第17話 たった一つの危険な橋(6)

(それにしても本当に仲が良いですね、この御二方は)


グイードとヤンは、東南区の貧民街で育った幼馴染だという。

組織に身を寄せる以前からの長い付き合いであり、その結束は固い。

若い頃から『人斬りグイード』と『人喰いヤン』は近隣の悪漢たちを震え上がらせてきたという。

グイードは背中に虎の彫物を入れているが、ヤンは狼の彫物を入れていて『銀狼』などとも呼ばれていたらしい。

後にグイードが元締になったのも、ヤンの働きがあってのことだと言われている。

献身的に仕えるヤンと、彼に全幅の信頼をおくグイードの絆の強さは、裏社会の人間たちに、


「グイードには三人の愛人がいるが、本妻はヤン」


などと噂されるほどだ。

もちろん、当人たちにそれを直接言うような命知らずはいないが。


「おうお前ら、先に上で待ってろ! おかみ、あいつらと、ここにいる皆の衆に一杯ずつ振舞ってくんな!」


グイードの部下たちがぞろぞろと『風知草』に入ってくると、グイードが歯切れよく女将に声をかけた。

店内から一斉に歓声があがると、軽く手を挙げてそれに応える。

当然ながら、彼の奢りということだ。

経済的には苦しいという話だが、こういう場で堅気の人間に景気良く振舞うことは忘れない。

それぐらいの器量がなければ、元締という立場は務まらないのだろう。


「ご馳走になります、グイード様」


「ゴチになりますぅ~。グイード様大好き~」


丁寧に頭を下げるリサと、精一杯の愛嬌を振りまくロッテ。

早くこの場を去って欲しいという本心は、笑顔の下に深く沈めたつもりだ。


「なーに、気にするなって。ところでリサ、吸血鬼ババアは元気だったかい?」


あやうく口に含んだ酒を吹き出すところだった。

隣でロッテは笑顔のまま固まっている。


(い、いきなりですか、ハハハ……)


やはり先程の件は完全に筒抜けだったようだ。

彼らは一体どこまで掴んでいるのか。

この店がアーシュラの使いと落ち合う場所ということまで知られているのだとしたら、かなり立場が危うくなる。


「ええ、そうですね、相変わらずお美しかったですよ」


「そうかい、でも俺はお前の方が好みだな、うん。まあそもそもあいつ、吸血鬼だし。妾にしちまうってのも面白えかもしれねえけど、さすがにヤンが許してくれそうにねえや」


笑えない冗談の連発だ。

もう笑っていいのか、恐縮すべきなのかまるで判断できない。

いっそ全て話してしまえば楽になるだろう。

だが、計画が頓挫する上にアーシュラの不興を買うことになる。

この一時の苦痛から逃れるために、最悪の道を選択するわけにはいかない。


ヤンに目を移すと、相変わらず何を考えているのかさっぱり見当もつかない笑顔でこちらを窺っている。

無造作にズバズバと斬りこんでくるグイードと、冷徹に観察するヤン。

なるほど、確かに恐ろしいコンビだ。


(とはいえ、こちらもド素人の小娘二人じゃないのよね)


一本独鈷で裏社会を渡り歩く女傭兵と、手練手管に長けた情報屋だ。

機転とハッタリで切り抜けるしかないと、腹をくくった。


(あとはそう、どれだけ私が彼らに信頼されているか、ね)


