第8話 眠れない一日の始まり(6)

「……リサ」


「はい?」


モーリーンのやけに改まった口調に、嫌な予感がした。

先程と同様、真剣な光がリサを直視している。

嘘泣きがばれてしまったのかもしれない。

だが、続くモーリーンの問いは想像とはまるで違っていた。


「前にも言ったが……お前は一体、いつまで傭兵を続けるつもりなのだ?」


「モーリーン隊長……」


今朝のグイードと全く同じことを尋ねられてしまった。

そんなに傭兵稼業は自分には不向きに見えてしまっているのだろうか。少し自信がなくなってしまう。


「私はお前を買っている。武芸に長け、頭の回転も速い。義を重んじ情に厚く、与えられた任務を確実にこなす責任感もある」


「そんな……買いかぶりすぎですわ」


思いもよらない高評価に、つい頬が赤く染まってしまった。モーリーンほどの才媛に、面と向かってここまで褒められるのは何ともこそばゆいものだ。

少なくとも、飴玉を貰えるよりはよっぽど嬉しい。


「そんなことはない。私の目が節穴だとでもいうのか? お前さえその気なら、保安隊の一員として迎えたいのだ。私と共に、この街の平和を守ってくれないか?」


モーリーンが身を乗り出してきた。

両手の白手袋を外し、リサの手をそっと包み込んでくる。

その温かな感触と、自分を見つめる一途な眼差しに思わず心臓が高鳴った。


(……うっ、これはまずいですね……)


モーリーンは女学園に在学中、同窓生は言うに及ばず、先輩・後輩からも絶大な人気を誇っていたらしい。

女学園の後輩で、リサとも親交の深い尼僧のアンジェリカから聞いたのだが、それも納得できる話だ。


(それにしても、今日は朝からずいぶんモテますね、私)


元締から求婚され、豪商から晩餐会のお誘いを受け、情報屋には一杯奢らされ、保安隊長からはスカウトされる。

占いはあまり信じないリサであるが、今日はそういう運勢の日なのかもしれない。広場に受付でも設ければ、長蛇の列ができそうだ。


(でも、モーリーン隊長が一番情熱的ね……)


求婚しておいて鉄扇を渡す誰かさんよりは、ずっと本気度が高いと言えるだろう。

保安隊員の濃紺の制服をまとい、きびきびとした足取りで街を巡回する自分を想像してみた。富豪の妻や暗黒街の大姐さんよりは、随分としっくりくる姿だ。

モーリーンの手が先程よりも熱さを増し、若干汗ばんでいる。視線を合わせると何も考えずに頷いてしまうのではないか、というほど強い眼力だ。

だが、リサにはまだやらなければならないことがあった。

それを果たすまでは、いかに情熱的であろうとも、モーリーンの誘いを受けるわけにはいかない。


「大変ありがたいお言葉ではございますが……」


「なぜだ? 私は本気だ。お前が必要なのだ!」


モーリーンがさらに顔を近づけてくる。

憂いのこもった碧い瞳。このまま唇を奪われるかもしれないと一瞬ドキドキしたが、グイードの時と同様、そこまでの急展開はなかった。


「申し訳ありません。今はまだ、モーリーン隊長のお申し出を受けることはできません」


受諾はできない。だが、にべなく断るのは気が引けた。

だから保留することにした。今はまだ、駄目なのだ、と。


(これで手を打っていただけますよね……?)


真直ぐにモーリーンを見つめ返す。

しばしの沈黙の後、モーリーンが小さく息をついた。


「……分かった。だが、あまり長くは待てないぞ」


「ありがとうございます。いずれ、きっと……」


見つめ合う二人の静かな一時を、ドタドタとした足音が破った。隊長室のドアが素早く二回ノックされ、荒々しく開かれる。


「何だっ、騒々しい!」


「はっ、申し訳ありません!」


モーリーンが柳眉を逆立て、鋭く叱責する。ドアを開けた隊員が、慌てた表情で敬礼した。その額にはびっしりと汗が浮き出ている。


「その……。あっ、これはお取り込み中、失礼いたしましたっ!」


「な……ば、馬鹿者、勘違いをするな! 一体何事だ!」


モーリーンが白い頬を真っ赤に染め、リサから手を離して居住まいを正した。

取調べ中かと思えば、厳格で知られた『鬼姫』隊長が女傭兵と手に手を取って熱い眼差しを交し合っているのだから、隊員もさぞや驚いたことだろう。


「はっ! 今、例の子どもが目を覚ましたのですが……」


その報告を聞き、モーリーンの目が鋭く光った。


「そうか、よし、すぐに行こう」


(ふう。これでようやく解放されそうですね)


