セカイノオワリ
影絵 企鵝
1.PUNK ROCK
骨董品のCDプレーヤーから、ざらついた音が溢れる。熱の篭ったギターのフレーズ、乾いたシャウトが、雑然と物の散らかった小さなオフィスに響き渡る。無線機器やら十徳ナイフやらが投げ出されたデスクに足を投げ出し、中年に片足突っ込んだくらいの男が目を閉じてじっと聴き入っていた。煙草を吸い、眼を閉じて、ただ聴き入っていた。
彼にとって、ロックは人生の全てだった。
コンピュータが人間の生活を管理するようになってから数十年経ったが、彼はそんな世界に何の疑いも持たずに生きて来た。遺伝子の情報から適性のある職業をコンピュータが割り出し、人はそれに従って生きる。レールから外れる事を望んだヒト、そもそもレールに乗れなかったヒトに唾して生きる。そんな世界に、一切の疑いを持たなかった。公安警察となり、むしろ彼はコンピュータに、社会に刃向かおうと考える人々の神経を疑いながら生きていた。
男が聴き入っていると、不意にオフィスの簡素なアルミの扉が開く。入って来たのは、濃紺のスーツに身を包んだ銀縁眼鏡の男だった。特徴の無い平々凡々の顔にうっすらと笑みを浮かべ、彼はオフィスの主が何か言う前に古ぼけた黒いソファに腰を下ろす。
「ミッシェル、それなりに元気そうだな」
「……お前も息災そうだな、サトシ」
ミッシェルは煙草を灰皿に潰し、眼だけを動かして友人の目を細めている様を見つめる。サトシはにこにこしたまま小さく頷く。
「まあ、それなりだ。最近は寝る暇があったしな」
「だが寝る暇が無くなったんだな。わざわざ俺のところなんかに来るってことは」
椅子に深くもたれかかったまましたり顔をすると、サトシは困ったように頭を掻いて、小さく頷く。
「まあ、そんな所だね。君だってニュースは聞いているだろう」
「主要プラントの連続爆破事件。目標の生産量に達しない物資がいくつも存在している。ああ、知ってるとも。お陰でカロリークッキーの値段がバカ上がりだ。ちょっと頬の辺りが痩せただろ、俺」
ミッシェルは無精髭の生えた四角い顔に笑みを造り、頬の辺りを指差した。その頬は肉が薄く、やや頬骨が突っ張っていた。サトシは歯を見せて悪戯っぽく笑うと、ゆっくりと首を振る。
「この前はちょっと太り気味だったし、それくらいが丁度いいのじゃないかい? 健康維持に努めるのは市民の義務だ」
「言ってくれるじゃねえか。仕事受けてやんねえぞ」
ミッシェルはようやく立ち上がると、壁際を通ってサトシの前へと向かう。その壁には、『適性:治安維持任務』と記された純白の認定証が貼り付けられていた。
「で、だ」
ソファーにどっかりを腰を下ろし、ミッシェルは真っ直ぐにサトシを見据えた。
「どうせ俺に爆破事件を仕組んでる組織を追ってくれとでも言うんだろ?」
「ああ、そうさ。大体の目処はついているけど、向こうも周到でね。僕達の面はどうやら割れているらしい」
「そこで、もう公安の人間じゃない俺に、何とかしろと」
「そういう事だ。前金、手数料、危険手当、成功報酬その他……で、こんなところでどうだ」
タブレットを幾つか操作すると、サトシはミッシェルに向かって突き出す。数字は六桁。場末の探偵には中々手に入らない金額だった。ミッシェルはにやりと白い歯を見せると、サトシに向かって右手を伸ばす。
「ま、友人の頼みを断りはしないさ。こんなに金積まれたらな」
「そう言ってくれると思った。じゃあ、後で組織に関するデータを渡すよ。何か必要なモノがあれば、彼女を通じて用意する」
「了解だ。ま、何とかなるだろ」
ミッシェルは頷くと、立ち上がってコート掛けの黒いアウトドアベストを手に取る。ベストの内側に拳銃を押し込みながら、ミッシェルはCDプレーヤーの電源を止める。部屋に満ちていた乾いた叫びが消え、ざらざらした沈黙が張り出してくる。音が切れた瞬間、ミッシェルは顔を顰めた。眉間に皺が寄り、結んだ口元から溜め息が漏れる。憂いを抱える男の顔だ。そんな彼の様子を見やり、サトシはふっと笑みを曇らせた。
「そんなに好きなのかい。『ロック』が」
「ああ。こいつは凄い。昔夢中になった奴らがいっぱいいた理由が良くわかる。渇望だよ渇望。漠然とした渇望だ。何かが足りなくなるんだ、こいつを聴いてないと。ぶっちゃけ『クサ』や『アイス』より、よっぽどの毒だ。足りないなんて、こいつを聴くまで思った事も無かったよ」
「嬉しそうに言うねえ、全く。それを聞いたお陰で、君は今まで積み重ねてきた何もかも失くしちゃったのに」
「代わりにこの生活が手に入った。昔はクサい生活だと思ってたが、始めてみりゃあ中々どうして悪くない。こいつをデカイ音出して聴いてても、誰も文句言やしないしな」
CDプレーヤーを撫でながら、ミッシェルはぽつぽつと呟く。本当に『ロック』に毒されているらしい。サトシは苦笑すると、膝を叩いて立ち上がる。
「相変わらずというか、何というか。『鉄の男』とか『最終兵器』とか言われた頃の君はどこへ行っちゃったのかな」
「本当に、どこ行っちまったんだろうな」
ミッシェルは肩を竦めると、テーブルの上に載っていた十徳ナイフにペンライトを胸ポケットに収め、くるりとサトシの方へ振り向き、満面に笑みを浮かべてみせた。
「でも、今の方が格好いいだろ?」
胸に親指を突き立て格好つけてみせるミッシェル。サトシはふと寂しげな目をすると、小さく頷いた。
「ああ。そうだね」
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