第4話 幼なじみ
翌日、新吉は約束通りきよ菊花魁が注文した衣装を持って若旦那の龍之介と桃源楼に現れた。
「新さん」
ちょうど用事も済んで帰る支度をしていた新吉を、はる菜が呼び止める。振り向くのも嫌そうに、新吉が眉をひそめた。
「なんか、用?」
「別に…用がなきゃ呼んじゃいけないの?」
「まあ、普通はそうだろう」
新吉は不機嫌そうに、信五郎と談笑している若旦那を見つめる。
「昨日の話だけど。なんで、ここ継がないなんて言ったのよ。親父様、おかんむりよ」
「お前には関係ないだろう。俺がここを継ぐにしたって、その頃にはお前はもう年季もあけて、どこかの旦那様に身請けされて行ったあとだ」
新吉の言葉に、はる菜が哀しげな顔でうつむいた。
「それとも、遣手としてここに残るかい? それはそれで、地獄だろうよ」
新吉は手に風呂敷の荷物を持ち、立ち上がる。
「遊郭なんてものは、女も地獄だが、それを使う男も地獄。極楽にいけるのは、一時いくらで女を買う、お金持ちの旦那様だけ。ここに産まれたってだけで、一生ここに縛り付けられるなんざ、まっぴらごめんだね」
抑揚のない声。その表情からは感情をうかがい知ることは出来ず、はる菜は新吉の顔を覗き込む。
「……新さん。大黒屋に、好いた子でもいるんじゃないの?」
突然図星を指されて、新吉は顔をぼっと赤らめた。
「まあ、誰よ! どんな子!?」
「誰でも良いだろ、おめえに関係ねえよ」
「町娘かお武家の姫様か。どっちにしても美人には違いないね。新さん、面食いだからね」
調子に乗ったはる菜が、新吉の腕を掴んだ。新吉は目をそらすが、こうなったはる菜に敵うわけがないと、半ば諦めて口を開く。
「……俺と同い年……十六歳の……テツジのダンナの妹御で……」
「おお? お店のご主人の妹さんを好きになるなんて。しかも、大黒屋のテツジの若旦那って言ったら、元はお武家様じゃなかったっけ? ってことは、新さんの恋のお相手は、お武家のお姫様。新さん、相変わらず面倒くさいおなごがお好きだねえ」
はる菜はケタケタと笑った。
「うるせえ」
新吉は、鼻の頭に皺を寄せながら、ふすまの向こうにちらりと見える龍之介の、縦にばかり大きな身体をもう一度、見つめる。
「なに、あの人が恋敵か」
新吉に頬をくっつけるようにして、はる菜は「大黒屋のもう一人の若旦那」の、背ばっかり高い、ひょろ長い身体を食い入るように見つめた。
どことなくキツネかカマキリのような印象を受ける細面で、目がぎょろりと大きい。髷はきちんと結っているのだが、月代は剃っていない。頭のてっぺんはふさふさとしているが、その髪の毛は栗の外皮のように茶色く見えた。高い鼻と大きな口元が、気が強くて野心家な一面を色濃く出している。透き通るように白い頬に浮かぶそばかすに愛嬌があって、一般的に見て嫌われる顔立ちではないのだろうが、全体的に大作りで、はる菜好みの顔ではない。だが、男はあれくらい性格が表面にでていた方がおもしろいと、はる菜は思った。
そして、もう一度新吉の顔を見つめる。こちらはひな祭りのお内裏様のような、穏やかで優しい顔をしている。きゅるんとした子鹿のような瞳の幼さの残る顔立ちで、郭の主にはとんと向かない。
「あー。顔は……新さんの方が好きだなあ。でもあの人の方が、落ち着いたって言うか……大人の魅力よねえ」
もう一度、はる菜は信五郎と話し込む龍之介を見つめる。先ほどは顔だけに気が行ったが、じっくり見てみると、大店の若旦那らしく、座り方から話し方、指先の動かしかたひとつに至るまで、落ち着いた気品が感じられる。その所作のあまりの美しさに、はる菜は思わず溜息をついた。
「うっせえ、知ってら。そんなことは」
新吉ははる菜を押し返すと、乱暴に立ち上がった。
「はる菜」
遣手の声がして、はる菜はそちらに顔を向けた。
「徳田様が」
小さな声で、ふすまの向こうから遣手がはる菜に声をかける。はる菜の顔が、ぱっと輝いた。
「……ぬしさまかい」
新吉に訊ねられ、はる菜が恥ずかしそうに頷く。新吉の視線の先には、はる菜の小指に小さく絡む、細い髪。
「その年で」
新吉が少しの憐れみを込めて、呟く。
「叶わない恋よりマシでしょ」
はる菜は「べえ」と、新吉に舌を出してみせ、ぱたぱたと呼ばれた部屋に走って行った。そんなはる菜の背中に、新吉も「べえ」と、舌を出した。
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