リサにはこれまでの『貯金』がある。

彼らからの依頼に限らず、請けた仕事はどれもほぼ完璧に遂行してきた。

価値がある、と判断されていればそう易々と捨てられることはないはずだ。


「アーシュラ様とは、世間話をしただけですよ。最近とんとご無沙汰していましたので」


「ああ、そういうことねぇ。でもよ、それなら何もわざわざ徹夜明けで行くことはねえじゃねえか。しかも、あいつを昼間に訪ねるなんて」


尋問するような口調ではなくあくまでも自然体ではあったが、油断はできない。 しかもすぐ傍では、人喰い狼がじっと目を光らせている。


「ちょうどこの娘が、アーシュラ様のお耳に入れたいという情報を持っていましてね。で、まあ私もついでというか、護衛のようなもので付き合ったわけです」


肩を軽く叩くと、ロッテが「ふへへへ……」とまるで緊張感のない笑いで応じた。


「情報? へえ、そいつはちょいと俺も聞いておきたいねえ」


「グイード様にお伝えするほどの話ではありませんわ。まあ何というか、女同士のただの茶飲み話ですからご勘弁ください」


「茶飲み話、だって? お前たちが、あのアーシュラと?」


グイードが畳み掛けてくるが、リサはもう怯まなかった。

彼が誘拐師の件と無関係であれば、先刻のアーシュラとの密談は彼にとって益にも害にもならない。別段、後ろめたいことなどないのだ。

そしてもし、危惧するように関わりがあるのならば――彼はもう、リサに敵対する存在となる。

敵に対して、リサは決して怯んだりしない。

ましてや、機密を白状することなどありえなかった。


(もうこうなったら、賽の目がどう転んでも、ただ堂々と受け入れるだけよ)


斬った張っただけが戦いではない。

何気ない日常会話の、ほんの些細な行き違いが命を落とすきっかけになりかねないのが裏社会だ。

そんな世界で一年間生き延びてきた。

こういった状況で、最後に物を言うのは度胸だ。


グイードの目を真正面から見つめ、


「ええ、茶飲み話ですよ。もしどうしても気になるようでしたら、せっかくですからアーシュラ様に直接お会いになって、確かめてみてはいかがです?」


本気とも冗談ともつかない口調で言ってのけた。

『人斬り』グイードの眼光が、一瞬妖しい色を帯びる。

狂気、いや兇気とでも形容すべきであろうか。

リサはそこから、剥き出しの刃を彷彿とさせる冷気と、溶岩流の如き熱気を同時に感じた。

幾多の修羅場を超えてきたグイードの、底知れぬ闇。

窓の外から聞こえる川のせせらぎと、しきりに鳴く蝉の声がまるで別世界の音のようであった。


「……くくっ、はははははっ。参ったね、こりゃ」


グイードの表情が、いつもの『元締』に戻った。

例の扇を懐から取り出し、パタパタと扇ぎ始める。

瞬時に緊張から解放され、リサは思わずため息をつきそうになった。

だが、それをぐっと呑み込む。

まだまだ油断はできない。

芝居の幕はまだ下りきっていないのだ。


「おい、どう思うよ、ヤン? あの吸血鬼ババアのクソ屋敷に、俺らでのこのこ出向けってさ」


「うーん、どうでしょう? まあ、お茶の一杯ぐらいは出してくれるんじゃないでしょうかね」


口角をぐっと上げ、呆れたような口調で尋ねるグイードに対し、ヤンは依然として表情を変えぬまま、とぼけた調子で答える。

もちろん、両人とも本気ではあるまい。


(まあ、アーシュラ様の場合、本当にお茶を出してお二人を歓迎してしまいそうですけれど……)


何しろあれほど『娯楽』に飢えた彼女のことだ。

仇敵が昼日中からひょっこり訪ねたとしたら、きっと心の底から大喜びするに違いない。

彼女もまたグイードやヤンと同じく、尋常の物差しでは計れない人物だ。


「はは、しっかし女同士の茶飲み話とは、こりゃまた上手く逃げたなあ、リサ。なるほどね、そりゃあさすがに俺が首を突っ込むことじゃねえわなあ」


グイードが苦笑を浮かべて席を立った。ヤンはまるで表情が変わらない。

彼らが店の階段を上りきり、完全に姿が見えなくなるまで見送ったところで、ようやく二人は溜め息を漏らした。

窓枠に吊り下げられた鈴が、川風に揺れて美しい音色を奏でる。


「……どうだったかな、今の」


「……そうですね、リサお姉さま。とりあえずさっさとお店を変えません?」


その提案はもっともであった。


(続く)

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