「品質の保障」リスク回避の本能

 市販の本というものは、出版されるまでに多くの人の手を渡っているわけで、淘汰されているものとされています。一定以上の水準を保障しているわけです、読者はそう思っています。


 Webで公開されている作品には、それがありません。


 なので、例えばランキング。これは、すなわち品質保証をしたという前提で見られるわけです。

 もちろん、趣味趣向の違いというものはあるでしょうが、例え趣味に合わなくとも品質を保証されているくらいですから、それなりに素晴らしいモノでなければ嘘でしょう。趣味とは違っても、最低限の良し悪しくらいは誰にだって判断できます。読者をナメてはいけません。


 この「誰にでも判断が出来る程度の良し悪し」が、最低限必要な技巧のラインです。これは小説に限らず、イラストだろうが漫画だろうが洗濯機だろうが変わりません。必要最低限がクリアされているか程度は、誰にでも判断が出来るのです。

 それ以上となると、それこそ読解力という話になり、読者自身にも能力が求められてしまいますが、ここで言うのはそれ以前の話です。


 Webで公開されているモノは、自作ゲームでもホームビデオでも何でも、誰でも公開出来ますので、そのクオリティというものはピンキリです。必要最低限をクリアしていない作品などゴロゴロしているわけです。


 必要最低限も出来てないようなモノを公開するなと言っているわけではありません。それは自由を侵します。見たくなければ見なければいいだけですが、さて、そうなると選別の労苦というものが付いて回るわけです。


 品質保証が何もない場合、読者は手動で、SNSに投稿された何万という作品を選別しなければなりません。一度、新着を上から順番に無作為に読み込むだけで自分の好みの作品を見つけようとしてみてください。


無理です。(笑


 せいぜい辛抱強い人で3ページも読み込めばギブアップするんじゃないでしょうかね。タイトルとあらすじだけとしても、その数は膨大で果てしないですから。そうなると、一定水準を満たしていない作品など端から読まないのだから省いてしまいたい、と思うのは人情ですよ。

 どんなに面白い内容が書いてあろうとも、文章が一定水準をクリアしていないのです、読みにくい、ストレスが掛かるのは目に見えている、いや、わけです。


 目に見える、文章力の低さによるストレス、そのリスクを推してまで読むべきでしょうか。保障はどこにもありません。


 カクヨムで問題になった相互評価のペテンは、つまり、ここに問題があるんです。


 文章力が低いというのは早期に発見できるリスクですが、面白いかどうかは、かなり読み込んでみない事には解かりません。相互評価でペテンに掛けられた人の中には、その評価を信用して、面白くもないのに「いつか面白くなるんだろう、」と希望を胸に抱いて、あるいは自分にはイマイチと思えるけれど「他の人は認めてるんだからそのうち解かってくるかも、」と自らを誤魔化して、不幸にもクソ面白くもない作品を洗脳状態で読み続ける、という事もあるかも知れません。


 そもそもランキング制度というものには欠陥がありまして、ような人々が読者層の大半を占めるジャンルに有利なのですね。


 じっくり考えてポイントを付けようというような人が読者の大半となるジャンルでは、ランキングに載るのは難しいでしょう。読者がポイントの付け渋りをします。


 そうなると、ジャンルの偏りが発生します。

 読者は、品質の保証を求めてランキングを望んだわけですが、現れてきたのはフィーリング次第で左右される人気コンテストの結果でした。

 これでは品質の良し悪しを判断する足しにはなりません。読者には二つの道が現れます。一つは、この場から去る決断。一つは、自分のフィーリングには合うから残る、という決断です。


 世間は多様化を見せていますが、SNS単体で見れば、一色に収斂されていくわけです。それがそのSNSの色ということになります。

 かつて、なろうがテンプレ異世界転移モノ一色だった、あれはどのSNSもいずれ向かう未来なわけです。


 そのSNSの環境条件によって変わってきますが。

 なろうは今後もテンプレ小説一色の状況は変わらないと思いますし、カクヨムもじわじわと公式押しの看板ラノベの系統に染まりつつあります。読者によって決まる部分ですから、読者の入れ替えが起きない限り、変わる部分ではないですよ。


 私はピクシブをメイン活動の場に据えていますが、あそこは各ジャンルが統合されることなく存続していくのではないかと考えています。


 流行次第の二次ジャンルがランキングを席巻しているので、逆に一色に収斂されていく流れは出来ないのですね、皮肉なことに。(笑


 作者も読者も少ないけれど、各ジャンルは安定して、各場で発展していきます。グループが統合され、肥大化すれば、当たり前ですがそのジャンル以外は廃れるわけですね。


 それがなぜイカンのかと言うと、恐竜が絶滅したとされる理由と同じです。多様性がないということは、そのジャンルの人気が衰退すれば、諸共全滅するしかないからです。他のジャンルは廃れていて、他の場所で発展しているレベルに追いつけない。


 世界が違うわけです。


 ラノベと一般文芸ではもはや技術論から違ってきてしまっているんじゃないか、と懸念します。読者の方でも読み方が違っているのかも知れません。

 そういえば私はラノベと一般文芸や文学では読む時のポイントが違っていますんで、他の方はどうなのかを知りたいところですね。


 ラノベは、整合性だの矛盾だのは無視して、面白ければそれで良し、と思ってみていますが、文芸寄りの文体であればラノベと銘打ってあっても容赦はしませんねぇ、そういえば。人によって違うんでしょうけどね。


 ラノベならラノベらしい事を求めますし、文学文芸なら文学文芸らしいものでなければ認めない、というだけですから他の方も同じだろうとは思いますが。


 型破りな作品は絶賛しますが、それも従来を踏まえた上で見事に踏み潰してしまうからこその破天荒、ということですね。読者たる私はバカですので、あえて破ったものは「だが断る」とばかりに破った事を示してくれねば、ただの無知だと判断するわけです。そんなに賢くない、理解を読者に求めんな、ということです。


「品質の保証」で求める保証とは、ラノベならばラノベらしさ、文芸ならば文芸の基準を満たしていること、です。電撃文庫といえばラノベでしょうが、コバルトはラノベのですね。レーベルが培ったイメージであり、それは読者の要求で強固に塗り固められているから、提供側が足掻いても無理ですよね。


 だから応募レーベルは大事だ、と、そこへ無理くり繋げて終わります。(笑

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