第14部
プロローグ
第444話 プロローグ
(……ヌウゥ)
聖アルシエド王国の上級騎士。
ゴルド=バイクは呻いた。
周囲を一瞥する。
ザワザワザワ……。
森の中は今、騒然としていた。新人騎士たちはおろか、かつて陛下と共に幾度も戦場に立ったことがある同僚たちも動揺している。
だが、それも仕方がない。
この部隊の部隊長は殿下なのだが、彼は実質的な部隊長を陛下に任命されていた。
齢五十六。戦場において若き日より陛下の傍らに立ち、その実力は騎士団の中でも十指に入ると謳われているゴルドだが、彼でさえ、この事態は初めて遭遇するモノだった。
なにせ、突如、大いなる光の騎士が現れたのである。
光輪を背負って森の中を闊歩する巨大な姿。
あまりに神々しきその姿に、ゴルドも含めて、信仰厚き聖アルシエド王国の騎士たちは思わず目を奪われてしまった。
特に親衛隊の面々は一様に両膝をついて祈っている。
親衛隊はみな若い女性ばかりだ。
その光景はまさしく乙女の祈りである。
そんな中、ゴルドを筆頭にしたベテラン騎士たちは困惑していた。
実戦経験が豊富なゴルドたちであっても、この異常事態は掴みかねていた。
そうこうしている内にも、光の騎士は現れた岩蛇どもを一掃した。
見たところ、こちらには敵意を向けていない――もしくは見向きもしていないのか、いずれにせよ、あの光の騎士は敵ではないと思われる。
しかし、それはあくまで状況判断だ。
唐突にこちらに攻撃を仕掛けてくるかも知れない。
巨人を見据えつつ、ゴルドは眉をしかめた。
(ここは新兵たちを連れて一旦後方へと退避すべきか……)
そう考えていた矢先のことだった。
今度は、空間を切り裂いて恐るべき存在が現れたのである。
それはとても恐ろしい姿だった。
ゴルドでさえ、身震いするほどである。
十枚の光翼に黒き鎧装と竜尾。
それは、天空に君臨する漆黒の魔竜だった。
光の騎士と魔竜は戦闘を開始した。
ゴルドと騎士たちは茫然と見上げた。
乙女たちは、真摯に光の騎士の勝利を祈る。
だが、その結果は魔竜の勝利だった。
真紅と化した魔竜の剣により、光の騎士は両断されてしまったのである。
そうして光と成って霧散していく――。
誰も言葉を失う光景だった。
乙女たちなど祈りの姿勢のまま、目を見開いて硬直してしまっていた。
それから硬直してどれほどの時間が経ったのだろうか。
突然、誰かが叫んだのだ。
「――で、殿下だ!」
それはまさに吉報だった。
「あちらに殿下がおられるぞ!」
ゴルドを始め、ベテラン騎士たちは即座に正気に返った。
親衛隊も表情を一変させた。
信仰厚き祈りの乙女から、忠義の若き騎士へと立ち戻る。
騎士たちは短剣を手に駆け出した。
そうして森の一角、開けた場所に出る。
「……オオッ!」
ベテラン騎士の一人が感嘆の声を零した。
ゴルドも思わず歓喜の笑みを零した。
そこには確かに殿下がいらした。
(……おおッ! 姫さま!)
褐色の肌に
――ミュリエル=アルシエド第三王女殿下である。
(ご無事であったか!)
安堵する。
しかし、賊なのだろうか、殿下は一人の少年を拘束していた。
黒髪の騎士らしき服装の少年である。
両腕でその少年の頭を抱えて、自分の体へと強く押さえつけている。
近くには見知らぬ少女が三人ほどいた。
(……このような場所に少女だと?)
違和感を覚えるが、懸念すべき点はそこではない。
どうも、彼女たちは殿下に敵意を向けている気がする。
しかも殿下の足元にはバース司教らしき人物が倒れているではないか。
(……その上、あれは……)
ゴルドは表情を険しくする。
この場には、光の騎士を両断したあの魔竜まで控えていた。
今は両膝をついて胸部装甲を開いている。
驚くことに、あれは鎧機兵のようだ。
(……どういう状況だ?)
