第26話 たった一つの危険な橋(15)

「なンだァ、てめえ……」


リサの変化に、虚を突かれたレダが力なく呟いた。

再び足を振り上げ、太ももを踏みつけようとする彼女に鋭い視線を飛ばす。

強い意志を込め、相手の目を真直ぐに見据えた。

レダがあからさまに動揺しているのが分かる。

一体何故、自分はこの程度の敵に恐れを抱いていたのだろう。

リサは己の弱気を恥じた。

そして、貴方たちなどにもう絶対に屈しない――そう、目で語った。


「なっ、てめっ……ガン飛ばしてんじゃねえ!」


振り上げた足を床に降ろし、繰り返し往復での平手打ちを浴びせてくる。

頬が腫れ、爪でできた傷から血が垂れたが、リサは臆することなく見つめ続けた。

やがてレダが手を止めた。

肩で息をしている。

悔しそうにこちらを睨みつけているが、その目の奥にわずかに怯えが潜んでいることをリサは見逃さなかった。

人は理解できないものに対して恐怖を抱く。

先程まで身も心も憔悴しきっていたリサが、なぜ突如として精気を取り戻しのか。

それを図りかねているのだろう。


「……貴方たちのボスは、まだ来ないの?」


ここが頃合と見て、静かに呟く。

場の空気が一瞬で凍った。


「あぁ? 何言ってやがんだ、てめえ」


「ボスが貴方たちに命じたのでしょう? 私を拐ってこいって。もちろん、茶飲み話をしようってことじゃないわよね? 私が何で探りを入れているのか、誰の差し金で動いているか、知りたいわけよね、貴方たちのボスは」


「ああ、そうだ。やっと話す気になったのかよ、ゲロ女」


今までの人生における最低最悪の呼称だが、この際あまり気にしないことにした。


「ええ。でもね、貴方たちには話さないわ」


「ンだとぉっ! てめえ、また痛い目に遭いてえのかっ!」


「やりたければどうぞ? 後々困ったことになるのは貴方たちの方だけれどね?」


「……ああン!? どういうことだ!?」


「それも貴方たちには教えられないわね。私が話をするのは、ボスだけよ。さっさと連れてきてくれない? せっかくのおいしい話が期限切れになる前にね」


おいしい話、というところを強調すると連中の表情に困惑が広がった。

皆が皆、リサをどのように扱うべきか判断がつかない様子だ。


(……なんてね、ただのハッタリなんですけれど)


あくまでも時間稼ぎだ。

頭が多少でも回る者ならば、リサの真意をすぐに見破ってしまうだろう。

いや、連中の粗末な脳みそでも看破してしまうかもしれない。

それでも構わなかった。

今、リサがやるべきことは援軍の到着までこの連中を釘付けにすることだ。


(それも、できれば一同そろい踏みの状況でね)


手間はできるだけ省いた方がいい。

チャンも含めて一網打尽にするのが理想的な展開だ。

首領やチャンが姿を見せる前に援軍が来てしまったら、この連中に別のアジトの場所を聞き出さなくてはならなくなる。


(ま、その時は……あの噴水の水でも、ガブガブ飲んでもらいましょうか)


嗜虐趣味はないリサであるが、やられたことはきっちりやり返すのが傭兵の流儀というものだ。



「おい、どうすンだよ、レダ?」


「俺は知らねえぞ? てめえが痛めつけたんだからな?」


「うっせぇ! 黙ってろ!」


口々に罵り合う彼らを、リサは冷徹な目で観察した。

レダ以外の男たちは、あからさまに怯えの色を見せ、互いに責任を擦り付けようとしている。

先程までの調子に乗った悪漢ぶりが嘘のようだ。

己の立場が悪くなると途端に弱くなるのは、組織に頼って生きる人間の典型だ。


(その点、私は一本独鈷ですからねえ)


もちろんリサも、グイードやアーシュラが束ねる裏社会の組織、モーリーンが隊長を務める保安隊などといった『組織』と協力すること、力を借りることはある。

現に、今だってそうだ。何もかも一人でできるわけではない。


だが、リサは組織に帰属してはいない。

リサの失敗の責任を、誰かが背負ってくれることはないのだ。

己がしくじれば、己で何とかする。

品のない表現だから口にこそしないが、『てめえのケツはてめえで拭け』が、フリーランスで生きるリサの流儀であった。


(ま、どっちにしても狼狽えてくれるのはありがたいですね)


何よりも今は、時間を稼ぐことが先決だ。

あのまま苛烈な拷問を受け続けることは望ましくない。

肝心のチャンと立ち合うときに、まともに身体が動かないようでは困る。

鋭い目で連中を睨めまわしつつも、リサは内心ほくそ笑んでいた。


だが――。


「おい、御頭が着いたぜ!」


「チャンの兄貴も一緒だ!」


ドアの外から聞こえてきたダミ声で、室内の重苦しい空気が一変した。

レダだけは相変わらず険しい顔のままだが、他は明らかにホッとしたような顔を浮かべている。

彼らの気性から察するに、慕われているということではないだろう。

恐らく、何をしていいのか分からないこの状況で、自分たちに明確に指示を下してくれる人物が現れたことに安堵しているのだ。


(さて、いよいよ御対面ですね。気を引き締めないと)


この悪漢どもの首領と、仇敵であるチャン。この二人が、ついに目の前に現れる。

モーリーンたち保安隊よりも先に接触を果たすという、当初の目的の一つは達成できた。

だが、もちろん本当の意味での本番はこれからだ。

ここからどうやってチャンとの戦いを実現させるか、そして誘拐師どもを一網打尽にするかが肝心要のところである。

アーシュラたちが今このタイミングで襲撃してくれれば話は早い。

しかし、そんなに都合良く事が運ぶことを願うのではダメだ。

むしろ、最悪のケースを想定するのが修羅場を生き抜くためのセオリーである。

リサは燃えたぎる炎を胸に、首領の到来を待った。


(続く)


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