第60話 命の代償(6)

地下室から四人がかりで引き上げられてきたバドは、想像通りの有様だった。

頬と目蓋がすっかりはれ上がっているが、目は初めて会った時のようにギラギラとした闘志に満ちている。

両腕ごと太い鎖で何重にも縛られていた。

一見したところ、首から下はさほど怪我はしていないようだ。

拷問を受けたわけではなく、痛めつけられた程度ということだろう。


(万が一にも死なせないように、という指示が出ていたのでしょうね……)


頑丈なバドとはいえ、例えば頭などを強く殴られれば死ぬ可能性がある。

そういったところで決して手抜かりをしないのが、いかにもヤンと彼の郎党らしいところだ。


「ああっ! 師匠!? す、すいません! 俺なんかのせいでっ!」


リサに気付くと、顔色を変えて頭を何度も下げてきた。

粗暴な彼らしからぬ姿に、取り囲む子分衆も毒気を抜かれたような顔を浮かべた。

やはり、根は純朴で素直な青年なのだ。


リサはすっと立ち上がり、鎖を解かれた弟子に歩み寄った。

子分衆が一瞬警戒するが、グイードに「大丈夫だ、離れてろ」と言われると二人から距離をとる。


「し、師匠……」


「バド。少しかがみなさい」


静かに命じると、バドは怪訝な顔で言われるがままにした。

リサは躊躇うことなく、その頬をしたたかに平手で打った。

鋭い音が部屋の空気を裂き、バドが後方に跳ばされて尻もちをつく。

呆然とした表情で、言葉も出せずにリサを見上げていた。


「はははっ、凄ぇな、おい! ばちーんってよ。見たかよヤン、惚れ惚れするような一発だぜ」


「ええ、さすがですね。元締、愛人になさるというのは考えものかと。間違いなく尻に敷かれてしまいますよ」


背後でのんきな会話が交わされていたが、無視してバドに手を差し出した。


「どうして私に相談しなかったのですか」


「俺……その……金のことなんかで、師匠に迷惑はかけられねえって……」


震えるバドの大きな手をしっかりと握り、


「気持ちは分かりますよ。でも、もっと頼りになさい。それとも、私はそんなに頼りにならない師匠なのですか?」


「すいません……ホントに、すいません……俺……俺……」


立たせると、感極まったように涙を流す彼にハンカチを渡した。


「さて、と。リサ、師弟の落とし前はつけたところで、さっきの話の続きをしようじゃないか。俺とその兄ちゃんの間の話は、まだ済んじゃいないわけだからな」


言われるまでもなく、平手打ち一発でこの場を収められないことは分かっていた。

だがその前に、言うべきこととやるべきことは済ませておかなくてはならない。


「バド、元締に謝罪しなさい」


落ち着いた声音だが、有無を言わせぬ口調で言った。

バドが気まずそうに口をつぐむと、


「相手に敬意を払うことは武人として当然の心構えです。ましてや、武人を貶めるような誹謗中傷を口にするのは言語道断。できないというのなら破門します」


実戦において、相手を挑発するための罵倒はリサも積極的に活用する。

それは傭兵として戦う際の有効な武器の一つだからだ。

だが、今回のバドは違う。


「いいよ、いいよ、リサ。今さらその兄ちゃんに……バドにごめんなさいとか言われたところでよ、俺も子分どもも納得なんかしねえんだからさ。なあ?」


「そうですねえ。先程リサさんがおっしゃっていたように、『傷ついた武名は武をもって取り戻す』、これしかないでしょう」


リサは視線を床に落とすと下唇をぐいっと噛み、思考を巡らせた。

ヤンの張った網の目を食い破ることはできた。

最悪の状況を回避することまでは成功したのだ。

だが、このままでは弟子に死地を踏ませなければならなくなる。

何とかこの場を収めることはできないものだろうか――。


しかし、


(ここが……落としどころですか……)


グイードとヤンから、これ以上の譲歩を引き出すことは不可能だろう。

それに、モニカたちを巻き込むわけにはいかない。


リサは面を上げ、『人斬りグイード』の目を見据えた。

彼の戦士としての経験、そこで培われた端倪すべからざる技量、そして何より元締としての器――。


(いいでしょう、それを信じるしかありませんね!)


