第370話 迎える者たち③

 コツコツコツコツ。

 足音が響く。もう十分以上も続く足音だった。


 足音の主は男性だ。

 黒い貴族服を着た五十代後半の人物だった。

 飴色の髪をオールバックに固めて、同色の顎髭を蓄えたその男性は、応接室内を端から端へと、何度も往復していた。


「……くそ」


 男性――グレスト伯爵は、そう吐き捨てる。

 表情は、苛立ちに満ちていた。


「あの老人め。どうして今さら、うちに関わってくるのだ」


 ギリ、と歯を軋ませる。

 血縁的には主家となる、かの家系の当主である老人。

 しかし、あの老人が自分たちに関わってくることは今まで一度もなかった。

 かの家系と、グレスト伯爵家は、かなりの遠縁だったからだ。

 分家の分家の分家の……と、それが、さらに三つほど続くほどに離れている。もはや完全に主家とは別の家系と呼んでもいい。

 だというのに――。


「……お父さま」


 その時、声を掛けられた。

 グレスト伯爵は、視線を声の方に向ける。

 応接室の中央に置かれたソファ。そこに、声の主は座っていた。

 伯爵と同じく光沢を持つ飴色の髪と、同色の瞳。ショートでボリュームのある髪型の少女である。十六歳とは思えない見事なスタイルな上には、黄色いドレスを纏っている。


 目に入れても痛くないグレスト伯爵の愛娘だ。


「……大丈夫なのでしょうか」


 普段は勝気な娘が、不安そうにそう尋ねてくる。


「おお。アリサ」


 グレスト伯爵は、愛娘――アリサ=グレストの傍にまで行く。


「そんな顔をしないでくれ。私の可愛いアリサよ」


 言って、両手で愛娘の頬を抑えた。

 グレスト伯爵には妻が三人。さらに妾が四人いる。彼女たちの間に出来た息子は三人いるが、娘はアリサ一人だけだった。


 ようやく授かった娘だったこともあり、グレスト伯爵はアリサを溺愛してきた。

 そのため、少しばかり我儘なお転婆に育ち、勝気な娘になってしまったが、それは玉に瑕というものだ。グレスト伯爵の愛情は今も昔も変わらない。


 そんな愛しい娘を、どうして……。


「大丈夫だ」


 伯爵は強く頷く。


「お父さまに任せておけ。あの老人が何を言おうと拒否するつもりだ」


「……お父さま」


 アリサは、父の手に自分の手を重ねて頷いた。

 と、その時だった。

 ――コンコン。

 ドアがノックされる。

 伯爵とアリサは、緊張した面持ちでドアに目をやった。


「入れ」と伯爵が告げると、「失礼します」とドアが開かれた。


 そこには一人の老執事がいた。執事は一礼して告げる。


「旦那さま。公爵閣下がお見えになられました」


「……そうか」


 グレスト伯爵は、グッと唇を噛みしめた。

 それから、不安な表情を見せる愛娘を見やり、


「正念場だ。行くぞ。アリサ」


「……はい。お父さま」


 親娘は来客を出迎えた。



 そうして十分後。

 場所は同じく、伯爵家の応接室。

 今、そこには伯爵とアリサだけでなく、一人の老人がソファに座っていた。

 ゆったりとした白のローブを着る、長い赤髭を蓄えた老人だ。


 ――ジルベール=ハウル。

 名門・ハウル公爵家の現当主。


 国内外から、怪老として恐れられる老人である。

 そんな老人が、開口一番にこう告げた。


