第5話 眠れない一日の始まり(3)
「いやいやぁ~、さすがにモテますねえ、リサお姉さまは。大したものです~」
「晩餐会のこと? 殿方の社交辞令を真に受けるほど、私もウブじゃないわよ」
「またまたぁ、そんなこと言っちゃって。リサお姉さまは素直じゃないなあ~!」
そっけない返答と乾いた笑いなど全く意に介さず、するすると近づいてきた赤毛の少女はロッテといい、東南区を拠点とする情報屋だ。
リサは彼女の上客の一人だった。
こと東南区に関しては、
「どんな些細なことも、あたしの目と鼻と耳は逃しませんからね~」
と豪語している。事件や事故はもちろんのこと、保安隊や裏社会の動向といったものから、交易・商売における売れ線、おススメの娼婦情報、果ては有力者の飼っている犬猫のことまで知り尽くしているという話だ。
中には眉唾な話もあるが、リサも彼女のもたらす情報には何度も助けられてきた。
ヒューイの件も、彼女から得た情報が大きな手がかりとなったのだった。
彼女はその感覚の鋭さと、情報を追いかける執拗さから、『犬鼻』(ドッグズ・ノーズ)という通り名で知られている。
先刻リオネルが言っていた『可愛い仔犬ちゃん』というのも、それを指しているのだろう。
見た目はともかく、性格が可愛いかどうかは微妙なところだが。
小柄ながら敏捷そうな姿態は、どちらかといえば犬よりも猫を連想させる。
大きな茶色の目を、いつも好奇の光で輝かしている少女だ。
かれこれ一年近い付き合いだが、落ち込んだ表情を見たことはほとんどない。本人の弁によれば、どんなことでも楽しめる性分なのだそうだ。羨ましい限りである。
「はあ。それにしても朝から元気いっぱいね、貴女は」
「えへへ、そういうリサお姉さまはずいぶん眠たそうですねぇ。ま、ヒューイさんをずーっと一人で追っかけてたんだから、仕方ないでしょうけど」
「……あのねえ、そういう話はあんまり大きな声で言わないでほしいんだけど?」
「えっ、耳元で囁いちゃっていいんですか? えへ、ドキドキしちゃいますぅ~」
(つ、疲れる娘だわ……)
楽しげなロッテの様子にため息をつき、改めて彼女をしげしげと眺めた。
西方の血が流れる彼女の赤茶色の髪は、ちょうど耳が隠れるところで綺麗に切り揃えられている。彼女曰く、今年の夏から秋にかけては、このヘアスタイルが年頃の娘たちの流行なのだそうだ。
長い髪をポニーテールにしている自分は、きっと流行遅れなのだろう。
だからといって、このお気に入りのヘアスタイルを変えるつもりは毛頭ないが。
ゆったりとした水色のズボンに、白い長袖のシャツ。
腰には真紅を基調とした柄の腰布を巻き、首には南方風の鮮やかな色調のスカーフをリボン結びにしていた。
「それにしても、相変わらず派手な格好ね。目立つんじゃないの?」
「やぁん、リサお姉さまに褒めていただくなんて光栄ですぅ~!」
(いや、褒めたつもりは全くないけれど……)
むしろ情報屋として、人目を惹き過ぎるのは問題ではという意味だったのだが。
もっとも、当の本人が喜んで身につけているのだから放っておくべきだろう。
振りかかる火の粉は自力で何とかするというのが、この世界の掟だ。
「で、リサお姉さまはどちらを選ぶんですか?」
夏の日差しに焼けた顔を輝かせ、ロッテが無邪気に尋ねてくる。
「え? どちらって? 一体何の話?」
質問の意図が理解できず、リサが怪訝そうに尋ねると、
「そりゃあもちろん、グイード様とリオネルさんと、どちらを選ぶかですよ~」
「……はい?」
その二人が敵対しているという話は聞いたことがない。むしろ扇の件でも分かるように、東南区で生まれ育った同世代の二人は、仲が良いことで知られている。
「とぼけるのが下手ですねぇ~。お二人のどちらとお付き合いするか……ぶっちゃけ、どっちの殿方と結婚するんですかって話ですよぉ~」