困惑と警戒をするゴルド。
だが、いずれにせよ、
「――殿下ッ!」
ゴルドは走り出した。
「お下がりを!」
そう告げて、短剣を片手に殿下の前に立った。
殿下は「え?」と目を丸くしていた。
ゴルドに続き、他の騎士たちも次々と殿下の前に集まってくる。
いきなり現れたゴルドたちに、三人の少女たちも驚いているようだった。
そんな中、
「――ぷわあっ!」
拘束されていた少年が頭を強引に引き抜いた。
「ちょ、ちょっとエル! なにこれ!? 殿下ってなにっ!?」
周囲に目をやって少年が叫んだ。
「ち、違うぞ! コウタ!」
すると、何故か殿下が動揺した声を上げられた。
「私は殿下じゃないぞ! 王女なんかじゃないからな!」
「エルって王女さまだったの!?」
少年は目を剥いた。
一方、殿下は動揺した様子で、
「ち、違うぞ! 元王女だ! もう関係ないからな! だって私は――」
一拍おいて、ゴルドたちが守るべき高貴なる御方は高らかにこう叫んだ。
「私はもうコウタの女なのだから!」
「「「――で、殿下ァ!?」」」」
あまりにも不穏な宣言に、騎士たちは一斉に振り向いた。
ゴルドも思わず唖然としてしまう。
ただ、三人の少女たちは全員が半眼になっていた。
ともあれ、全員の注目が第三王女に集まることになった。
「え、えっと……」
殿下は返す言葉に迷っているようだ。
が、ややあって。
「と、ともかく!」
彼女は、傍らの少年の首をぎゅうっと抱きしめて、
「私はもう王女ではない! コウタのモノだ! そうなったのだ!」
そんなとんでもない台詞を告げた。
思わず沈黙に包まれる。
騎士の一行は誰もが言葉をなくして唖然としていた。
ゴルドなど青ざめているぐらいだ。
「だ、だから私はっ!」
その沈黙に耐えられなくなったのか、彼らの主君の愛娘は再度叫んだ。
「ミュリエル=アルシエドは死んだ! 私はもうコウタの女なんだ!」
森の静寂の中、少女の声が木霊した。
――ただ。
その光景を静かに見据える者たちがいた。
彼らは騎士の中にはいない。
木々の隙間から、密かにその様子を窺っていた。
……………………………。
…………………。
…………。
(……へえ)
一人は男だった。
年齢は三十代前半ほど。
縮れた黒髪のやや頬がこけた長身の男だ。
ダイアン=ハロットである。
(……あれが旦那の言っていた『化け物』か)
双眸を細める。
視線の先には黒髪の少年の姿があった。
あの光の騎士を両断した魔竜。
どうやら鎧機兵らしく、あの小僧の愛機のようだ。
あの機体の性能なのか、あの小僧の能力なのか。
信じ難いことにあの閉ざされた『世界』から脱出して戻って来たらしい。
この時点では、ダイアンにはほとんど情報は伝わっていない。
封印した『化け物』とやらが、どんな相手だったのかも聞いてはいなかった。
だが、そう判断できるのはお姫さまの姿があったからだ。
あの女は『化け物』の慰み者として一緒に封印されたはずだった。
その女がこの場にいるのだから、傍にいるあの黒髪の小僧が『化け物』であると推測するのは自然の流れだった。
何より、あの女自身が自分はあの小僧の女だと大声で宣言している。
「……すでに調教済みかよ」
ダイアンは忌々し気に舌打ちした。
純朴そうな小僧だが、ちゃっかりあの『世界』でお姫さまを堕としたらしい。
まあ、封印の情報を聞いた時間から逆算すると、あの二人が『異世界』に囚われていた期間は『向こう側』の換算で恐らく二年ほどだ。それだけの期間があれば、どれほど気丈な姫騎士であっても従順に調教できるだろう。
「……くそ。あの女は俺が仕込みたかったんだがな」
不満そうに本音を呟く。
が、すぐにニタリと嗤った。
「まァいいさ。戻ってきたならそれでもいい。計画をまた変更すっか」
お姫さまの仇討ち。
お姫さま自身が健在である以上、これはもはや成り立たない。
ならばどうするか――。
「………へへ」
ダイアンは未だ黒髪の小僧に抱き着くお姫さまを見やり、ニタリを笑った。
豊満な胸に、引き締まった腰。褐色の肌も実にそそる。
何度見ても良い女だった。
やはりあの女を利用するのが一番だろう。
あの女はすでに調教済みのようだが、それならば寝取ればいいだけの話だ。
なにせ、女の堕とし方においては、自分は年季が違う。
あんな小僧に手管で劣るとは思わない。
(初物じゃなくなってんのは少し残念だが、むしろ都合がいいと考えるか)
あの女を再調教し、あの化け物小僧への刺客にすればなお好都合だ。
あの小僧は邪魔になる。
それがダイアンの直感だった。
しかしながら、相手はあの
光の騎士を両断する
あんな怪物と正面からやり合うのは流石に無理がある。
だが、暗殺ならばどうだ?