「お前の娘には嫁いでもらうぞ」


 ……予想はしていた。

 しかし、あまりにも直球すぎて、伯爵とアリサは目を丸くした。


「ああ。それと、これは先に言っておこう」


 老公爵はさらに告げる。


「正妻ではない。側室として嫁いでもらうことになる」


「――閣下!」


 流石に、グレスト伯爵は声を上げた。


「それはあまりにも――」


「まあ、聞け」


 身を乗り出す伯爵を、老公爵は片手で制した。


「お前たちにもメリットはある。お前の娘が嫁ぐ先は公爵家なのだからな」


「……え?」


 ジルベールの言葉に思わず声を零したのは、アリサだった。


「公爵家? え、じゃあ、相手は、あのアルフレッドさまなの……?」


「なん、だと?」


 グレスト伯爵も驚き、まじまじと老公爵を見据えた。


「まさか娘をアルフレッドさまに? ならば、申し分なき相手……。閣下は、アルフレッドさまの相手に我が娘を……?」


「いや、そうではない」


 しかし、ジルベールはかぶりを振った。


「相手は我が孫ではない。今はまだ平民の少年だ」


「………は?」


 伯爵は目を丸くさせた。

 アリサも困惑して目を瞬かせている。


「は? 平民? 何を仰っているのですか? 先程は公爵家と……」


「いずれ、その少年が公爵になるということだ。とある国の公爵令嬢を娶ってな」


「は?」


 グレスト伯爵は、未だ困惑している。


「儂は彼と縁故を結びたいと考えておる。ゆえにお前の娘を嫁がせるのだ」


「ま、待ってください!」


 今度は、アリサが立ち上がった。

 元々勝気な性格だ。そろそろ我慢の限界だったのだろう。


「何ですかそれは! 私に平民に嫁げと仰るのですか!」


「ああ。その通りだ」


 だが、ジルベールは揺るがない。

 小娘の気炎など、怪老にとってはそよ風のようなものだ。


「娘の憤りも当然です」


 すると、グレスト伯爵も、怒りを隠せずに告げた。


「仮にも伯爵家の娘に、平民に嫁げとは。あまりにも無体な話ですぞ」


「そうか?」


 そこで、ジルベールは葉巻を取り出した。

 火を点けて一服する。吐き出した紫煙が天井に昇った。

 どこまでもふてぶてしいその態度に、伯爵親娘は強い苛立ちを覚える。

 主家だろうが、格上だろうが、許しがたい態度だ。

 しかし、続くジルベールの台詞に、その怒りは掻き消されてしまう。


「儂は、儂の孫娘を平民の男に嫁がせるつもりだぞ」


「……は?」「え?」


 伯爵親娘は、唖然とした。

 ――が、先にハッとしたのは、アリサの方だった。


「まさかミランシャさまを!? あの方を平民の妻に!? 一体誰と――」


 と、そこで、さらに目を見開いた。


「ミランシャさまに相応しい平民ってなると……もしかして、あのアッシュ=クラインさまなのですか?」


 ふと、脳裏に浮かんだ人物の名前。

 今代の《七星》最強の騎士。アッシュ=クライン。

 彼は平民出身だという話だ。彼ならば、確かに、アリサも憧れるミランシャ=ハウルさまの相手に相応しいだろう。


「ああ。あの男に嫁がせるつもりだ」


 ジルベールは、アリサの予想を肯定した。

 思いがけないゴシップに、アリサは少し興奮するが、


(だからって、なんで私まで平民に嫁がなきゃならないのよ!)