とんでもないことを、さらりと言ってのける。これには、多少の事では動じない性格のリサも絶句してしまった。
「貴女ね、冗談もほどほどにしなさい」
「いえいえ、真面目なお話ですよ。最近この界隈ではもっぱらの噂なんですから」
「それはまた、根も葉もない噂だこと。まさか貴女が広めているんじゃないでしょうね?」
彼女がその気になれば、どんな噂も瞬く間に東南区一帯に知れ渡ってしまうだろう。年齢はリサよりも二つ下であるが、それだけの情報網を彼女は握っている。
だが、その網の無駄遣いは勘弁してほしいものだ。
仕事に差支えはないかもしれないが、それ以前に日常生活を送る上で面倒なことになりそうだ。何より困るのは、本当に根拠のない話だということである。
「えへへー、火の無いところに煙は立たず、どんなに信じられないような噂にも一寸の根拠あり、ですよぉ~」
「火の気も無い所にわざわざ火をつけて回ってるのは、どこの悪戯なワンちゃんかしらね?」
「うー、ワンワン!」
皮肉を言っても、まるで懲りた素振りも見せない。
(リオネルさんかグイードの元締か、と言われてもねえ)
そんなことは一度も考えたことがないが、せっかくだから想像してみる。
区内でも五本の指に入る豪商を、影に日なたに支える妻。社交界でも数多の紳士淑女に囲まれて、舞踏会や茶会で優雅に振舞う自分――を、頑張って思い浮かべてみた。
残念ながら、あまりピンとくるイメージではなかった。
もしくは、裏社会を束ねる元締の妻。荒くれ揃いの若い衆に大姐さんと慕われ、一家を切り盛りする自分の姿は、割と鮮明に想像することができた。
それはそれで悲しいが。
「今、この辺りじゃ、それで賭けが始まっているくらいですからね~。ちなみに下馬評では、わずかにリオネルさんがリードの模様ですけど、どうでしょう?」
自身の妄想にうんざりしたリサには構わず、ロッテは嬉々とした様子で話を続けてくる。どうでしょう、と言われても答えようがない。
「勝手に賭けにしないで欲しいわね。お二人とはただの仕事上のお付き合いよ」
「ええぇー、それじゃ困りますよぉ。賭けが成立しないじゃないですかぁ」
この話題を酒のつまみにして盛り上がっている連中には悪いが、事実なのだから仕方がない。むしろ当人に覚えのない恋愛話で勝手に騒ぐな、と叱り飛ばしたいところだ。
「どっちもハズレだから一のゾロ目で『蛇目』(スネーク・アイズ)、親の総取りってことでいいんじゃないの? 要するに私の一人勝ちってわけ」
冗談めかして肩をすくめてみたが、
「えっ、でもそれって逆に『負け組』って感じもしますけど~」
「大きなお世話よ!」
ああ言えばこう言う、本当に口の減らない娘だ。
それにしても今日は疲れている。何より空腹と眠気が耐え難い。
用件はさっさと済ませてしまいたかった。
「ま、どうでもいいわ。情報料、後金を受け取りにきたんでしょ?」
「はい~」
満面の笑みを浮かべると、チャームポイントと自称する八重歯が顔を覗かせた。
だが、リサが懐から銀貨を取り出そうとすると、途端に不服そうな面持ちに変わる。
「ああん、ダメですよぉ。そんな、道端で手渡しだなんてそっけないなあ。『カモメの歌声亭』で一杯奢ってくださいよ~」
「……あのね、何で私が貴女に奢らなきゃいけないのよ」
「えっ、年長者がいたいけな年少者を可愛がるのは世の習い、持つ者が持たざる者に富を与えるのは神の思し召しですよ。ご存知ありませんでした?」
長身のリサを見上げながら、立てた人差し指を振りつつ説教をしてくる。
色々とツッコミどころが多すぎるが、どうせ倍にして言い返してくることは目に見えている。口では勝てそうにもないし、疲れが増すだけだ。
リサは観念して、彼女に一杯振舞うことにした。
(続く)
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