第517話 放浪の騎士、再び➄

(――マズイ!)


 森の上空でコウタは表情を険しくしていた。

 空中に飛ばされたのは、そこまで危機ではない。

 木の枝を利用すれば衝撃は殺せる。それが無理でも着地の際に足、背中、腕と衝撃を徐々に逃せばいいだけだ。


 問題なのはこの戦況だった。

 まさかの魔獣の襲撃。

 あまりにあり得ないことだったので反応が遅れてしまった。


 ――魔獣。それは《悪竜》の眷属とも呼ばれている。

 かつて《夜の女神》に敗れた《悪竜》の返り血を受けて変貌した獣たちが租であるという伝説があった。


 それが真実なのかはコウタには分からない。

 零号ほんにんに聞けば分かるかも知れないが、聞く機会もなかった。

 ただ、分かっていることは、魔獣のほとんどは極めて攻撃的で狂暴であることだ。


 過去、魔獣の戦闘力に目を付けた者はいる。

 幼体を捕らえて飼育し、飼い馴らすことを考えたのだ。

 しかし、幼体までは飼育も可能だが、成体は無理だった。幼体の頃から愛情を注ぎ、どれほど真摯に飼育しても、逆に徹底的な調教を施したとしても、どの魔獣も成体になればあっさり襲ってくるのである。一体何人の人間が殺されたことか。


 識者は言う。

 魔獣は人間に愛情など感じない。

 幼体時に襲ってこないのは充分な牙や爪がないからだ。

 狩りが出来る成体になるまで利用しているだけに過ぎないと。

 だからこそ、魔獣の使役は不可能だと言われてきた。


(けど、あいつは……)


 視界の端には、コウタを襲った魔獣の姿がある。

 何度も跳躍してコウタを追ってきているのだ。

 明らかに使役されていた。


(分からない……けど今はッ!)


 コウタは、ギリと歯を軋ませた。

 こうしてコウタが引き離されてしまった以上、リーゼは一人になってしまった。

 リーゼは強いが、あの二人もまた相当な実力者だった。

 特に眼帯の女の方は、かなり危険だとコウタの直感が告げていた。


(急いで戻らないと!)


 と、その時だった。

 街道側から黄色い煙が撃ち出されるのを目にする。


(信号弾?)


 コウタは眉をひそめた。

 だが、街道という連想ですぐにハッとする。


(そうか! リッカに連絡すれば!)


 遠話を失念していた。

 コウタはすぐに心の中で念じた。


『リッカ! 聞こえる!』


『ッ! 閣下!』


 リッカは即座に反応してくれた。

 コウタは説明を省いて告げる。


『リーゼが孤立した! 応援を頼む! 敵は二人だ!』


『承知しました!』


 リッカは迷いなく応じる。


『エルならリーゼの居場所も分かるから! 最低二人で頼む! そして――』


 コウタは一心不乱に追ってくる魔獣を見やり、


『リッカ。抜剣するよ』


『ッ! 承知いたしました!』


 これにもリッカは応じる。

 空中で風を切るコウタは、小さく息を吐いた。

 そして――。



 場所は変わって街道。

 圧し潰された馬車の残骸が散らばる場所で。


「非常事態です!」


 山賊どもを手分けして拘束していたジェイクたちにリッカが叫ぶ。


「閣下から連絡がありました! リーゼさまが孤立したそうです!」


「――なんだって!」


 ジェイクが表情を険しくした。

 リッカも険しい表情で言葉を続ける。


「敵は二人! リーゼさまはお一人です!」


「お嬢はどこにいる!」


 ジェイクがそう叫ぶと、リッカはエルの方に目をやった。


「閣下が姫さまなら居場所が分かると……」


「そうか!」


 エルが自分の左目に触れた。


「確かに分かる! 少し待て!」


 そして彼女の左目が金色に輝き始めた。

 生物の『強さ』を探知する彼女の異能だ。

 森に目をやると、そこに強力な『強さ』を三つ感じ取った。


「見つけたぞ! 『強さ』が三つ! 多分一つがリーゼだ!」


「よし!」


 ジェイクはリノに目をやった。


「オレっちと姫さんが行く! ここはリノ嬢ちゃんに任せていいか!」


「ああ。構わぬ」リノは頷く。


「先程の怪しげな男はわらわとは敵対したくないという話じゃしな。ここはわらわが残った方が安全じゃろう」


「おし! 姫さん! 案内頼む!」


「了解だ!」


 言って、二人は森の中へと駆け出した。

 残されたのはリノとメルティア。アイリとアヤメ。困惑しつつ山賊の拘束を手伝う御者の青年と、拘束した山賊を一ヵ所に運んでいくゴーレムたちだった。


「……リーゼ」


 メルティアが不安そうに呟く。


「大丈夫でしょうか? それにコウタはどこに……」


「ご安心を。メルティアさま」


 そう告げるのはリッカだった。


「閣下の居場所は分かりませんがご無事です。そして――」


 そこで自分の胸元に片手を当てた。


「今、閣下より抜剣の命を賜りました」


「―――え」


 メルティアはリッカを見つめた。アイリたちも彼女に注目する。

 すると、リッカの胸元を中心に転移陣に似た光の陣が展開された。

 そこから突き出してくるのは黒い剣の柄だ。

 リッカの胸元からゆっくりと引き抜かれたのは黒い斧剣。


 ――断界の剣ワールドリッパ―。魔王の剣だ。


 リッカは剣に告げる。


「閣下の元へ」


 直後、断界の剣ワールドリッパ―はその場から消えた。

 メルティアは目を丸くした。


「え? 今のはコウタの剣ですか? どこへ?」


「剣は閣下の元へ行きました。抜剣は閣下が離れていても自在なのです。納剣は閣下がおられないと出来ませんが……」


 リッカの説明にメルティアは目を瞬かせた。


「そういうシステムなのですか?」


「はい」リッカは首肯する。


「それなら私も一つ聞きたい、のです」


 未だ金棒を片手にアヤメが問う。


「さっきからリッカは少し変なのです。どうしてリーゼが孤立したことが分かったのです? コウタ君から連絡とは何です? 抜剣も唐突だった、のです」


「ふむ。確かにそうじゃのう」


 リノもあごに手をやって言う。


「お主の剣幕からして出鱈目のようには思えぬが……」


「あ。それは……」


 リッカはまだ説明していないことに気付いた。


「その、声が聞こえるのです。閣下のお声が。どうやら離れていても、私は閣下と意思の疎通が出来るようです。護剣獣の異能だと閣下は仰ってました」


「……え?」リッカの言葉にアイリが目を丸くする。「……じゃあ、リッカって常にコウタとホットラインで繋がっているの?」


 アイリの問いかけに、リッカは少し視線を逸らして、


「は、はい。そのようです」


 頬を赤くして頷く。

 気まずいのか、もじもじと指先を動かしている。

 全員が沈黙した。

 そうして、その場にいるすべての悪竜の花嫁たちは思った。


 ……護剣獣っていいなあ。

 あまりの特別感にそう感じる花嫁たちだった。


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