正義の味方はこの世にいない
石田空
序章
重い鐘の音が、塔いっぱいに広がる。
その音の下、螺旋階段を駆け下りる。
歯車に差す油の匂いが不愉快だ。時計塔の中だから仕方ないとは言えども。
走る衝動で、壁に掛かってあるロウソクの灯りが揺らめく。そのロウソクの頼りない灯りが、階段に俺達の長い影を落とした。
駆け下りる階段の壁に少し目をやると、壁には装飾の施された大きな額縁が見え、その中には絵が入っているのがわかる。
絵は油絵なのか、ひどく分厚く塗られているように見えた。それぞれの絵の登場人物は皆同じだ。それが絵1枚1枚違う背景で、違うポーズで描かれている。全部を並べると物語になっているのか? もっとも、じっくり見ている暇なんてないけど。
絵を目の端に入れつつも、立ち止まる事なく階段を駆ける。響く足音は壁を伝って大きく反響し、その音で薄っぺらく見える天井が崩落してくるんじゃないかと、少しだけ不安になる。
が、不安になってる暇なんてねえしな。そのまま、腕と足を振る。階段に響く音が一際大きくなったような気がした。
「ったく。何で学校の時計塔の下に、こんなありえない階段があるんだよっ」
俺がそう毒づくと、姫川は涼しい顔で俺を横から覗いた。
細っこい身体と棒みたいな手足なのに、奴は疲れたと言う事を知らないのか、俺の横を走っても息一つ切らしていなかった。
「世界の敵が近いと言う事よ」
「えっ?」
「影は、異空間を作って人を閉じ込める。世界の敵はもっとタチが悪い。影を操って、自分の異空間を拡張する。やがて、世界はその異空間に閉じ込められる。だから、世界の敵は倒さないといけないのよ」
「今まで、こんな大きな異空間はなかったけど?」
「当然よ。今までは意志なんてなかったもの。でも今は、世界の敵と言う明確な意志が存在する」
「で、何でうちの学校の時計塔の地下、なんだよ」
「来るわよ」
「…………」
俺は半眼で姫川を見つつも閉口する。
こいつはいつもいつもこうだ。しゃべりたい事は訊かなくても勝手にしゃべり出し、こっちが訊いている事には全く答えようとしない。
俺は少し黙ったが、手を伸ばした。
「一応確認するが、さっきいた奴らとは違うんだな? ここの影は」
「ええ。違うわ。世界の敵から出た影だから。あなたは合理的には物事を考えられないのね。理解ができないわ」
「お前に理解されたいとも思わねえよ!」
俺と姫川が言い合いをしている間にも。
俺と姫川の、ロウソクで弱々しく伸びた影が、蠢く。
影影
影影影影影影
影影影影影影影影影影影
それはまるで蛇の舌のようにチロチロと這いずり回ると、次の瞬間、一気に伸びて拡散し、俺達に襲い掛かってきた。
「畜生!」
俺はそう言いながら拳を振るった。
空気の唸る音が響き、光の粒子が飛び散る。影は一気に弾け飛んで、散り散りになった。
しかし、俺と姫川の影は尚も蠢く。おかしいな、いつもだったら飛び散ったらそれで動きを止めるのに……。
俺が首を傾げている間、姫川は目を細めて階段の先を見ていた。俺達を舌なめずりして見ているような影を指差しながら、一応姫川に訊いてみる。
「何か、さっきと様子が違わなくねえか?」
「さっきも言ったでしょう? 今までは明確な意志なんてなかった。ただの世界の浄化作用だもの。それが、世界の敵と言う核を得て、はっきりとした命令系統ができた。私達を殺せって」
「ああ、そう……厄介だな、こりゃ」
「この先にいるのだから、正義の味方がそれを殺せば全て終わるわ」
「へいへい」
簡単に言うな……。俺は姫川のいつも通りの横柄な物言いに半眼で返しつつも、影を睨んだ。
影は、まるで蛇から蜘蛛に変化したようなスピードと動きで這いずり回り、ロウソクの灯りすら隠してしまうんじゃないかと言う位に壁を覆って伸びていた。
まあ、行くしかねえよな。
俺は頬をパン、と叩いて気合を入れた後、拳に、脚に、力を込める。
伸びてくる影に、拳で、脚で、応戦する。
影はベチャリ。と言う感触と共に飛び散るが、またくっついて尚も俺達に襲い掛かってくる。何だこれ。何であんなに細かく飛び散ってもくっつくんだよ、形状記憶合金かよ。キリがねえな、本当に。
そうこうしている内に、反響していた音が止み、足音の響き方が変わった。
螺旋階段が途切れたのだ。
「着いた……のか?」
「そのようね」
螺旋階段が途切れたそこに見えたものは、高い天井と床だけが広がっている場所だった。
ホール? とでも言えばいいのだろうか。
螺旋階段には、ロウソクと言う頼りないとは言えど灯りがあったのに対し、ここには影がありようもないほどに、光と言うものが何もない。ただ、暗闇が広がっているだけなのだ。さっきまで不愉快に思っていた油の匂いすらないのには、ここは確かに異空間なんだと思わせるものがある。
「…………」
奥から微弱な声が聴こえた。
女の声だ。
俺は目を細め、闇に目を慣らせようと試みる。
目が少し慣れ、声の主が判別できるようになり……俺は、目を見開いた。
「お前……何で……」
「……正義、世界の敵よ。殺しなさい」
俺が狼狽しても、姫川は全く動じてはいなかった。
奥に立っているそれは、確かにいるはずなのに、ホールが透けて見えるのだ。まるで、幽霊みたいに。ガラス? とも思った。でもガラスのように硬質でもなければ、幻のように薄らぼやけている訳でもない。
そこにあるのにそこにないと言う奇妙極まりないそれは、透明なのに真っ黒と言う、非常に矛盾したオブジェだった。
そして……。
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