで良い」
マッシュは少しだけ、ほんの少しだけ乱暴に彼女を引っ張るように歩き出した。
大銀貨2枚。
これは彼女の
マッシュは警備兵なのでこの辺りの裏事情にもそれなりに詳しい。一般的に74区画周辺の
それが2枚と言うことは裏ギルドによる組織売春とは違うものだろう。
少なくともマッシュはそう思いたかった。
「えりかさん、せっかくですから楽しみましょう」
「あの……その、やさしく……してくだひゃい……」
まだ少し酔いが残っているようだった。
それならそれで構わない。酒は最高の媚薬と言うでは無いか。
こうしてマッシュとえりかは連れ込み宿へと消えていった。
■
深夜。
海が恋しいアホウドリ亭の裏。
この時間になれば人の出入りなど無いのだが、影に紛れるように二つの影が馬屋をすり抜けて、荷下ろし場にある裏口をノックした。
「わたしだよ、開けておくれ」
一度のぞき窓から黒い瞳が外を窺った。すぐに扉が開く。
「よっ。お疲れさん」
黒髪黒目という、ちょっと珍しい容姿の青年が軽い口調で言った。
「今お茶を入れるからそこに座っててくれ」
青年はそう言うと、自らの手でお茶を入れに行く。ここの責任者だというのに相変わらずだと、女は思った。
現在の時刻は夜10時半を過ぎた所だ。アホウドリ亭はあと30分で閉まるので、すでに閉店清掃モードに入っている。
アホウドリ亭を間借りしているこの出会い掲示板【ファインド・ラブ】は朝10時から夜10時までの営業なので、こちらはとっくに店じまい済みだ。
「姉さんはマメだな。今日も後輩の面倒か」
「ふん。ナワバリを荒らされちゃたまらないだけさ。ほら
「……はい」
答えたのはえりかだった。
「きょうは……マッシュさんと……その」
「ああ、内容を説明しろって言ってるんじゃねぇって。いくらになった? トラブルは起きなかったか?」
「いえ……マッシュさんは……良い人でした」
「良い人……ね」
黒髪の青年はイマイチ何を考えているのかわからない表情で片眉だけをひょいと持ち上げた。
「売上げは……アドバイスどおり、大銀貨2枚です」
「上等上等。本当はあんたほどの上玉ならもうちょい吹っかけられるんだけど、あんたの性格的にねぇ……」
「いえ、十分です」
「それじゃあ上がりの中から2割をこの兄さんに渡すんだよ」
青年が銀貨を2枚受け取った。
「まいどっ。これからもご贔屓にっと」
青年は相変わらずマメな事に、分厚いファイルからエリーゼのお相手やメールの
書き物ばかりで見ているだけで頭痛がする。
女はこめかみを押さえた。
「あんたん所は上がりの2割ですむから助かるよ。闇ギルドの奴ら、上がりの半分持っていくからね、その上無茶ばかり言いやがる。たまったもんじゃないよ」
女はケタケタと笑い、青年も釣られて笑った。
「なんかあったらすぐ言ってくれ、契約している冒険者ギルドのメンバーをすぐに向かわせるからな」
「ああ、頼りにしてるよ……さて、帰ろうかねエリーゼ」
「……はい」
そうして二人は再び闇に消えていった。
残された黒髪の青年。サイゾーはあくび混じりに手元のファイルの整理を始めた。
ある新聞社の協力で、ドワーフとエルフに無理を言って作ってもらった現代風のファイルシステムである。
そのファイルの表紙にはこう書かれていた。
登録売春婦リスト。
この王国において売春は違法でもなんでもないから出来る商売だった。
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