スリップリー

進常椀富

第1話美少女だらけの寝起き大会

 ガラガラと音を立てて部屋の窓が開けられた。朝なんだね。

 朝のために、窓の鍵を外してから寝る。それが僕の日課の一つ。

 だって、そうしないと僕は伊緒いおに起こしてもらえないし、伊緒は僕を起こせないし。


 小見川伊緒おみがわいおの優しげで落ち着いた声が、窓辺から僕の名前を呼ぶ。

明人めいとく~ん、おはよー」

 高田明人たかだめいとたる僕はもう目覚めてたけど、もちろんまだ起きない。


 伊緒がごそごそと部屋の中に入ってきた。

「明人く~ん、お・は・よー!」

「う~ん……」

 僕は寝返りを打ってうつ伏せになる。

 若干斜めになって伊緒に背中を向けておくんだ。

「もう、明人くん!」

 伊緒がベッドの横に膝をついて、僕の身体をひっくり返そうと、腕を伸ばしてのしかかってきた。

 僕の背中に、伊緒のふくよかな胸が押し付けられる。


 そうそう。

 

 僕の起床スイッチってのはちょうどそこらへんにあって、だいたいその重さと柔らかさでソフトタッチされると、なんとかスイッチが入るんだよね。


「よいしょっと」

 と、伊緒にひっくり返されたので、僕は目を開けて挨拶する。

「おはよう、伊緒。毎朝ごくろうさまです」

 相変わらず、朝の伊緒はばっちりだ。

 薄く茶色がかった髪は綺麗に分けられているし、大きな目はぱっちり。

 半袖シャツの上に着込んだベストもこんもり盛り上がって、もうその張り具合が朝ーって感じだね。

 彼女は隣に住む幼馴染で、幼稚園からずっと同じ学校に通ってきた。

 高校生の今もそう。

 優しくて落ち着いていて、たまに同い年だとは思えなくなる。

 例えばそのおっぱいの大きさとか。

 今現在のことを言えば、僕は十七歳で、彼女は十八歳なんだけど。


 伊緒はちょっと呆れたような目をして言った。

「もう、甘えんぼさんなんだから」

 僕は身体を起こして言葉を返そうとしたけど、それより早く部屋のドアの辺りから声が届いた。

「甘えんぼっていうかさー、だらしないだけなのよ、コイツは」

 声の主は、伊緒と同じ制服を着た金髪碧眼の少女、高田リサだ。

 リサは薄い胸の上で腕を組んで、開いたドアの枠に寄りかかって立っている。


 彼女は僕と同い年の従姉妹なんだけど、お母さんがポーランドから来た人で、まあ言うなれば遺伝の成功例。

 サラサラの長い金髪はツインテール、透き通るような青い瞳にナチュラルで赤い唇。

 その上黒いニーソックスを愛用してるもんだから、線は細いけど、男子からの人気は相当高い。

 同じ高校に通うために、親元から離れて僕の家に住んでいる。

 進学率がいいとか、制服が気に入ったとか、いろいろ理由があるんだって。

 ちなみに日本語しか喋れない。


 リサが部屋に入ってきながら言う。

「毎朝、大変なことしなくてもいいよ伊緒ちゃん。甘やかすとつけあがるし。あたしが蹴飛ばして起こすから」

 伊緒に負けず劣らずの美少女とはいえ、コイツは口が悪い。

 伊緒がにこやかに言葉を返す。

「もう日課だから大変じゃないよ。リサちゃんいつからいたの? 私、全然気付かなかった」

 だけどリサは僕を見ながら答えた。青い目が蔑むように細められている。

「明人が邪な目的をもって、寝返りを打ったあたりかな」


 ぐ。

 何を言うつもりだリサ?


 伊緒が小首をかしげて言う。

「よこしま?」

「あたし知ってるんだ~、明人の起床スイッチって背中に付いてるのよね? 目が覚めてても、それを押してもらわないと起きられない。伊緒ちゃんのおっぱいで」

「え、え~っ!? え~っ!?」

 伊緒が真っ赤になって自分の胸を押さえた。

 リサは冷たく僕の反応をうかがっている。


 コ、コイツ、僕の内的宇宙の秘密をどこまで知っている!?


 僕は一矢報いてやりたくなった。

「リサ、それは誤解だよ。ありふれた何でもない事象が、君にはそういう風に見えてしまうんだね。ネガティブな心根が真実を歪めてしまう。そう、例えば、持たざる者の僻みとか!」

「誰が貧乳よ!」

 リサが目尻を吊り上げる。僕、そこまで言ってない。

「アンタ、まだ目が覚めてないようねっ!」

 リサは言うのと同時に、右の回し蹴りを放ってきた。

「あぶっ!?」

 黒ニーソのつま先を、僕はなんとか避けられた。

 短いスカートの中身は白だったか。

 思いがけぬ眼福の余韻を楽しむ間もなく、渾身の蹴りを避けられてバランスを崩したリサが倒れかかってきた。

 僕とリサは同時に声を上げる。

「エッ?」

「えっ?」

 そして、リサの前歯と僕の前歯が当たってガチッと音を立てた。

 唇と唇は、それはもうぺったりとくっついてたね。


 金髪美少女に押し倒されてモーニングキーッス!


