第395話 御子の使命➂

 日が沈んで、夕食後。

 コウタは、とある大きな屋敷に案内されていた。

 焔魔堂の里の中でも一際大きな屋敷だ。

 様式こそ、他の建屋と同じアロンの系譜だが、まるで神殿のような趣がある。

 いや、用途としては同じなのかもしれない。

 長老たちが会合するための屋敷と聞いているが、同時に始祖を祀る祠とのことだ。


 ――焔魔堂本殿。

 それが、この屋敷の名前だった。


「こちらでございます」


 使用人の案内で、コウタは長い廊下を進んでいく。


(……ここが正念場か)


 廊下の隣。

 ガラス戸の外に見える庭園に目をやりつつ、コウタは考える。

 今日一日の情報収集で分かったことは、独力でこの里からの脱出は、相当に難しいということだ。和装であっても腰に差した短剣に手を触れる。

 愛機・《ディノス》を使えば、森の中の移動はさほど難しくはない。仮に魔獣と遭遇したとしても対応は充分に可能だ。

 しかし、この里の周囲に広がる森林の大きさがどこまでか分からない以上、闇雲に突破しようとするのは悪手だった。突破するのに何日かかり、人里までどれぐらいの食料を用意すればいいのか分からないのも痛い。

 ましてや、今回はアイリもいるのである。やはり無茶は出来なかった。


(だから、説得しないといけないのか)


 それしか選択肢がない。

 だが、それを考えるとやはり憂鬱だった。

 その理由は簡単だ。コウタは、あまり弁が達者ではないからだ。


(アイリが、この里の人たちを脳筋だって言ってたけど、ボクもなんだかんだで似たような感じだしなあ)


 騎士を目指しているのだから、やはりコウタも、どちらかと言えば、そっち寄りの人間だった。無論、騎士候補生の中には、リーゼのように文武両道の人間もいるし、コウタも多少の交渉術の心得もあるが、人間、得意な方に偏るのは当然だった。


 特に、ここ最近は、どうにも武力に頼ることが多かったため、今回はアウェイに立たされているような気分になっていた。


 果たして、自分に、言葉だけで相手を説得できるのか……。


(しかも、相手は、ボクよりもずっと年配の人たちらしいし)


 ますますもって、頭を悩ませる。

 そもそも『御子』というのは何なのか。

 その定義や概念はアヤメたちから一応教わったが、どうして自分のような、自他とも認める庶民……しかも元村人を祀り上げようとするのか。


(どう考えても、ミスキャスティングだよ)


 庭園を眺めつつ、ガラス戸に映るコウタの顔が引きつった。

 その顔を見て改めて思う。

 我ながら、庶民オーラが凄い。

 案外、これならば「御子というのは勘違いでした」が、通るかも知れない。


「……どうかされましたか? 御子さま」


「い、いえ。何でもありません」


 ふと足を止めていたコウタに、使用人が尋ねてくる。

 コウタは、再び廊下を歩き出した。


(まったく。御子さまなんて呼ばれるのは初めて……)


 その時、ふと思い出す。


(あれ? そういえば……)


 コウタは、目を瞬かせた。


(ジェシカさんと初めて戦った時、彼女がボクを御子とか呼んでいたような……)


 うろ覚えだが、そんな気がする。

 御子という称号は、色々な組織で流行っているのだろうか?

