第523話 枝葉と新芽➄

 そうして一時間ほど経過した。

 場所は森の奥。

 そこにはひっそりと小屋が立っていた。


 窓から灯は見えない。

 しかし、そこには人がいた。

 簡素なベッド。その上に裸体のザーラが座っていた。

 片膝だけを屈めて窓の外を見やり、物思いに耽っている。

 隣にはエリスの姿もある。

 彼女も裸体だった。うつ伏せになって玉のような汗を全身に光らせていた。

 体力の限界か、今は寝息を立てている。


(あと一時間ほどかね)


 リーゼが発症するまでの時間だ。

 ひとたび発症すれば、リーゼは狂戦士と成る。

 リミッターが外れた力で目に映る者をすべて殺そうとするだろう。

 リーゼの護衛たちは彼女を取り押さえようとするが、鎧機兵を使ってまでという判断は出来ないはずだ。

 生身で狂戦士と成ったリーゼを取り押さえることになる。


(恐ろしい話だね)


 ザーラは横で眠るエリスを見やる。

 彼女の長い髪を、ひと房ほど手にとった。

 つい先程までエリスは自分の腕の中で甘い声で鳴いていた。

 キスをおねだりするところなど本当に愛らしい。


 今ではエリスも自分の可愛い女だった。

 だが、発症したあの時のエリスには、ゾッとしたものだ。

 鎧機兵でなければ、とても取り押さえられなかった。

 あのエリスは人型の魔獣だったとも言える。


 それはリーゼも同様のはずだ。

 賭けに成功すれば、リーゼは厄介な護衛たちを皆殺しにしてくれるだろう。

 その後に、リーゼを回収すればいい。


(けど、タイミングが重要だね)


 皆殺しにした後、リーゼがそのまま姿をくらませる可能性もある。

 早めに合流して、その結末を見届けるのがベストだった。


(そのためには、まずフェイと合流したいところだね)


 色々とフェイにも相談したい。

 フェイの方にも何かしらの異常事態があったはずだ。

 そうでなければ、ここに撤収する信号弾など撃たない。

 一体何があったのか。

 それも確認しておきたかった。


(まあ、それだけじゃないんだろうけどさ)


 ザーラは嘆息してボリボリと頭を掻いた。

 正直に言えば、不安を感じているのだ。

 フェイと別行動する時はいつもこうだった。

 どうしても重ねてしまうのだ。

 師が去ったあの日のことを。


(情けねえ。あたしは乙女か)


 ――いや。

 結局のところ、彼の前では乙女なのかもしれない。


(こんなんだから捨てられんのかねえ)


 どうして師がいなくなったのか。

 それは今でも分からない。

 しかし、フェイならばそれに答えられるような気がした。

 ただ、恐ろしくて一度も訊いたことはないが。


(ああ、女々しい。女々しいね)


 ザーラはうんざりした。

 再びエリスに目をやる。

 疲れ切ったエリスには悪いが、ここはもう一戦お願いするか。

 そう考えていた時だった。


 ――コンコン。

 窓がノックされた。

 ザーラが目をやると、そこには黒衣の男がいた。

 愛しいフェイだ。


「――フェイ!」


 思わず少女のような瞳を輝かせて、ザーラは窓を開けて身を乗り出した。

 ぶるんっと剥き出しの豊かな胸が揺れるが気にもしない。


「無事だったんだね。良かったよ」


 純粋な笑顔を、フェイに見せていた。


「酷い目には遭ったがな」


 一方、フェイはフードを脱いだ。

 二十代後半の彫りの深い顔立ちと、灰色の髪が露になる。


「山賊どもは全滅した。あっさりと殲滅されたよ。私としてはそこで仕切り直すつもりだったのだが、その直後に例の白き騎士が乱入して来た」


「うわ。マジかい」


 ザーラは眉をひそめた。


「白き騎士には執拗に追われたよ」


 フェイは小さく嘆息した。


「虎の子の三体も導入してようやく逃走できた。あのままでは、私自身が戦わねばならなかっただろうな」


「やっぱ強いね。あいつは……」


 ザーラは神妙な声で呟いた。

 それから今度は自分の方の話をする。

 リーゼ=レイハートに『忘芽種ワスレナ』を投与したことも。

 すると、フェイは「それはまずいな」と眉をしかめた。


「奴らの一行には何故か《水妖星》がいる」


「……すいようせい?」ザーラは小首を傾げた。「誰だいそれは?」


「……それは」


 フェイは一瞬言い淀むが、


「――――の主君の娘だ」


 ザーラにとって特別な男の名を出した。

 ザーラは「え?」と目を見開いた。

 それはザーラの師の名前だった。


「……フェイ。やっぱりあんた……」


「すまない。詳しくは語れない。いや、語りたくない」


 フェイは、はっきりと拒絶の態度を示す。


「だが、《水妖星》まで死なれるのは非常にマズイ。お前は、あの男の立場を悪くすることも怒りを買うこともしたくはないだろう?」


「……ごめん」ザーラは少し気落ちして謝った。「あたし迂闊だったかい?」


「構わないさ」


 フェイはザーラの両肩を左右から掴んだ。

 そして、そのまま腕の力だけで大柄な彼女を窓から外へと連れ出した。


「ザーラレット」


 裸体の彼女をフェイは強く抱きしめる。


「お前はお前の望むままに生きればいいのだ」


 言って、彼女の髪を撫でる。

 それに対し、ザーラは少し頬を膨らませた。


「やっぱりあんたはあたしに過保護だ」


 ただ、ぎゅうっと強く彼の背中を抱きしめていたが。


「失敗したらちゃんと叱ってよ。夜の時とかでもいいから」


「ならば、それは今度の時にしよう」


 裸足の彼女を、フェイは横に抱き上げる。


「今は《水妖星》の件が先だ。彼女を死なせることだけは最悪だ。あの男への心証もそうだが、それ以上に途方もない怪物の尾を踏むことになるぞ」


「そうさね」


 フェイの首に両腕を回して、ザーラも頷く。


「今ならまだ間に合うね。ただ、どう転がっても戦闘は避けられない気がするね」


「……ああ。そうだな」


 フェイが頷く。


「私の手駒も少なくなった。いささか戦力不足か」


「そうさね。なら」


 ザーラは双眸を細めた。

 そして、


「待機させているあの子たちも出番さね。フェイ」


 彼女はニヤリと笑った。


「いよいよ、あたしの兵団を動かすよ」


 森の中に梟の声が響いた。

 長い夜はなお続く。


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