第11話 次、帰ったら
次、帰ったら。それは随分早くにきた。
「おまえんち、お身請けがでるのかい」
大黒屋の若旦那の哲治郎は、かなりの堅物な人物に見えるが、昔は吉原で相当やんちゃをしていたそうで、新吉の父である信五郎とはその頃の縁で、こうして桃源楼の衣装を整える仕事をしている。
新吉も幼い頃から、まるで父が我がことのように哲治郎の武勇伝を話すので、どんな鬼のような男かと思っていた。
しかし実際会った哲治郎は、体格こそ大きくて鬼のようだが、眉目秀麗、容姿端麗。
数々の遊女と浮き名を流したと言いながら、実際妻にした女性は、容姿こそ実家の野菊、きよ菊花魁よりはるかに美しいが、性格、性質はどこかの大きな御家中のお姫様かと思うほどにわがまま放題なおりさ。だが哲治郎はそんなりさ一筋、浮気なんて考えも付かないようで、いまでは父が言うかつての哲治郎の武勇伝は、眉唾ではないかと思っている。
「へえ。そのはずでしたが、約束の日に引き取りにきませんでした」
新吉が、素直にそう伝える。
「ほお?」
新吉の言葉に、哲治郎が驚く。
「だが、お前の実家からはお身請けの遊女の衣装を整えてやってくれと、注文が来ているんだがな」
「おや。決まったんですか」
今度は新吉の方が驚いた。
「親父には内緒ですがね。その男、花魁と部屋持ちと、二股かけやがったんで、ふっかけてやったんです」
「花魁と部屋持ち? 他の郭の遊女と掛け持ちする男の話しはいくらでも聞くが、同じ郭の遊女をかい。それはまた、随分と悪食な客だな」
哲治郎は堅物だが、この類の話は大好きだ。だから、思わず足を崩して新吉の話に食いついた。
「で、いくらふっかけた」
「へえ。二百両」
新吉が指を二本出すと、哲治郎が少し、ぽかんとする。
「花魁を売ったのかい」
「いいえ。売るって、また、人聞きの悪い……。身請け料です。今まで遊女の面倒を見てきたんだ。郭が受け取る正当な報酬ですよ。あのおきよなら、ふっかけずとも相手の方から五百は支払ってくるでしょう。お身請けに望まれたのは、部屋持ちの方です」
新吉がまじめな顔で答えると、哲治郎が大口を開けて笑った。
「部屋持ちに二百とは、また、上手にふっかけたんだな」
が、おきよという名前に首をかしげる。
「お前んち、今は花魁はきよ菊だけかい?」
そう聞かれて、新吉が頷いた。
「へえ。野菊花魁が今年、めでたく年季が明けましたので」
「だが、さち香は二股かけられるような馬鹿な女じゃねえだろう」
哲治郎が、足を崩したまま、手で口元を覆う。何か深く考え込むときの、哲治郎の癖だ。
「おきよをご存じで?」
哲治郎がきよ菊を新造時代の名前である「さち香」と呼んだのを、新吉は聞き逃さない。
「ご存じもなにも……」
言いかけて、哲治郎は新吉の顔をちらっと見る。
「昔、やんちゃをしていた頃に何回かお前の親父様には酒の相手をして貰っててな。野菊ときよ菊がよく酌をしてくれたんだよ。あの頃はそう、おきよはまだ新造で……確か、さち香とか言ったろう」
「それはまた、うちの花魁ふたりを侍らせてとは、随分と贅沢なお酒の席で」
新吉が呆れたように笑った。
「その徳田様ってな、どんなお武家様だい」
「へえ。はる菜に聞く限りでは、浜松町のお旗本の跡取り息子とか。年の頃も体格も、若旦那と同じくらいで、まあ……確かに見た目は良い男ですよ。ですがねえ。どうもいまひとつ、精気がみえねえというか、うだつの上がらねえというか。奥方はアレで満足できてらっしゃるんですかねえ」
本人は実家の家業をあれほど嫌っている割には、いかにも郭の跡取り息子らしい人物像の表現の仕方に、哲治郎は思わずくすっと笑ってしまう。
「浜松町の旗本の、徳田様? 俺と同い年くらいで、身体も俺並。ふうん」
哲治郎が首をかしげた。袖の中に手を入れ、腕組みをする。
「ご存じで?」
新吉に聞かれて、哲治郎は首を振った。
「いや。俺は武家とはいっても同心だったからな。お旗本の知り合いなんざ、南北のお奉行様くらいなもんだ。しかし、旗本とはいえ、三十路近くにもなって家督も継いでないようなお坊ちゃまが、妾をご所望とは。しかも、部屋持ちに二百両もねえ……」
哲治郎はもう一度首をかしげる。
「まあ、相手が納得したんだったら良いんだろうよ。お前、ちょっと実家に帰って、その部屋持ちにこの着物渡してきてやってくれ。りさが見立てた」
哲治郎は、新吉に小さな
「へい。承知しました」
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