 そんなことを考えていると、


「到着いたしました」


 使用人が振り返って、そう言ってきた。

 コウタは足を止める。

 セラ様式の建築物と違って分かりにくいが、目の前の襖が部屋の入口なのだろう。


「では、どうぞ」


 言って、使用人は両膝をつくと、襖をすっと開けた。

 コウタは、恐る恐る入室した。

 そこは広い和室だった。

 畳の敷かれた部屋。奥に並ぶのは、蝋燭を紙で覆ったような燭台。さらにその奥に、何やら巨大な木像の姿が見える。


「あれ?」


 足を踏み入れたコウタだったが、そこで小首を傾げた。

 長老衆に呼ばれたのだが、その部屋には誰もいなかったからだ。

 先にムラサメ邸から出立した、アヤメの義兄の姿もない。


「長老さんたちは?」


 コウタは使用人に尋ねた。

 すると、使用人は、廊下で三つ指をついて。


「じきに参ります。御子さまにおかれましては、上座にてお座りになられて、しばしお待ちいただければ、幸いでございます」


「え、えっと……」


 コウタが困惑していると、「では、私めは、これにて失礼いたします」と、深々と頭を下げつつ告げて使用人は、廊下から襖をゆっくりと閉めた。

 広い部屋に残ったのは、コウタ一人だけだった。


「……う~ん」


 コウタは腕を組み、困惑しつつも部屋の奥に向かった。

 奥の方は少し段差になっていた。階段一つ分ぐらい高い。

 そこに凄く上等そうな敷物を一つ見つけた。

 座布団という奴だが、金糸の刺繍とかも入っていて少し座るのがおっかない。

 だが、それ以外には敷物らしきモノはないので、これを使えということなのだろう。

 恐る恐る触ってみると、やや硬いが上質さが分かる滑らかな感触だった。


「これが『上座』ってやつなのかな? 多分、ここで座って待っていて欲しいってことなんだろうけど、ちょっとボクには豪華すぎるなあ……」


 そこで、コウタは顔を上げた。

 奥の段にあるのは、この座布団だけではない。

 入室した時、真っ先に目に入った木像。それが後ろに鎮座していた。


「もしかして、これが……」


 コウタは、人の二倍はある木像をまじまじと見やる。

 恐ろしい形相に、総髪。さらには額に三本の角。

 それは丸太のような太い左腕を前に、肩に巨大な大太刀を担いだ鬼の像だった。


「これが、アヤちゃんのご先祖さまの焔魔さまなのか」


 そう呟く。

 まさしくアヤメから聞いていた通りの風貌である。


「けど、角以外、アヤちゃんに全然似てないや」


 率直な感想を零すコウタ。

 と、その時だった。


『失礼いたします』


 不意に、部屋の外から声が聞こえてきた。

 使用人か、長老の誰かの声か。


『入室しても宜しいでしょうか?』


 次いで、そう尋ねてくる。

 コウタは「はい」と答える前に、慌てて座布団の上に正座した。

 ここで座って待っていて欲しいと言われていたからだ。

 それから「どうぞ」と、部屋の外の人物に告げる。


『失礼いたします』


 再び声が返ってくる。

 そうして、襖が開けれられた。

 そこいたのは姿勢の良い、額に一本角を持つ老人だった。


「焔魔堂十八家が一家。クヌギ家当主、ハクダ=クヌギ。只今参りました」


「え? あ、はい」


 いきなりの名乗りに、コウタは目を瞬かせる。

 ハクダと名乗った老人は、一礼をして入室してくる。

 次に続くのも老人だ。

 同じように、厳かな名乗りを上げて入室する。

 それが、最初の老人から、実に十七人も続いた。

 そうして最後に、


「焔魔堂十八家が一家。ムラサメ家当主、ライガ=ムラサメ。只今参上いたしました」


 唯一の顔見知りであるアヤメの義兄が入室してきた。

 アヤメの義兄たちは、横に六人。縦に三列並んで両膝をついた。

 焔魔堂十八家の当主たち。

 この里の長老衆が、一堂に会したということだ。

 そして、この里の最高責任者たるはずの長老たちは、息を合わせたかのように、全員が揃って手をつき、頭を垂れた。


(………あ)


 そこで、ようやくコウタは気付いた。


(これってボクが呼び出されたんじゃないの!?)


 この図式は、実に明瞭だった。

 上位にあるのは、長老たちではなくコウタの方。

 いわゆる、王と臣下の図式なのである。

 要は、彼らは、コウタに『謁見』しに来たのだ。


(し、しまった!? なんでボク、考えなしにこっちに座っているの!?)


 上座にて正座したまま、コウタは固まってしまった。

 長老衆は誰一人、頭を上げようとしない。

 沈黙したまま、ピクリとも動かない。


(ちょ、ちょっと待って!? 待って!? これって、もしかして、ボクが「面を上げよ」とか言わないと始まらないやつ!?)


 コウタは、愕然とした。

 これはまずい。いきなり失敗した。

 当然、庶民のコウタに「面を上げよ」とか支配者然とした台詞は言えない。

 これまでの人生でも、一度も言ったことのない台詞である。

 だが、これだと本当に何も始まらない。


「あ、あの……」


 コウタは、恐る恐る告げた。


「とりあえず顔を上げてください」


「――は」


 代表格なのか、ハクダという老人がそう答えた。

 そうして、十八名がようやく顔を上げた。

 コウタが顔を引きつらせる。

 ――と、


「御子さまにおかれましては……」


 ハクダが、憧憬にも似た眼差しで言う。


「ご拝謁いただき、我ら長老一同、恐悦至極にてございます」


(う、うわあ……)


 一気に青ざめてくコウタ。

 かくして。

 いきなり窮地に立たされるコウタであった。

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