ブギー・バック・ブギー

A子

ブギー・バック・ブギー

息が白い。

クソ甘い缶コーヒーをあけて、俺らは、残業の気だるさを糖分でねじ伏せる。

外の踊り場の空気は冷たくて、二徹の脳ミソをプレーンな状態に引き戻す。

ヨレた襟元が気持ちわるい。

ネクタイをさらに緩めて深い息をひとつ吐く。

サムい。

「なあ」

「あ?」

喫煙禁止札の下で火をつけようとしたコウノを呼び止める。

眼鏡が曇って顔は見えない。

胸内ポケに潰れたマルボロメンソールの蓋が閉まらないのをそのまま戻そうとする、のはわかる。

「あれって、タカスギの書いたとこだよな?」

コウノは手を止めて、宙に一瞬視線を逃す。

「・・・あぁ、そうかな?そうかも」

いい加減な返事を俺に投げ返して、うざったそうにまたライターを擦る。

五反田の3時は静寂が勝つ。


タカスギは先月退場した。

そしてそういう時に限って其奴にしかわからないポイントで、障害が発生する。

「まあ、よくあることじゃん?」

煮詰めたコーヒーの濁った匂いが風に乗る。


彼奴らから見た俺らは、きっと信じられないくらい「すごい人」なんだろう。

運用を取りまとめ、とりあえずの業務のつじつまを合わせ、その間にポイントを修正する。

試験運用をオフラインでテストして承認を取り付ける。

普通にやらせたら数日はかかるその道筋のショートカットルートを探して実行する。


はじめてこの仕事をやったときは、その流れすら把握できなかった。

コウノも俺もタカスギも同じだ。

俺らの倍の年齢の大人がざわつく中を俺たちは右往左往するだけだった。

だが今はざわつきを言葉で抑えこみ、疑念を技術で押し込めることができる。

あとは時間通りに稼働するのを見守るだけだ。


コウノはニコチンを体にとりこみ、ハイになる気分をごまかしている。

溜息のような吐き出しを恍惚の顔で、する。

そのかおに、俺の緊張が解ける。

急速に冷えていく金属缶の熱を両手に閉じ込めて、またひとくちコーヒーを飲み干す。


手すりによっかかるコウノは暗い空を見上げていた。

「あのころ、の、みらいに、ぼくらはたっているのかなあ」

ふと、空間に言葉をうかべる。

俺たちが、いや、この国の誰もが、よく知っているその歌が、暗黙に頭に浮かんだ。


そう、すべてが思うほどうまくはいかない。

だけど、どうにかなる。

そしてそれは、そんなに悪いことでもない。

思わぬ結果を招いてしまっても、そこからまた始めればいいだけだ。

そう思えるように、俺たちはなったんだ。

俺はそのとき、そう、実感した。


だが、その問いに答えも返さず、俺はコウノに視線を合わせて鼻で笑った。

「どの頃だよ?てかさ、お前あの頃就職もできてなかった」

伸びすぎた髪をサッカー選手のように束ねて、コウノが煙草の携帯灰皿を開く。

「そうだったわ、ごめん」

ニヤリとして俺たちは気分をほぐす。

残りのコーヒー汁を一気に飲み干し、凝った首を回して音を立てる。

『あのころ』肩こりとは無縁だったなんて今は考えられない。

「そろそろ戻るか?あいつデバッグ遅いんだよ、ぼちぼち手を貸さないと次のリリース時間に間に合わない」

「ああナマタメか?営業向きだよな。次の査定でそう書いとけよ。」

途中で煙草を折って灰皿に押し込めはじめる。


赤い光が地上からじわじわと漏れてくるのが見える。

緩んだネクタイを少しだけ上げて、俺は冷えた缶の縁を持つ。

何度目の朝かわからないが、次もコウノとこの太陽が見れればいい。

非常階段をカンカンという音を響かせて俺たちは現場に戻り始める。


夜明けは近い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブギー・バック・ブギー A子 @achildopener

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