第59話 命の代償(5)

「お二人とも、お待ちください!」


リサの宣言にグイードが腰を浮かしかけたところで、ヤンが叫んだ。

日頃は冷静沈着な彼らしくもない様子に、居並ぶ子分衆が一斉に息を呑む。

だが、リサは極めて落ち着いていた。


(……ようやく来ましたね、ヤン様)


ついに彼をこの場に引きずり出すことができた。

一連の絵図を描いたヤンこそ、この難解な交渉における本当の『敵』だったのだ。


(この一件、恐らくはヤン様の独断で決めたに違いありませんからね)


事前にグイードと全て打ち合わせた、とはどうしても考えにくかった。

来るべき北区の大元締との戦いに備え、戦力を増強し勢力を拡げる。

そこまでは両者の合意があっただろう。

だが、その戦力獲得の具体的な手段はヤンに任せたのではないだろうか。

ましてや、バドのような若者を罠にかけ、リサたち傭兵を支配下に収める――そんな狡猾な手段をグイードが承諾したとは思えない。


グイードは、良くも悪くも昔気質の侠客だ。

そして、かつての凄絶な抗争で多くの仲間や兄弟分を喪っている。

謀略と裏切り――彼の信条とする『仁義』とは程遠い戦いがあったに違いない。

だから彼は、どれほど切羽詰まった状況であっても、卑劣な手で力を得ようとはしないはずだ。


だが、ヤンは違う。

彼は手段を選ばない。

我が身にどれほどの憎悪を集めようが一顧だにせず、ただひたすらグイードと組織に尽くす男なのだ。


そして彼は、リサを傘下に収めるためにバドに目をつけた。

しかし、ただ金を貸し、暴れさせるだけではグイードも彼を許してしまうだろう。

だからこそ、あえて主であるグイードの『名誉を傷つけさせた』のだ。

バドと、グイードと、リサ。

三人の性格を想定した上で、確信をもってこの計画を実行に移したはずだ。

そしてそれは、九分九厘まで成功を収めた。

途中までは一歩引いた場所から、自分の思い描いた構想通りと余裕をもって臨んでいたことだろう。

だが、リサの一言で事態は彼の想定を超えてしまった。 


ヤンは、長い付き合いのグイードの性格を熟知している。

リサという人間のことも、彼の鋭い洞察力はかなり深いところまで見抜いていたに違いない。

リサはきっと弟子を見捨てられない、同時に裏社会の義理や筋といったものを軽んじることもできない。

板挟みになった末に、最後は弟子を守るために折れるだろうと。


しかし、リサは折れなかった。

弟子はおろか、自分の命すら投げ捨てる――いや、それによって引き起こされるだろう仲間たちを巻き込んだ凄絶な争いすらいとわないという最も野蛮で愚かな選択を採ったのだ。


グウェンの言っていた『他人の知らないリサ』。

ヤンの持つ先入観を覆すことが、リサには必要だった。


(ヤン様、私が貴方の想定内で動く限り、このがんじがらめの状況からは逃れられません。そうですよね?)


だからこそ、リサはあえて蛮勇に身を任せた。

そうすれば、ヤンが必ずや仲裁に入ることを確信した上でのことだ。

もちろん、目論見が外れれば死ぬ。

危険な賭けであったが、リサはヤンの理性と器量を信じていた。


ヤンという人物のただ一つの弱点は、主であるグイードだ。

義兄弟の契りを交わした主を守るためとあらば、彼は躊躇いなく己を殺すだろう。

そしていざとなれば、体を張ってでもグイードを止める。

それができる唯一の人物が、ヤンなのだ。


「……ヤン、もう止めたって遅いぜ? リサは俺の相手をするって言ったんだ。あとは俺がそれを受けるかどうかって話だろ? まさかお前、この俺に『臆病者』になれって言うんじゃあねえだろうな」


淡々とした口調から、陶酔あるいは愉悦とでも形容すべき感情が漏れ出ていた。

己が認めた相手との勝負ほど、武人の血をたぎらせるものはない。

だがグイードは、武人であると同時に裏社会を束ねる元締でもあった。

暴力に頼るだけではなく、大きな器量を有した人物とリサは認めている。

そうでなければ、たとえ腹心の言葉であっても耳を傾けなかったはずだ。

グイードの武勇と器量、その絶妙な均衡を保つ天秤に触れられるのは、やはりヤンしかいない。


リサはあえて口を開かず、ただ真剣な眼差しで行く末を見守った。

手持ちの札は全て開いた。

賭けるべきものは全てテーブルに投じた。

後はもう、己の判断を信じて天命を待つだけだ。


「どうか落ち着いて私の話を聞いてください、元締」


「ははっ、お前こそ落ち着けよ。俺は別に慌てちゃいねえさ。ただ、俺に向かって正々堂々と喧嘩売ってくる奴なんか、あの吸血鬼ババアぐらいしかいなかったからさ。ちょいと嬉しくて血が騒いでいやがるってだけだよ」


(……そういえば、アーシュラ様にも同じようなことを言われましたね、私)


東南区を仕切る二人の強者に対して不遜を働いたことになる。

きっと傭兵の師匠が知ったら、無謀すぎると呆れ返ることだろう。


「お気持ちは分かりますよ、ええ。私も望むことならリサさんと一戦交えたいところですしね」


冗談めかした口ぶりで、リサの顔をちらりと窺う。

微笑に含まれたかすかな毒に、リサの背筋を寒気が這い上った。

なかなかやってくれますねぇ貴女、でも、私を意のままにはできませんよ――そう告げているのだ。


「ダメだね、ヤン。リサは俺と踊りたがってるんだ。こいつばかりは譲れねえよ」


「社交界の優雅なダンスなら一向に構いませんし、私は苦手ですからご遠慮させていただきますがね。これはそういう話ではないでしょう? 元締に万が一のことでもあったら、私は亡き先代やシュウ兄さんにあの世で合わせる顔がありませんよ」