 このシチュエーションは悪くないけど、これからが怖い。

 でもリサの反応は意外だった。

 僕が身動きできずに見つめる青い瞳の下に、涙が盛り上がってきたから。


 リサはがばっと身を起こすと、抗議するように叫んだ。

「初めてはロマンチックにって……決めてたのにっ!」


 横から伸びてきた伊緒の腕が、僕のパジャマの襟を強くつかんだ。

 伊緒は僕の身体を正面に向かせると、上目遣いでにらみつけ、ただただ無言で僕を揺さぶった。

 出力は百パーセントだろうか。侮れない力の強さとスピードだ。

「も、も、も、も、も、も、も」

 もうやめてあげて、ムチウチになっちゃう! と言いたかった。

 リサが踵を返して、部屋の出口に向かいながら涙声で言う。

「おばさんに言いつけてやるからー!」

「リ、リ、リ、リ、リ、リ、リ」

 不穏なことになる前にリサを止めたかった。

 だけどリサは自ら動きを止めた。彼女は部屋の出口から一歩後ずさる。

 ぶいん、ぶいんと強力そうなモーター音が聞こえると、伊緒も僕を揺さぶるの止めてくれた。

 リサがさらに一歩後下がって、うわずった声を出す。

「ま、真陽奈まひなちゃん?」

 

 ノースリーブの青いワンピースを着た真陽奈が、ずいっと部屋の中に入ってくる。

 真陽奈は小学六年生になる僕の妹だ。

 だから名字はもちろん高田。

 ただでさえ量の多い黒髪を腰まで伸ばしている。

 何度か理髪を勧めてるんだけど、願掛けしてるから切れないって言う。

 六年生に上がってからは毎晩夜更かししてるようで、いつも目の下に黒いクマがある。お兄ちゃんとしては心配なんだけど。

 もちろん僕に関わる女の子の常として、真陽奈も可愛い。

 どことなく漂う黒いオーラも彼女の魅力の一つだよ、というのは兄バカかな?


 真陽奈は今、その手に小型のチェーンソーを持っていた。

 赤と黄色のプラスチックでできたボディはおもちゃっぽいけど、刃は暴力的に高速回転している。


 僕はちょっと唾を飲んだ。

「真陽奈、それ、なんか危ないんじゃないの?」

 真陽奈はそれに答えず、いつも通りに抑揚のない平板な口調で言った。

「朝からサカってんじゃねー、メス犬どもがー(棒」

 チェーンソーをぶいんぶいんいわせて、リサに突っ込んでいく。

「危ないでしょっ!」

 リサがかわしても真陽奈はまっすぐ、今度は伊緒に向かう。

「おまえもだー、ちちうし女がー(棒」 

「ちょっと、真陽奈ちゃん!」

 伊緒も素早く立ち上がって避けた。


 それから軽く阿鼻叫喚。ぶいんぶいん、ドタバタと。


「真陽奈ちゃん、いい加減にしないと……」

「危ないって、危ないって言ってるでしょ!」

「うるせー、血まみれの朝を迎えさせたるわー(棒」


 三人で追いかけっこするもんだから、もう部屋の中は滅茶苦茶。

 こういうのを修羅場っていうのかもしれない……。

 流石の僕も傍観できなくなって立ち上がったとき、ちょうど真陽奈の背後を取れた。

 真陽奈の両肩をぐっと抑えて動きを止める。

「危ないだろ、真陽奈」

 真陽奈はぐるっと振り向いて言った。

「大丈夫よ、お兄さまー。子供用だからー(棒」

 にこやかに言いつつ、僕の顔にチェーンソーを突きつけて刃を回転させる。

「いでででででででっ!」

 切れはしないが、すごく痛い。

 こんなおもちゃ、どんな会社が販売してるんだろう。

「真陽奈ね、徹夜で出力アップしたのー。すごいでしょ、お兄さまー(棒」

「すすすすすご、すご、すごいでででででっ!」

「真陽奈がいるのに、他の女にデレデレしてんなよー?(棒」

「まひひひひひひひひひひな」

 伊緒が助け舟を出してくれた。

「もうそれぐらいにしておいてあげれば、真陽奈ちゃん?」

「従姉妹にキスするような変態だけど、顔がなくなっちゃったら困るしねー」

 リサ、それは余計だ。

 真陽奈はより強く、ぐりぐりとチェーンソーを押し付けてきた。

「今に、妹にキスして喜ぶようなド変態に育てあげたるわー(棒」

「おおおおおおおおおっ?!」 

 僕の叫びが届いたのか、階下からお母さんの大声がした。

「いつまで遊んでるの! 伊緒ちゃ~ん、三人を連れてきてちょうだい。朝ごはん冷めちゃうわぁ」

「はーい!」

 伊緒が返事するのと同時に、真陽奈はきわめて冷静にチェーンソーを止めた。

 お母さんを怒らせるのはマズイと判断したようだ。

「メシだー、メシだー(棒」と、何事もなかったかのように部屋を出て行く。

 リサがちらっと僕を見てから後に続いた。

「食べたら、今日は念入りにハミガキしなくっちゃー」

 伊緒がにっこりとして言う。

「明人くん、ゆっくり着替えていいからね。今日は朝ごはん抜きだから!」

 音高くドアを閉めると、伊緒も行ってしまった。

 習慣で、伊緒もウチで朝飯食べるんだ。


「ふう……」

 思わずため息をつく。

 僕はたっぷり睡眠をとって、ただ目覚めただけ。

 それなのに、この疲労感はなんなんだろう?

 いつもより、ちょっとアグレッシブな寝起きだった。

 まずは……メガネ、メガネ……。

 と、メガネを探しそうになって正気に返る。

 僕は視力がいいし、生まれてこの方メガネなんてかけたことはない。

 でもたまに、ふとした拍子にメガネを探そうとしてしまうことがある。

 メガネに対する憧れでもあるのかな? まぁいいや。

 あの元気無尽蔵な三人に振り回されてたら、静かで知的なイメージのメガネっ子に、憧れも抱くよ!


 僕は自分を納得させると、もそもそと着替え始めた。

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