ヒメミコ伝異聞譚その弐 名門の悪鬼

神村律子

序の章 後始末の始まり

 時は大きく動いていた。

 江戸時代末期。長い泰平の世の眠りを覚ましたアメリカ合衆国の蒸気船。人々は恐怖し、混乱し、残酷になった。幕府軍と新政府軍の戦いは激烈を極め、千年王城京都の町が燃えた。大路が血に染まり、怒号が飛び交う。


 やがて混乱は終息に向かい、新しい世が生まれた。明治維新。日本史上稀に見る政変である。

 変わったのは政治体制だけではない。庶民の暮らしも、士農工商の身分制度も変わった。威張っていた武士達が、突然無職の人間になり、貧乏だった一介の浪士が政府の要人に迎えられる。何もかもが劇的に変わった時代。それが「明治」であった。


 そのような時の流れにまるで逆らうかのように変わらない存在があった。小野宗家。神代の昔から継承されている姫巫女流古神道の家系である。

 小野家も、外目には変わらないように見えていたが、実は内部では大きな変革が起こっていた。

 幕末。小野分家の異端児である小野源斎が、禁呪とされている黄泉路古神道を修得し、宗家を滅ぼそうとした。宗家の当主であった栄斎は源斎にその肉体を乗っ取られ、栄斎の子三人は皆、源斎の使う黄泉剣で斬られ、消滅してしまった。もはや宗家は滅ぶかと思われたが、末子である楓が源斎を打ち負かしたのだ。実は栄斎が本当に跡継ぎにしたかったのは、その楓だったのである。只、小野一門の古くからの仕来りで、女は継承者となれないため、楓は気楽な立場だったのだ。

 源斎に跡継ぎを殺戮されてしまった宗家は、楓を継承者とするか、分家から養子を取り、跡継ぎとするかを決めなければならなくなった。しかし、宗家に残ったのは、多くの使用人と楓、そして長男徹斎の子、亮斎と享斎のみである。近隣の分家衆が宗家に集まり、日本中の分家に呼びかけた。事は一刻を争った。天皇家が、京を出て、江戸に移る可能性が出て来たのだ。天皇家を陰で守護する小野宗家も、もし天皇が江戸に移るなら、同行しなければならないのだ。それ故、分家の長老達は焦っていた。

「楓様が宗家を束ねるがよろしいかと存じます」

 第一分家である出雲分家の後継者で、宗家後継候補でもある小野おの耀斎ようさいはそう言って自らの養子縁組を否定した。彼は幼い時から楓に恋心を抱いており、宗家の養子となり、楓を奥方に迎えるという好条件に心が揺らいだが、実力も人望も遥かに上の楓を押し退け、自分が後継者に納まるのは何とも居心地が悪かったのである。そして、楓が後を継げば、新しい世に相応しい宗家にしてくれるとも思っていた。それに亡き徹斎の忘れ形見である亮斎と享斎を廃嫡にするのも忍びなかったのだ。

「困ります。私など、そのような大役、務まりませぬ」

 ところがその耀斎の案に一番否定的だったのが、当の楓であった。彼女は今の立場がいいのだ。宗家の継承者になりたいなどと思った事もないからだ。それに彼女自身、耀斎の父である晋斎から耀斎の思いを聞き、耀斎を意識し始めていた。

(耀斎様は、私と夫婦めおととなるのがお嫌なのかしら?)

 彼女はそう思い、悲しんでいた。二人の思いはすれ違っていたのである。

「楓様は、亮斎様、享斎様のお立場をお考えではないのですか?」

 耀斎は楓の説得に乗り出した。自分が宗家を継げば、亮斎と享斎は継承者から外れ、分家に養子に出されてしまう事になる。それでもよろしいのかと。楓も、その話に顔色を変えた。自分の肉親の事に思い至れなかった我が身を恥じた。そして楓は耀斎の案を承諾し、長老達に話した。

 最初は渋い顔をしていた長老達も、亮斎と享斎が成長し、継承者となる日まで、楓が一時的に宗家を束ねるという案に納得した。何よりも、長老達は、楓の力を知っていたので、反対する事もできなかったのであるが。

「亮斎を江戸の宗家の継承者とし、享斎を新に京の小野分家の継承者とすべし」

 一門の集まりで決まったその事が、後の世で災いを招くとは、楓ですら予見できなかった。


 そして時はしばし下り、明治の御世、三年目となる。

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