走馬灯列車

榛野 篝

第壱輪 輪

そこには制服を着た女の子―女子高校生だろうか。一人が立っていた。

どのくらい前から居たのかは彼女にもわからない。今来たのか、ずっと前から立っているのか。

ここに至るまでの経緯だけが記憶からすっかり失くなっている。

彼女は今立っている場所の周辺を歩き回ってみることにした。

どうやら、ここは駅らしい。

駅名が書いてある看板があり、その看板によればこの駅は「境」駅。先は「彼岸ひがん」駅、前は「此岸しがん」駅だ。

きっと何かの撮影現場か何かなのだろう。

役者やスタッフが来るまでベンチに腰かけていようと後ろを向くと、暗闇の中幽かに光が見えた。

その光は横に二つ連なっており、だんだんと近づいてくるのがわかる。

近づくにつれて、それが何なのかはっきりと見えた。

―電車。いや、汽車だ。

それは古い映画で良く見るSLだった。

二両編成の汽車は彼女の前で停車した。

「どうぞ、お乗りください。」

車内から出てきたのは、銀色の髪に空色の瞳という現実離れした容姿の青年だった。その青年は軍服のような制服に外套を羽織り、右手には淡い光を放つカンテラ、左手には厚い本がある。年は彼女とあまり変わらないようだ。