意を決し、傍らに立つ弟子の肩に手を置いた。


「バド……グイード様と立ち合うのです。私が見届けます」 


「え!?」


「武に生きる者同士、尋常な立ち合いです。誰にも邪魔はさせません」


驚きで目を丸くしたバドだったが、


「お前さん、この俺と戦いたかったんだろ? まっさかこの期に及んでよお、『臆病者』で『卑怯者』の俺が怖くて戦えません、なんて泣き言をわめくんじゃねえだろうな?」


「ふざけるな! やってやろうじゃねえかっ!」


グイードに煽られると、すぐさま鬼の如き表情に変わって怒鳴り返した。

直情的で怖れ知らずの性分とは知っていたが、この状況においてなお臆するそぶりすら見せないところにリサは感心した。

この資質を素直に伸ばすことができれば、間違いなく優れた武人となるだろう。


「いい気合じゃねえか、バド……おい、お前らも見習えよ」


護衛の一人から愛刀を受け取ると、グイードが悠々と腰を上げた。

もはや後戻りはできない。

覚悟を決めて死地を切り抜けるだけだ。


夕方の土砂降りの雨が嘘のように、夜空は晴れ渡っていた。

爽やかな夜風が、息詰まる交渉で火照ったリサの頬を癒してくれる。

だが、もちろん気を緩めたりはしない。


「おうおう、ガン首揃えてどうしたんだお前ら。雨上がりの夜空に俺の屋敷で血の雨でも降らせようってのかい?」


「かっははっ! さすがは元締、言うことがいちいち洒落てンねえ。なに、リサがこっちに遊びに来てるっていうもンだからよ、おいらたちもいっちょ混ぜてもらおうかってわけさ」


グイードの命で門が開けられ、屋敷外に待機していた傭兵たちが庭に通された。

モニカはリサの予想を超える人数を集めたようだ。

しかし、いずれの面々も完全武装ながらディノを筆頭に顔に緊張感は乏しい。

やはりお祭り気分なのだろう。

唯一人、『白雪』モニカを除いて。


「リサ、無事か」


「ええ、大丈夫よ。ありがとう、おかげで助かったわ」


真っ先に駆け寄ってきたモニカに微笑を返し、事の次第を手短に伝えた。

彼女の答えはただ一言、「リサが無事ならそれでいい」だった。

 

「リサお姉さま!」


場違いなほど明るい声は、情報屋のロッテだった。

これだけの騒ぎとなれば、耳ざとく好奇心の強い彼女が現れないはずもない。

傭兵たちに混ざって、修羅場にちゃっかり乗り込んできたというわけだ。


「何か動きはある?」


声を潜めて尋ねると、


「保安隊はモーリーン隊長自らお出ましですよ。他の隊も応援に来てますね。ま、今すぐ踏みこむってことはなさそうですが」


さすがに対応が速い。

周囲を巻き込むような大きなな争いになれば、容赦なくこの場にいる全員を捕縛するつもりだろう。

ここはできるだけ『密室で』済ませておきたいところだ。


「アーシュラ様は?」


「もちろん兵隊を動かしていますよ。ただこれも、縄張りの境辺りに静かに集めているって感じですね」


とりあえずは事態を静観ということだろう。

だがきっと、『宵闇の女王』は内心ほくそ笑んでいるに違いない。

俗世間の面白さこそ、永遠を生きる吸血鬼の彼女にとって最高の愉悦なのだ。


(銀貨十枚で、ずいぶんと大げさな事件になってしまいましたね……)


しかしこれが世間というものなのかもしれない。

ほんの些細なきっかけで取り返しのつかない事態に陥ってしまい、破滅に追い込まれる――決して珍しいことではないだろう。


(ですが、私は私ができることをするまでです)


可能な限り足掻き、少しでも状況を好転させ、守るべきものを守る。

それが傭兵淑女、リサの流儀だった。


「元締、お話がございます。二人だけで、よろしいですか?」


「おう、構わねえよ。ちょうど俺からも確認しておきたいことがあったからな」


愛刀を引っ提げて上機嫌なグイードに対し、土壇場の交渉に臨む。

二人きりで『密約』をとりつけることが、リサの最後の仕事だ。

ヤンがわずかに眉をひそめたが、口を挟んではこなかった。

グイードが、リサだけに聞こえるよう配慮して呟く。


「リサ、一つだけ聞いておくぜ。本当にあいつを斬ってもいいんだな?」


「……ええ、構いません。死体なら――私が引き取ります」


本心ではないが、あえて感情を殺し冷たい一言を放った。

ここでバドの命乞いをしても、冷たく突っぱねられるか、彼の命の代償としてリサがグイードの配下に収まるしかない。


「いい覚悟だ。武人同士の尋常の勝負、恨みっこなしだぜ」


「はい。ですが元締、一つだけよろしいですか?」


「何だ?」


「今回の一件はバドの不始末。たとえ彼がこの場で命を落とそうとも、私はグイード様を決して恨みはいたしません。ですが今後、このお屋敷の門をくぐることはないでしょう。遺恨の有無は別として、弟子を殺めた方の仕事をお請けするわけには参りません」


「ほう、俺を脅すつもりかい?」


「脅しなど……そのような意思はございません。ですが、もし仮に元締が私の立場だったとしたら……いかがいたしますか? 双方納得ずくの勝負とはいえ、弟子を殺めた者と笑顔を交わすことができますか?」


周囲には聞こえないように潜めた声であったが、はっきりと告げた。

バドを殺せば絶縁する、と。

この言葉の真意、言外に含まれた願いを彼はきっと理解してくれる――リサはそう、信じていた。


「……なるほどね。わかったよ、お前さんが今、何を考えているのか。ま、要するにだ――俺の、この『人斬りグイード』の剣を信用してるってわけだろ? 違うかい?」


「お手並み、拝見させていただきます」


やはりグイードは大物だ。

修羅場を潜り慣れている。

それが確認さえできれば、もう十分だ。

目礼すると、グイードは不敵な笑顔を浮かべて応えた。


(続く)

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