幕間二 四天の夢

第388話 四天の夢

 ――その時。

 奉殿にて、黒い大刀が人知れず脈動した。

 まるで過去を振り返るかのように。


 ザアザアザア……。

 降り注ぐ雨の中。

 彼女は、屋敷の中を歩いていた。

 長い渡り廊下。

 そこを一人、進む。

 年の頃は二十歳を少し過ぎたほどか。

 長い黒髪を、頭頂部辺りで結いだ女性。

 凛々しく美しい顔立ちに高身長。腰には一振りの刀剣を差し、首元から軍章をひき違った隊服らしき衣装を纏う女性だ。

 名を、シイカ=クヌギと言った。


(ここも、いよいよ嗅ぎつかれたか)


 その隊服が示す通り、彼女は、元は軍人だった。

 アロン大陸における屈指の大国。

 その軍隊の部隊長を若くして務めていた。

 だが、それも二年前の話だ。

 今の彼女は違う。

 彼女は、とある部屋の前に立つと、襖を勢いよく開けた。

 そして開口一番に言う。


「厄介なことになったぞ。化け物」


 そこは、板張りの広い部屋だった。

 そしてその中央には、一人の人物がいる。

 彼女が『化け物』と呼んだ相手だ。

 確かに、それは、化け物と呼ぶに相応しい人物だった。

 その双眸は赤い魔眼。肌は浅黒く、総髪を揺らす頭部には三本の角。

 筋肉の鎧を纏ったその身は二セージル半を超す。和装の衣類こそ着ているが、とても人間には見えなかった。化け物は手酌酒を愉しんでいた。


「……む」


 酒の手を止めて、襖を開けた美女を見やる。

 精悍なのはともかく、端正な顔立ちをしていることが、少し意外だ。

 胡坐をかくその鬼の傍らには、巨大すぎる黒い直刀が突き立てられていた。


「……シイカか」


 鬼は、彼女の名を呼ぶ。

 一方、シイカは恐れることもなく、ツカツカと鬼の元へと近づいていく。


「エンマ」


 鬼の名を呼ぶ。


「ここも嗅ぎつかれた。軍が動き出したようだ」


「……そうか」


 鬼―エンマは酒を置き、太い腕を組んだ。


「思いの外、早かったな」


「……ふん」シイカは不快そうに呟いた。


「セラから入手した、あのおもちゃが余程気に入ったようだな」


「鎧機兵という奴であるな」


 セラ大陸から手に入れたという機械仕掛けの鎧。

 戦場を一変させた脅威の兵器である。


「セラも厄介なモノを生み出してくれたものだ」


 シイカが吐き捨てる。

 次いで、腰の刀剣の鞘をグッと握りしめて、


「いずれにせよ、国にとって我らはもはや用なしといったところだろう。数刻もせぬうちに鎧機兵の部隊が、この里を強襲するはずだ」


「……引き際であるな」


 エンマは膝に手を置き、立ち上がる。


「この里を捨てる。皆にはそう伝えよ」


「分かった」


 シイカは頷いた。


殿しんがりは私に任せろ」


 襲撃してくるのは、かつて彼女が所属していた軍だ。

 軍から離れても、その戦術は勝手知ったるものだ。


「里の者が撤退する時間ぐらいは稼いでみせる」


 自信を以て、そう告げるが、


「そうはいかぬ」


 エンマは、かぶりを振った。


殿しんがりを担うのは我だ。身重の妻に任せられぬ」


「―――な」


 シイカは目を剥いた。

 が、すぐに困惑したように頬を染めた。


「し、知っていたのか?」


「当然である」


 エンマは言う。


「自分の妻の変化ぐらい気付けずにいてどうするのだ」


「……むむ」


 シイカは、眉をひそめた。


「十八人も娶っておいて一人の変化によく気付くな」


「愛しておるからな」


 エンマは、当然のように言う。


「それに、子を――勇猛なる御方さま。そして、その御子さまをお守りする戦士を遺すことは、我が使命だ」


「……御方と御子か」


 シイカは、双眸を細めた。


「お前がよく口にする者たちだな」


「ああ」エンマは頷く。


「我らが偉大なる王だ。代行者たる御子さまを主君としてお迎えし、御方さまにご復活していただくことこそが、我ら四方天がこの世界に来た理由である」


 エンマは傍らの黒い大刀を引き抜き、肩に担いだ。


「北方天は、同志を募っておる。南方天は、国を造り始めた。西方天は、御方さまのために深淵へと潜っておる。そして――」


 そこで、エンマは太い左腕でシイカの腰を掴み抱き寄せた。

 高身長のシイカもこの男の前では、まるで小柄な少女のようだった。


「東方天たるわれがすべきことは、御子さまを傍らにてお守りする戦士を育てることだ」


「…………」


 シイカは、無言でエンマ――人外の夫を見据えた。


「……お前が……」


 唇を動かす。


「強い女ばかりを娶るのは、その御子とやらのために強い子を産ませるためか?」


「その通りだ」


 エンマは、はっきりと告げる。

 シイカは眉をひそめる。

 うすうす予感はしていたが、まるで道具のように言われ、流石に心が沈む。

 すると、


「だが、勘違いするでないぞ」


 エンマは、続けてこうも告げた。


「武才があればよいという訳ではない。それだけでお前たちを選んでなどおらぬ。愛を以て産まれなかった子が、強き戦士になれるものか」


「……エンマ」


 シイカは、エンマの顔を見つめた。

 それも事実だった。

 彼が、自分を道具扱いしたことは一度たりとてない。

 この愛しき人外の愛は、本物だった。

 だからこそ、彼に武とこの身を捧げたのだ。


が王もそうであった。万物を呑み干す破壊の王でありながら、その御心は誰よりも慈悲深い。その深き愛ゆえに、お怒りを抑えられなかったのだ……」


 そう呟き、エンマは遠い目をした。

 が、すぐに表情を鋭くして、


「愛しきお前たちは、誰一人とて死なせはせぬ」


 肩に担いだ大刀の柄を強く握った。


「無粋な機械人形どもに見せてくれよう。御方さまより授かりし牙。この大刀。焔魔の大太刀の威力をな」


 そう嘯き、エンマは不敵に笑った。



 ――ドクンッ、と。

 奉殿にて、黒き大刀は再び脈動する。

 魔王の牙より生まれし、焔魔の大太刀は静かに待つ。

 自分を振るう主の到来を――。

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