このままずっとこの部屋で待っていろ、とは言わないだろう。アルバおばさんのパスタに間に合うか否かは厳しいところだが、いずれにしても空腹は限界一歩手前に達している。


「それが隊長、泣き喚いて手がつけられない状況でして……」


 隊員が申し訳無さそうにモーリーンの顔色を窺う。


「大丈夫だ、私に任せておけ。リサ、今日のところはこれで……」


モーリーンがリサに向き直った直後、廊下に子供の大きな泣き声が響き渡った。

恐らくは女性隊員であろう、しきりになだめすかせようという声も聞こえる。


(迷子かしら。いや、さっきのモーリーン隊長の目、ただの迷子ではないわね)


リサは静かに席を立ちモーリーンに目礼をしたが、泣き声が徐々に隊長室に近づいてきたので一旦座り直した。

さっさと外に出て空きっ腹を満たしたい、という欲求よりも、傭兵としての勘を優先させたのだ。誘拐師の件と同じく、事件はリサの飯の種である。


「お前たち、手荒な真似はするんじゃないぞ……っと!」


部屋を出かけたモーリーンの足に、少女が真正面からぶつかってきた。

年齢は三、四歳といったところだろう。褐色の肌に、サラサラの黒い髪と同色の瞳。白い簡素な装いで裸足のまま廊下を駆けてきたようだ。


(南方系? いや、どうも東南諸島系の子のようですね)


顔をぶつけてさらに大声で泣き出す彼女を見て、リサは直感した。

生まれ故郷・東方諸島の遥か南、大小の小さな島々が連なる東南諸島に住む人々に多い顔立ちだ。くりくりとした大きな瞳が愛らしい。


「ああ……よしよし、泣かないで。怖がることはないからね」


しゃがみこんだモーリーンが少女の頭を優しく撫で、いつになく柔らかな笑顔で温かい声をかけた。

ならず者には恐ろしい『鬼姫』様も、子どもにはとても優しい。しばらくして少女は一旦泣き止んだが、うつむいたまま何度もしゃくり上げている。


(もしかしたらこの子は……)


