第464話 彼は静かに怒る②

 深い森の中。

 一人の男が進む。

 ダイアン=ホロットである。

 ここは焔魔堂の周辺の森の中だった。

 ホラン=ベース探索の名目でダイアンもこの場にいるのである。


(これもマッチポンプになんなのかね?)


 クツクツと笑う。

 捜索というよりも散策。

 そんな趣で、ダイアンは陽気に歩き続ける。

 微かに鼻歌も口ずさむほどだ。

 すると、


「……グルルゥ」


 不意に唸り声が聞こえる。

 目をやると、そこには一頭の大熊がいた。

 魔獣でもないただの獣だ。

 しかし、鎧機兵もなしで挑むには厳しい相手でもある。


「飢えてんねえ……」


 ダイアンは親し気に笑った。

 そしてクイクイと手招きをすると、


「ガアアアアッ!」


 大熊は一気に駆け出した!

 そしてその勢いのままダイアンの前で立ち上がると、爪を振り下ろす!

 ダイアンは回避しない。

 代わりに双眸が紅く輝いた。

 途端、爪を振り下ろした姿勢で大熊の動きが止まった。


 ――時間停止能力。

 ダイアンが黄金の少年から与えられた権能だ。


 しかし、これには幾つか使用条件がある。

 ダイアンは大熊の背後へと移動した。

 直後、爪が空を切る。


「ガウ?」


 大熊は困惑していた。


 ――ルール1。

 停止できる時間は最大で三秒間まで。


「ガアアアッ!」


 獲物を見失った大熊だったが、優れた嗅覚ですぐに居場所を突き止める。

 背後に向けて爪を薙いだ。


「おっと」


 今回、ダイアンは後方に跳んで回避した。


 ――ルール2。

 連続使用は極力避けること。連続使用は回数を重ねるたびに脳に強い負担がかかる。インターバルには十秒ほどあけた方がよい。


 ダイアンは、大熊の猛攻を回避し続ける。

 そして十秒経過。再び時間停止の権能を使用する。

 大熊の動きがピタリと止まった。

 ダイアンは抜剣して、大熊の腕を斬りつけるが、

 ――ギィン!

 金属を斬りつけたような音が響く。

 ダイアンは舌打ちした。


 ――ルール3。

 時間が停止した世界には一切干渉できない。


 この権能の最大の欠点である。

 要は、停止した相手に攻撃は通じないのだ。

 それどころか、停止前に自分が身に着けていた物以外は動かすことも出来ない。

 本来は柔らかい材質だとしても絶対に変化しない剛体と化す。

 森の中ではかなり危険でもある。なにせ、停止前なら踏み潰せる草木でさえ、鋭利な形状をしていればブーツに食い込む刃となるからだ。

 このルール3には、ダイアンも最大の配慮をしていた。

 うっかり何かに触れて怪我をするなど愚かすぎることだ。


『結局、時間停止で使えるのはひそひそ話ぐらいなんだよね』


 というのが、黄金の少年の弁だ。

 戦闘にならば有利なポジショニングにも使えるとダイアンは思うのだが、黄金の少年はどうやら自分と同格の化け物を――時間操作対策とやらをしている相手を想定しているらしく、あまり意味がないそうだ。


(まあ、そんな化け物同士の話なんてどうでもいいさ)


 化け物以外の相手ならば何の問題もない。

 ダイアンは停止した世界で大きく跳躍して大熊から間合いを取った。

 いかなる能力も使い方次第である。

 ダイアンは走り、大きな木の下にまで移動する。

 同時に時間が再び動き出す。

 大熊はまたしても獲物を見失うことになったが、すぐに見つけて四足で走り出した。

 ダイアンは、ニヤニヤ笑うだけで回避しようとしない。


 大熊は走り続ける。

 今度こそ逃がさないという勢いだ。

 しかし、獲物は再び直前に姿を消した。


 ――ドンッ!

 大熊は大樹に正面からぶつかった。

 衝撃にフラフラと後ずさると、


「ホラン」


 男の声が響く。


っちまいな」


 そう命じた。

 直後、大熊の頸から鮮血が散った。

 刃が脛骨に深々と食い込んでいく。木の上に何かが潜んでいたのだ。

 それを理解することもなく、大熊は絶命した。


「くははっ」


 ダイアンはあごに手をやって笑った。


「我ながら惚れ惚れする仕上がり具合だなぁ」


 倒れ込んだ大熊。

 その前には、短剣を手に持つ一人の女性がいた。

 黄色い髪に漆黒のマスク。そして肢体に密着する黒いボディスーツ。最大の特徴は剥き出しになった肩と背中。特にその背中だった。

 そこには背中全体に這うような巨大な黒い蛇のタトゥーが刻まれていた。


「…………」


 彼女は無言だ。

 何の感慨もなく、自らが殺した大熊の前で佇んでいる。


「意図せずに試運転は出来たか」


 ダイアンは言う。


「そんじゃあ、そろそろ俺は動く。お前も計画通りに動けよ」


「……はい。ダイアンさま」


 彼女は背中を向けたまま頷いた。

 ダイアンは歩き出した。


「さて、と」


 蛇のような双眸を細める。


「お姫さん。いよいよあんたを俺のモンにすっか」


 そう呟いて、クツクツと笑った。











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