第三章 御前試合
第454話 御前試合①
そうして騒々しい一日が過ぎた。
焔魔堂と、聖アルシエド王国の会談。
それは双方のTOPたちの意向もあって、まだ穏和に始まった会談だったと言える。
しかし、最大の難題は、そのTOPたちの間柄だった。
なにせ、一国の姫君が立場さえも捨てて嫁入りすると宣言しているのである。
しかも《女神の誓約》まで用いた誓いだという。
そのことを、その場で聞かされた騎士たちは騒然としたものだ。
『姫さまっ!?』
『そこまでは聞いておりませんぞっ!?』
信仰厚き聖アルシエド王国の騎士としては当然の反応だ。
ただ、エルはかなり気まずげな表情で、
『すまない。うっかり言うのを忘れていた』
などと言っていたが。
一方、焔魔堂サイドは何の問題もなかった。
『おお、流石は御子さま』
『一国の姫君さえもその腕に納められるか』
相も変わらず大絶賛だった。
コウタとしては、のたうち回りたい気分だった。
特にお側女役という立場で同席しているメルティアたちの視線が痛い。
ともあれ、結果としては、停戦条約はどうにか結ばれる方向になった。
ただ条件として王国サイドから提示されたのがコウタとの模擬戦だった。
これには焔魔堂サイドも難色を示した。
コウタ自身は、それぐらい別に構わないと思ったが、焔魔堂の戦士たちにしてみれば不敬もいいところだ。ようやく纏まりかけていた会談も険悪になりかけた。
しかし、焔魔堂にとって御子の御言葉は絶対だ。
妥協案として、仕合うのは一名のみ。
聖アルシエド王国の選ばれたただ一人の騎士のみが相対する。
そう交渉し、同意することとなった。
明日の正午。御前試合を行い、それがいかなる結果であって関わらず、試合終了と共に停戦条約は結ばれる。それが会談の結論だった。
そうして会談は終了し、一同は解散することになった――。
夜遅く。
ホランはムラサメ邸の廊下を一人歩いていた。
庭園沿いの廊下は、月明かりで照らされている。
彼女の表情は暗い――いや、無表情に近かった。
意図的に感情を殺している。
そんな表情だった。
ホランは指定された空部屋の前で止まった。
「……私だ」
襖の奥へ向けてそう告げる。
が、返答はない。
まだあの男は来ていないようだ。
ホランは襖を開けて部屋の中に入った。
畳という特殊な床の和装の室内。比較的に小さな部屋だ。
各部屋に備え付けられているらしい異国の寝具が敷かれているが、そこには、やはりあの男の姿はない。
「……誰が寝具を敷いたんだ?」
そう呟くと、
「そんなの俺に決まってんだろ?」
――ぞわり。
背筋に悪寒を感じた。
(―――な)
いつの間にか。
あの男――ダイアンが、彼女の真後ろにいたのだ。
腕ごと体を抱きかかえられている。
ホランは、嫌悪感以上に強い恐怖を抱いた。
全く気付けなかったのである。
気配がなかったどころの話ではない。
こうして拘束までされているというのに、いつこうなったのか分からなかった。
「お、お前……」
唖然として後ろを向こうとするが、
「よう。今夜もよく来たな。俺の可愛いホランちゃんよ」
乳房を強く鷲掴みされて動きを止められる。
「よしよし。いい子だ」
ダイアンは、そのままホランの首筋を舐めた。
ホランの表情が苦悶で歪む。今度は恐怖よりも嫌悪が上回った。
「そんないい子なホランちゃんには、しっかりサービスしてやんなきゃなあ」
ケケケ。
ダイアンはいつも以上に上機嫌に嗤う。
「そんじゃあ今夜もお互い愉しもうじゃねえか」
そうして――。
…………………………。
……………………。
一時間後。
「お。ちょい変わった味だが、こいつはいい酒だな」
ダイアンは一人酌をしていた。
畳の上。裸で胡坐をかく。その手には一升瓶と小さな盃に握られている。
一方、ホランは布団の上にいた。
彼女も衣服を着ていない。汗まみれの肢体を剥き出しして横たわり、片腕で眼差しを遮っていた。その口元は今にも血を流しそうなほどに固く結ばれている。
「ケケ。いい加減に受け入れろよ」
ホランの方に視線を向けるダイアン。
「そっちの方が楽になんぜ。どう足掻いてももうお前は行き詰まりなんだしよ」
クイっと手酌をする。
「少し休憩したら続きをすんぞ。だからその前に用件は伝えとくぜ」
「……用件?」
顔を隠したまま、ホランは反芻する。
ダイアンは「ああ」と頷いた。
「明日の仕合、お前が出ろよ。ホラン」
「…………」
「あの小僧の力量を測るいい機会だしな」
「…………」
沈黙を続けるホラン。
が、ややあって唇を動かした。
「……無理だ」
一拍おいて、
「御前試合には恐らくゴルド=バイク上級騎士が出る。彼は陛下の忠臣であり、王国屈指の騎士だ。彼を差し置いて私が出ることなど出来ない」
「そこは交渉次第だろう」
手酌が面倒になったのか、ダイアンは一升瓶を直接口にした。
「あの小僧はまだ十代だ。なら世代が近いってことでお前が出ても不自然じゃねえ。お前は親衛隊のNO2だしな」
ゴクゴクゴク、と喉を動かす。
一升瓶の酒が勢いよく減っていく。
「なにせ、お姫さまはお前同様に《女神の誓約》ですでに奴隷宣言しちまった後だしな。信仰を捨てねえ限り、それは覆らねえ。結局この試合で何かが変わる訳じゃねえ。あの小僧を殺せるのなら話は別かもしねえが、バイクのおっさんでもたぶん無理だ」
よしんば殺せたとしても、そこで俺らも詰みだろうしな。
そう続ける。
「もうこの試合は意地以外に大した意味はねんだよ。そのことは親衛隊の小娘どもはともかく、おっさんどもの方は理解している。ならお前が出ても問題ねえはずだ」
ピチョンと。
最後の一滴を舌の上に落とす。
「…………」
ホランは無言だ。
「だから交渉してみる価値はあるぜ。明日の朝、直談判しな。さて」
一升瓶を畳の上に置き、ダイアンは這いずるようにホランに近づいていく。
その姿はまるで巨大な蛇のようだった。
そして、
「なあ、俺の可愛いホラン」
もう何も見たくない。そんな想いを表していたかのように、ずっと顔を隠していた彼女の腕を、ダイアンは強く掴んで無理やり上げさせた。
彼女は、せめてものと顔を反らした。
ダイアンはニタリと嗤う。
「まだまだ夜は長い。第二戦と行こうぜ。ホラン」
「…………」
彼女は何も答えなかった。
もはや涙も流さない。
そうして。
最悪の夜はなおも続く――。
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