思い立ったリサは腰を上げ、彼女の傍に膝をついた。目線を少女の高さに合わせて、ゆっくり一言ずつ、はっきりとした口調で声をかけた。


「……ラト・ブイ・デュオ・シャー」


以前、まだ大陸に渡る前に教わったことのある、東南諸島系の挨拶で「初めまして」という意味の言葉であった。

少女の顔が一変した。ぱっと明るくなった表情でリサを見つめ、早口でまくしたててくる。残念ながら、リサにはその意味を汲み取ることができなかった。


「リサ、お前東南系の言語が分かるのか?」


モーリーンが感心した様子で尋ねてくる。リサは静かにかぶりを振った。


今から数百年前、当時の皇帝の親征の後、東方および東南諸島は帝国の支配下に置かれ、言語も大陸の共用語を強制された。

そのため現在では学校でも共用語が教えられている。

だが、古来の島の言語は口伝えという形でひっそりと受け継がれていた。

それは帝国支配に対する、東方・東南の民の静かな抵抗の一つでもあった。

リサは島にいた頃、家の近くに移り住んできた東南諸島出身の友達から簡単な挨拶を教わっていた。だが、それ以上のことは学んでいない。

そのため、少女が話す内容も分からなかったが、その表情からは何かを訴えかけようとしていることが伝わってきた。

リサが自分の言葉を理解していないことに、少女は気づいた様子だった。

徐々に表情が翳り、また先程のような泣き顔に変わってしまう。

彼女をすっと抱き寄せ、耳元で囁いた。


「……クン・サオ」


大丈夫、という意味の言葉だった。

腕の中で、少女の緊張が少し解れたのが感じ取れた。


「モーリーン隊長。どうやら彼女は、共用語が全く分からないようですね」


まだ学校に行く年齢の子ではない。家の中では共用語を使わない、という家庭も東南諸島には多いと聞いたことがある。


「そのようだな。困ったな、私の隊には東南系の言語を話せる隊員がいない。他の隊にもいるかどうか分からないが……」


モーリーンがほぞを噛む。最近は移民が増えてきたとはいえ、ある程度以上共用語を学んで日常会話ぐらいはできる者が大半だ。

保安隊も、共用語が話せないという想定はしていないのだろう。

モーリーンは部下に、他部隊の隊長に連絡するよう指示を与えた。


「場合によっては、他の地区に応援を頼まなければならないかもな」


「そうですね。東南諸島出身の隊員がいれば、もっと話は早いのでしょうけれど」


「ああ。確か、東区には一人いたと思うが……。うむ、こんな時のために東南諸島だけではなく、東方諸島出身の隊員も必要だな。そうは思わないか、リサ?」


モーリーンがふっと微笑を向けてくる。どうやら藪蛇になってしまったようだ。


「……この子は迷子なのですか?」


話を反らすと、モーリーンの眼光が先程と同じ鋭い光を帯びた。


「いや……」


すぐに否定したモーリーンだが、そこから先を話すべきか否か逡巡しているようだった。リサはその様子からすぐに、先刻ロッテから得た情報を思い出した。


「……この頃、誘拐師どもが帝都に跳梁しているようですが」


「ほう、さすがに情報が早いな」


涙をいっぱいに溜めた目が、リサとモーリーンを交互に見比べていた。

リサは大丈夫よ、ともう一度繰り返しながら、彼女のおかっぱ頭を丁寧に撫でた。


「この子が保護されたのは、昨日の夜遅くだ。目立った外傷はなかったが、ひどく疲れていて、すぐに眠ってしまったのだよ」


モーリーンの話によれば、保護されたのは東区との境を流れるユピリス川付近だという。

河原にずぶ濡れの姿でぐったりとしていたところを、たまたま通りがかった渡し舟の船頭が見かけて、すぐに保安隊に連絡を入れたのだそうだ。


「誤って川に落ち、そこから流されてきたという可能性もあるが……。私の直感では、この件には誘拐師どもが関わっていると思う」


「浚われそうになったところを、何とか逃げ出してきたというところでしょうか」


「かもしれんし、奴らのアジトから脱出できたのかもしれない。いずれにせよ、この子から詳しい話を訊くことができれば、はっきりとするのだが……」


東南区内では、彼女の親らしき者からの捜索願などは出ていない。他の区に確認を取っているところで、現状では連絡待ちという状態らしい。


(こんなことなら、もう少しちゃんと東南語を学んでおくのでしたね)


だが、ここで言っても始まらない話だった。リサにできることはここまでだ。

ともあれ、保安隊の保護下に置かれていれば身の安全は保障されている。

あとは一刻も早く、彼女の身内を探し出すということであろう。


リサの言葉で安堵したのか、彼女は目を眠そうにしばたたかせ始めた。

再度、「大丈夫」と囁くと、彼女はコクンと小さく頷き、身を寄せてきた。

細く小さな身体に腕を回し、壊れ物を扱うように静かに抱っこする。

ものの数秒で、彼女はつぶらな瞳を閉じて眠りの世界に入っていった。


「意外だな。子どもの扱いが上手いとは」


モーリーンが小声で感心する。


「ええ、まあ。教会の子たちと、しょっちゅう遊んでいますからね」


「なるほど、アンジェリカの教会の孤児たちか」


モーリーンの女学園での後輩にあたり、リサが帝都にやって来て最初に知り合った無二の友、アンジェリカ。彼女は東南区の小さな教会で神に仕えている尼僧だ。

面倒見が良く温厚な彼女は、区内の孤児たちを引き取り、教会で育てている。

それほど信心深くはないリサであるが、暇な時にはよく教会を訪れる。

アンと話すのが主な目的なのだが、たいていは元気いっぱいな子どもたちの遊び相手になってしまうことが多い。


「……ええ。ではモーリーン隊長、この子をお願いします」


モーリーンに少女の小さな身体を託し、リサは保安隊本部を後にした。


(あとであの子に、飴玉でも差し入れてあげますかね)


もっともその前に、自分の空腹と眠気をどうにかしなければならないのだが。


(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る