第384話 隠れ里④

 その時。

 アヤメは、義兄の屋敷へと続く大通りを歩いていた。

 周囲には、懐かしさを感じるアロン様式の建屋が並ぶ。

 心角を持つ者、持たない者。様々な通行人がいた。


 そんな中を、少し急いでいる。

 長老衆への報告が思いの外、長引いたからだ。


(長老たち。随分と浮かれていたのです)


 まるで少年のような眼差し。

 厳格で知られるその頑固老人たちの、あんな瞳は初めて見た。

 次から次へと、御子さま――コウタのことを聞いてくるのである。


(……本当に)


 アヤメは足を動かしながら、軽く喉を鳴らした。


(超腐れ義兄さまが言っていたことは、本当ということなのですか)


 あの少年こそが、焔魔堂の主。

 始祖たる焔魔さまが、長きに渡って待ち続けた御子さまであるのだと。


(……馬鹿馬鹿しいとは、思うのです)


 アヤメは、双眸を細めた。

 伝承など下らない。

 焔魔堂に伝わる《焔魔ノ法》。そして自分の持つ心角から、焔魔さまの存在までを疑っている訳ではない。そういった人外の存在は、確かにいたのだろう。

 しかし、アヤメは、伝承に関しては懐疑的だった。

 こればかりは、長い年月をかけて引き継がれるものだ。

 継承の途中で話が変わることも充分にあり得る。

 そもそも、焔魔さまは実在した証があるが、御子さまや、その根源とも呼ぶべき『勇猛なる御方』の存在は、実証されたモノではない。

 その上、あの少年が、御子さまと判断されたのは、義兄の眼力によるものだ。


(あの超腐れ義兄さまの眼は、やはり腐れている可能性があるのです)


 ふんす、とアヤメは鼻を鳴らした。

 結局のところ、確証されていることは一つだけだ。

 あの少年が、アヤメの主人であること。

 いずれ、この身を捧げる相手であるということだけだ。


 ――運命の相手は、心角が教えてくれる。

 かつて、姉であるフウカ――実際のところは従兄弟――が、教えてくれたことは真実だったということだ。


 姉の顔。

 そして今回の帰郷で、初めて見た姉の子の顔を思い出す。

 名前はタツマ。

 抱っこさせてもらったが、本当に愛らしい甥だった。

 ぺたぺた、とアヤメの頬に触れてくるのである。


(……赤ん坊)


 アヤメは、微かに頬を染めた。


(……私も、いずれは……)


 それを思うと、耳まで赤くなる。

 その相手が今、義兄の屋敷にいる訳だ。

 心臓が早鐘を打つのは、急いでいるせいだけではない。


「……ふう」


 アヤメは一度足を止めて、大きく息を吐きだした。

 ともあれ、急がないといけない。

 そろそろ、あの少年が目を覚ましてもいい頃だ。

 屋敷には姉を始め、十数人の使用人もいる。

 目を覚ました彼が困ることはないだろうが、何というか、やはり彼の面倒を見るのは自分でありたい。それに今回の強行に関しても『ごめんなさい』をしなければならない。

 それを思うと、少し気が重い。

 実質的には誘拐だ。あれだけ毛嫌いしていた一族の常套手段である。


「……はァ」


 とにかく自己嫌悪が凄い。

 溜息も出てしまう。少しだけ足も重くなるが、


「……ともあれ、急ぐのです」


 アヤメは、足をさらに速めた。



       ◆



「本当に、良かった」


 胸に手を当て、ホッとする少女。

 コウタは目を瞬かせた。

 年の頃は、十八か、十九ぐらいだろうか。

 アロンの和装を纏う、おっとりとした感じの綺麗な女性だ。

 ただ、コウタにしろ、その腕の中のアイリにしろ、目を奪われたのは彼女の額だった。

 そこには、一本の角が生えているのである。

 アヤメ、そして赤ん坊と同じである。


「……だあっ!」


 その時、アイリの上に乗っていた赤ん坊が叫んだ。

 女性の方へと手を向けて、ぱたぱたと動かしている。

 どうやら、女性に抱っこして欲しいようだ。


「タツマ」


 女性もそれに気付き、赤ん坊をアイリから受け取った。

 赤ん坊が、ニパッと笑った。


「もう。ダメでしょう。一体どうやってここまで来たの?」


「……ウム。フツウニ、ロウカニイタゾ」


 と、サザンⅩが言う。女性は「え?」と目を丸くした。

 サザンⅩは、さらに続ける。


「……ロウカヲ、ハイハイシテイタ。アブナイカラ、ツレテキタ」


「え? そうなの?」


 女性は赤ん坊――タツマを視線が重なるように掲げた。


「あなた、いつハイハイが出来るようになったの?」


 そんなことを尋ねる。

 女性も、タツマが『ハイハイ』できることを知らなかったらしい。


「えっと」


 その時、コウタはアイリを下ろして尋ねた。


「あの、あなたは?」


「あ、これは申し遅れました」


 言って、タツマを抱き直して、女性は会釈をした。


「御子さまにおかれましては、ご機嫌麗しく。私の名はフウカ=ムラサメ。アヤメの姉であり、この子の母でございます」


「え? アヤちゃんのお姉さん? って、その子のお母さん!?」


 コウタは驚いた。アイリも目を丸くしている。

 確かに、彼女は赤ん坊とよく似ている。

 目元の辺りなどそっくりだ。

 てっきり姉かと思っていたのだが、まさか母親だったとは……。

 すると、女性――フウカは、クスリと笑った。


「御子さまは、あの子のことを『アヤちゃん』って呼ばれているのですね」


「え、えっと、それは……」


 そこで、コウタはふと気付いた。


「その、ところで『御子さま』って何ですか?」


「御身のことです」


 フウカは、双眸を細めて告げる。


「コウタ=ヒラサカさま。我らが御子さま」


「……はい?」


 目を瞬かせるコウタ。

 フウカは、言葉を続けた。


「御身は、我が一族の主たる御方なのです」


「え、えっと主? その、よく分からないんですけど?」


 コウタが、率直に言った。

 一方、フウカはふっと笑い、


「そのお話は後ほど。当家の主人であるライガ。もしくは、御子さまのお側女役であるアヤメからございます。ともあれ今は……」


 改めて告げる。


「焔魔堂の里へ、ようこそお出で下さりました。心より歓迎いたします」


 そして、アヤメによく似た彼女は微笑んだ。

 そんな母に倣うかのように、


「……だあっ!」


 タツマもまた、コウタの方に手を向けて歓迎した。

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