調教済みの女に殺される。
この裏切りには、あの小僧もさぞかし絶望するに違いない。
(別に正面切って戦うだけが手じゃねえからな)
方針を固める。
「……まあ、そのためにも協力者がいるな」
そう呟いて。
クツクツと笑いながら、ダイアンはその場から消えた……。
――一方。
木々の影にはもう一人の人物がいた。
女性である。
年齢は二十歳ほど。額が見えるほどに短い前髪に、三角状の太い眉。
整った顔立ちをしているも、目元はやや険しい。髪の色は黄色。耳にかかる程度に長くボリュームがあり、波打つような癖毛を持っている。
服は――肩からかけたシーツだけだ。
シーツの下は素肌である。
――ホラン=ベース。
第三王女親衛隊の副隊長だった。
ただ今となってはその肩書も虚しくもあるが。
「…………」
彼女は片手を木に添えて、静かな眼差しで殿下を見つめていた。
黒髪の少年を抱きしめる主君の姿を――。
(……何故?)
虚ろな眼差しで思う。
どうして姫さまは笑えているのだろうか……。
つい先程のことだ。
あの悍ましい男との、なぶられるような情事の中で聞いた。
姫さまもまた、自分同様にあの『世界』に囚われてしまったことを。
自分と同じように男の慰み者としてだ。
ホランは思わず目を見開いた。
それも死ぬまでらしい。
もう二度と姫さまが戻ってくることはないと言っていた。
その言葉に、ホランは絶望したものだった。
そして助けにも行けない自分の無力さを嘆いた。
あの『世界』に囚われる恐怖は、誰よりも心身に刻まれている。
心の底から姫さまに同情した。
しかし、どういうことだろうか……?
姫さまは、無事に戻ってきたではないか。
しかも、以前と変わらない太陽のような笑顔のままで――。
(……何故?)
――自分と同じ目に遭ったのではないのか?
――なのに、どうして笑顔でいられる?
ホランは茫然とした表情で姫さまが抱きしめる少年に目をやった。
推測するに、あの少年が姫さまを
いかにも人が好さそうな少年。
だが、その本性はあの悍ましい男と同類ということだ。
「……………」
ホランは、凶悪な眼差しで少年を睨んだ。
(……そういうことか)
あの少年は、姫さまの心まで堕とした。
心身ともに完全に変質させてしまったのだ。
それも仕方がないことだ。
姫さまは恐らく二年以上もあの『世界』に囚われていたのである。
危機的状況でだと、被害者は犯罪者に好意を抱くことがあるという。
期間がまだ短かったためか、自分があの男に好意を抱くことはなかったが、姫さまは期間がまるで違う。二年以上……ゾッとするような長い時間だ。
心まで変えられてしまっても当然である。
ある意味、あの悍ましい男以上の外道の所業だった。
「……姫さま」
ホランは、ゴツンと気に額を当てた。
一筋の涙が静かに零れ落ちる。
今の主君は亡骸だった。
同じ姿をした亡霊に過ぎない。
それを行ったのが、あの少年だ。
ホランはその瞳に焼き付けるように黒髪の少年を見据えた。
そして――。
「……殺してやる……」
ただそう呟いて。
彼女もまた、森の奥へと消えていった。
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