シュウとは、かつてグイードの兄貴分だった男だとロッテから聞いている。

露骨に顔をしかめた様子から、故人とはいえグイードにとっては決して頭の上がらない人なのだろう。


「おいおい、俺がリサに負けるってのかよ?」


「いえ、もちろん元締が敗れるはずもありません。ですが、シュウ兄さんの言葉を思い出してください。『世の中には、勝っても負けるってこともあるんだよ』――そうおっしゃっていましたよね。実にいい言葉です。そうは思いませんか?」


先程と同様の笑みを向けられ、リサはゆっくりと頷いた。


「はい……とても深いお言葉ですね」


グイードが、いかにも興をそがれたといった風に腰を下ろした。

なるほど、今までもこのようにしてヤンは元締の勘気を鎮めてきたのだろう。

もっとも、同じ台詞を他の誰かが口にしたとて効果はあるまい。

共に修羅場をくぐり抜けてきたヤンだからこそ、できる芸当だ。


「ここでリサさんと勝負をして、それで勝ったといってどうなるというのですか。ええ、きっとあのバド君も元締に戦いを挑んでくるでしょうし、『白雪』モニカも『狂犬』ディノも敵に回すことになるでしょう。もちろん、それでも元締は勝ちますよ。『人斬りグイード』が敗れるはずがありません。ですが元締、彼らの屍の山をうず高く築いてご満足なのですか?」


「……じゃあ、一体どうしろって言うんだよ」


「ま、ここは一つ私の話を聞いてください。リサさんもよろしいですね?」


リサに断る理由はない。

彼が何を提案するかまでは読み切れないが、少なくとも最悪の事態だけは避けられそうなのだ。

子分の一人に命じると、用意させた椅子にヤンも座った。

わずかな時間だが、おそらく彼の鋭利な頭脳は考えをまとめたことだろう。


「元はといえば、たかだか銀貨十枚の話です。それで大きな損失を被るなんて、随分とバカげた話じゃないですか」


「いや、違うぜ、ヤン。損得の話じゃねえって言ってるだろ」


「ですが、ここで戦えば双方に被害が出ます。勝っても負けても得をしない、それはリサさんにとっても同じことです。どちらにせよ、生きてここから帰れないのですから。それもご本人ではなく、お弟子さんの不始末が発端とは笑えない話です」


いえ、そもそもの発端は貴方の策略ですよね――という横槍は入れなかった。

あるいは嫌味たっぷりに言ってやれば、多少は気分が良かったかもしれない。

だが、それはあまりに無意味な自己満足だ。

リサは沈黙を貫いた。


「お金の件は、はっきりさせておきましょう。証文がある以上、きっちりと返していただきます。私の部下の治療費や、酒場の修理代はこちらで持ちますよ。これは暴れ者一人抑えることもできない私の部下――いえ、私の責任ですから」


二人の視線がじっとリサへ注がれる。

どちらも微動だにしない。

真剣勝負に臨む者の目だ。

リサは頷いて、同意を示した。

もとより金の件は承知の上でこの場に来たのだ。


「で、残るは元締の名誉についてですが……」


いよいよ本題だ。

重い、重い沈黙。

背後で、誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。

内容次第では、今宵ここで多くの者が命を落とすことになるのだ。


しかし――ヤンはここで、頬をふっと緩めた。


「これもですね、要するに言った当人と言われた当人の問題じゃないですか。まさかリサさんが彼に『言わせた』わけではありませんよね? ええ、ですから単純明快、当事者同士でカタをつければいいだけのことです。違いますか?」


苦笑を浮かべ、首を少し傾けて問いかけてくる。

リサは思わずため息をついた。


(よく言いますよ……当事者のバドを抜きにして、師匠の私に責任を取らせようとしたのは貴方じゃないですか)


そもそも『言わせた』のは他ならぬヤンだ。

借金でバドを縛りつけ、そのバドを餌にリサを手中に収めようとしたはずだ。

はっきりと口にはしていないが、そういう狙いだったことは疑うべくもない。

だが、リサの思わぬ抵抗によって計画の変更を余儀なくされたというわけだ。


(ですが、こう言われてしまっては……)


リサとしても頷かざるを得ない。

ここであくまでもグイードとの一騎打ちを所望すれば、本当に避けることができなくなるだろう。

それこそ、たとえ勝っても負ける――そういう状況だ。

グイードは無言のままだった。

しかしもう、刺すような鋭い殺気は発していない。


「そもそもですよ、この場にバド君がいないのにお二人だけで話を進めてしまうというのもおかしな話じゃないですか。ねえ?」


理路整然と語るヤンは、完全に普段の彼に戻っていた。

いや、策謀で怖れられる『人喰いヤン』ではなく、筆頭幹部としてグイードを支える彼の顔を見せているというべきであろうか。

いずれにせよ、この場の主導権を彼はしっかりと握っていた。


促された子分たちが地下階段を降りていく。


「……ああん、何だ、てめえらやる気か!? くそ、殺せるもんならさっさと殺してみやがれっ! はぁ? 師匠は関係ねえって言ってんだろうが、クソがっ!」


「ははっ、威勢のいいバカ野郎だねえ……」


地上まで響き渡る怒声に、グイードが苦笑を漏らす。

ヤンはいかにも同情します、といった表情でこちらを見つめていた。

いたたまれなくなって思わず眉をしかめたリサであったが、


(ともあれ、元気そうで何よりですよ、バド)


渦中にあってもまるで懲りていない弟子の様子に、呆れながらも安堵していた。


(続く)

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