その恰好からするに、この汽車の車掌なのだろう。

「あの、でも私、お金とか持ってないし…」

何故か彼女の手には何もなく、鞄もどこに置き忘れたか見当たらない。

「良いのです。この列車は貴女の為にここまで来たのですよ。」

彼女は車掌に促されるまま、列車に乗り込んだ。

車内はボックス席になっており、その一つに彼女は座った。

他に乗客はいないようだ。

「本日は走馬灯列車をご利用頂きまして、誠にありがとうございます。」

車掌は深々とお辞儀をした。それにつられて彼女も頭を下げる。

列車は「此岸」駅の方向へと走り出した。

「この列車は此岸直通でございます。長旅をどうぞ、お楽しみください。」

車掌はそう言うと彼女の前から立ち去ろうとした。

「ちょっと待って!」

彼女は車掌を呼び止めた。

「何かございましたか?」

「ここは何処なの?あなたは誰?」

車掌は再び彼女の前に歩み寄った。

「…自覚されてなかったのですか?」

「自覚って…何を?」

「貴女はもう亡くなっています。」

車掌はきっぱりと言い切った。そこに慈悲は無い。

「え…私が死んだってそんな…嘘よ。」

彼女は狼狽した。

「だって私ここにいるじゃない!」

半狂乱になりながら座席から立ち上がった。

「何も言わずに列車に乗り込まれたので自覚なさっている方かと…説明が遅れてしまい、申し訳ありません。」

「私は死んだなら何故ここにいるの?ここは何なの?あなたは誰なの?」

「私はこの列車の車掌、ルイと申します。この列車は〈走馬灯列車〉といい、強い未練のある亡者の皆様を彼岸へ逝く前に一度だけ此岸にお送りする列車でございます。」

 車掌は端的にわかりやすく解説していく。

「彼岸と此岸はご存知ですか?」

 彼女は黙って首を振った。

「彼岸というのは黄泉の国、即ち〈あの世〉のこと、対して此岸とは現世、貴女がいた〈この世〉のことでございます。」

「私は死んだからこれから彼岸に逝くのね。」

「そのとおりです。ご理解いただけて何よりです。」

 彼女は諦めたのか、状況を理解したのか大人しく座席に腰かけた。

「此岸に戻れるのは一度、四半刻のみです。後悔をされないよう、未練を断ち切れるよう、人生を振り返って頂きます。」

「振り返るって言われても…」

「そのためにこの〈走馬灯列車〉をご利用いただくのですよ。」

 車掌は柔らかく微笑んだ。

「それでは旅のひと時をお楽しみください。」

 軽く一礼をして、車掌は彼女の前から去った。


◇ ◇ ◇


『おまえ、良く頑張った!見ろ!可愛い女の子だ!』

『ああ…私たちの子供がやっと…名前は美優にしましょう。』


『おかあさん、今日のご飯なあに?』

『今日は美優の好きなハンバーグよ。』

『わあい!やったあ!』


『おとうさん!お帰りなさい!』

『ああ、ただいま、美優。今日もいい子にしてたか?』

『うん!おかあさんのお手伝いたくさんやったよ!ね、おかあさん!』

『そうね。今日も美優は良い子だったわね。』

『よし!いい子にしてた美優にすりすりしちゃうぞー!』

『きゃー!おとうさんのおひげくすぐったい!』


『小学校入学おめでとう、美優』

『あたしもうお姉ちゃんになったもん!お勉強頑張る!』


『美優?どうして泣いてるの?』

『今日、お友達とけんかしちゃったの…』

『そっか。明日ごめんねしようね。』

『うん…』


『美優、十歳の誕生日おめでとう。』

『早いものね。あっという間に大きくなっちゃって。』

『すぐ中学生のお姉さんになるもん!』


『私の将来の夢は、学校の先生になることです。』


『明日から修学旅行だよ、お母さん。』

『全部準備できたの?』

『まだ全然終わってない!』

『何してるの!早くやりなさい!』


『卒業おめでとう。』

『あっという間だったね。一か月後からは中学生か…』


『ねえねえ、今度入って来た一年生のあの子、かっこよくない?』

『あんたはいつもそうね~。親友の私でも驚くくらいだわ。』


『先輩、俺ずっと先輩の事が…』


『美優、おまえももう受験生だろう。恋愛なんかしてないで勉強しなさい。』

『お父さんたちになにがわかるの?話しかけないで!』


『お父さん、ごめん…』

『いや、俺も言い過ぎた。悪かった。』


『やった!高校受かったよ!』

『良く頑張ったね、美優。』


『あーあ、部活で遅くなっちゃった。早く帰――



ああ、そうだ。私は信号を良く見ずに渡ってしまったんだ。

将来の夢を叶えることもできず、あの子に別れを告げることもできず。

私は、死んでしまったんだ。


◇ ◇ ◇

「此岸駅でございます。」

 くぐもった声の車内アナウンスは彼女を夢から目覚めさせた。

「会いたい人ややりたいことは見つかりましたか?」

 車掌は再び彼女の前にやってきた。

「見つけたわ。私は両親とあの子に会いたい。感謝と別れを告げたいの。」

「わかりました。駅の出口の外は貴女の望んだ場所です。実体を保てるのは四半刻。時間が過ぎれば貴女は強制的にここまで戻ってきます。」

 こう言った後、車掌は指を口に当てて小声で言った。

「―というのは仕事なので言わせていただいただけです。」

 上がうるさいもので、と苦笑する。

「どうせ連れ戻されるのですから、ぎりぎりまで大切な人のところにいてください。四半刻きっちり。時間までに戻ろうとしないで。盆には毎年帰ることはできますが、話せるのはこれが最後です。悔いを残さないよういってらっしゃいませ。」

 彼女は走りだした。


 早く会いたい。

「ありがとう」って、「ごめんね」って言いたい。


 駅舎から出るとそこは彼氏の家の前だった。

 チャイムを鳴らす。

「はい…先輩?あれ、亡くなったって…」

 ドアを開けたのはあの子だった。

「うん。ごめんね。死んじゃったの。でも…どうしても会いたくて…!」

 少年は彼女の背に腕をまわす。

「大好きだったよ。ほんとに。幸せになって…」

「俺も先輩大好きです。絶対忘れないから。」

 彼女は少年を押し、離れる。

「もういかなきゃ。さよなら。ありがとう。」

 零れそうになる涙を隠そうと顔を背け、家の方面へと走る。

 先立ってしまったことに謝罪を。産み、育て、愛情を注いでくれたことに感謝を。

 三十分なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。

 彼女は今までにないくらい息を切らし走った。


「お父さん!お母さん!」

 家の庭では両親が空を眺めていた。

『人が死んだらお空に往くのよ』

 これは母の教えだった。

「おまえ…なんで、」

 両親は彼女を見ると吃驚した表情を浮かべた。

「ごめん…ほんとにごめんなさい。私、二人を置いて…」

 母は靴も履かずに外へ飛び出した。

「なんで、どうして死んだの!どうして私達より先に…」

「…部活で遅くなっちゃって、早く帰ろうって…交差点を…」

母は泣き崩れた。

 父は悔しそうな眼をするばかり。

「本当に、ごめんなさい。」

 二人の笑った顔が好きだった。

 楽しそうに談笑する、あの笑顔が好きだった。

「…いつまでここにいられるんだ?」

目を伏せ、母の肩を抱いたまま父が聞く。

「もうすぐいかなくちゃ。」

「彼氏のところには行ったのか?」

「うん…ちゃんとお別れしてきたから大丈夫。」

「そうか…」

 会話が途切れる。

 閑静な住宅地には母の泣き声だけが響いていた。

 数分後、彼女は浮遊感を憶え、タイムリミットを悟る。

「ごめん、二人とも、もう逝かなくちゃ。」

母は虚ろな瞳で彼女を見る。

「やめて、逝かないで。お願い、連れて行かないで!」

 うわごとのように繰り返し、彼女に縋りついた。

「ごめんね。今までありがとう。」

 身体が透けていく。

「産んでくれて、育ててくれて…愛してくれてありがとう。」

 娘の袖を掴もうとする母の手は宙を彷徨う。

 だんだんと彼女は消えて逝った。

『お父さん、お母さん、ありがとう。大好きだよ。』

 夜更けの空に、彼女の声が聴こえた気がした。


「おかえりなさいませ。」

 駅に連れ戻された彼女は泣いていた。

「…ぁ、ごめんなさい、私なんで泣いて…」

「未練を断ち切ることはできましたか?」

「ええ。本当にありがとう。もう何も悔いは無いわ。」

車掌は境駅の時と同じように彼女を列車へと乗せた。

「それでは、終点〈彼岸駅〉まで止まらずに運転いたします。」

 列車は走り出した。


「終点、彼岸駅でございます。」

 此岸駅に着いた時と同じような不明瞭なアナウンス。

 列車は甲高いブレーキの音を立ててゆっくり停車した。

「良い旅をお過ごしいただけましたか?」

 彼女は黙ってうなずいた。

「最期に大切な人たちに逢えて嬉しかった。ありがとう。」

彼女は微笑んで座席を立った。

 軽い足取りで列車を降りるとそのまま出口へと歩いて行った。

 車掌はそんな彼女に深く礼をした。

「貴女の来世に幸多からんことを。」

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走馬灯列車 榛野 篝 @kagari_haruno

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