 それはそれ。自分とは関係ない話だ。

 そもそも、ミランシャさまの相手は《七星》最強。

 平民ではあるが、皇国の誰もが知る英雄である人物だ。

 しかし、自分の相手は、きっとそうではない。


「相手がクライン殿ならば、ミランシャ=ハウル殿も納得されるでしょう。ですが、娘の相手はそうはいかないのではないでしょうか?」


 グレスト伯爵が、娘の言いたいことを代弁する。


「やはり、あまりにご無体な話です。申し訳ありませんが、この話は――」


 と、この話を終わらせようとした時だった。


「ふむ。奇しくも、あの男の名が出たな」


 ジルベールが苦笑を浮かべて、葉巻を灰皿に擦りつけた。


「この縁談が上手く行けば、お前の娘の義兄となるあの男の名が」


「………は?」


 グレスト伯爵は困惑した。

 アリサも、言葉の意味が、すぐには理解できずにいた。


「本来ならば、コースウッドの娘が良かったのだが……」


 ジルベールは、ポツリと語る。

 それは伯爵親娘に語っているものではなく、独り言のようだった。


「あの娘は、幼き日からアルフのお気に入りだからな。道具扱いしてはアルフが怒る。そもそも、アルフ自身があの娘を娶るつもりでいるかもしれんしな」


 小さく嘆息する。

 それから、ジルベールは初めてアリサに目をやった。

 怪老の真紅の眼差しに、アリサは微かに身震いする。


「グレストの娘よ。自分の幸運に感謝するがいい」


 ジルベールは、アリサに告げる。


「武の才と、容姿に恵まれたことに感謝するのだな。わずかにだが、ハウルの血を受け継いでいたことにもだ。そのおかげでお前は、彼の子を身籠れるのだからな」


「……閣下」


 グレスト伯爵は、険しい表情を見せた。


「まだ、私はこの話をお受けした訳ではありませんぞ」


「まあ、聞け。グレストよ」


 ジルベールは、苦笑を浮かべた。


「儂は、別にお前の娘を無下に扱っている訳ではないぞ。仮にも彼の側室だ。生半可な才を送り出す気はない。お前の娘は厳粛に選ばれたのだ」


 ジルベールは、再びアリサを見据えた。


「お前の夫となる男は、それほどの人物ということだ。さて」


 そこで、老公爵は面持ちを鋭いものへと変えた。


「では、本題に入ろう。お前の夫となる人物の素性を詳しく語ろうではないか」


 …………………………………。

 …………………………。

 ………四十分後。

 ジルベールは、車上の人になっていた。

 街中を走る豪華な馬車内の長椅子にて、くつろいでいる。


「……ふむ」


 少し上機嫌に鼻を鳴らした。


「もう少し難航するかと思っていたのだがな」


 ――あの後。

 話はトントン拍子に進んだ。


 彼が今、アシュレイ公爵家の使用人であること。

 その公爵令嬢と恋仲であること。

 アシュレイ公爵は、彼を娘婿に迎えて後継にと考えていること。

 さらには、彼がアッシュ=クラインの実弟であること。


 それらを語った時点では、まだグレスト伯爵親娘の困惑は強かった。

 いかに才があろうとも、今はまだ平民であることが引っかかるのだろう。

 しかし、彼の名前を口にした時、事態は急変した。


『………え?』


 と、伯爵令嬢が呟く。


『え? 同姓同名? あ、けど、そういえば、あの方はアシュレイ家の使用人だって……え? え? うそ?』


 口元を抑えて動揺するアリサに、ジルベールとグレスト伯爵は眉根を寄せた。

 ともあれ、ジルベールは一枚の絵を取り出した。

 あの少年の絵だ。残念ながら写真までは用意できなかったのでその代用だ。

 それを大理石の机の上に置いた。

 アリサは、それを一瞥して目を剥いた。

 そしてその直後に、


『こ、このお話! 喜んでお受けします!』


 そう宣言したのだ。これには、ジルベールも驚いたが、父親であるグレスト伯爵はもっと驚いていた。驚愕と呼んでもいい表情を見せていた。


 その後、一気に話は進んだ。

 伯爵令嬢本人が、俄然乗り気になったのだから当然だ。

 グレスト伯爵は愛娘の心情の変化にひたすら困惑していたが、瞬く間に、見合いの場を用意することまで決まった。


『それでは、ハウル公爵さま。ご連絡を心待ちにしております』


 そう言って、伯爵令嬢は、ジルベールを見送ってくれた。

 ジルベールが去った後、グレスト伯爵令嬢がその場で跳びはねるぐらいに喜んでいたことは、さしもの怪老も知る由もなかった。


「ふふ。上出来だ」


 ジルベールは、ふっと笑う。


「正妻となるアシュレイ公爵の娘。レイハート公爵の娘。《星神》の少女。英雄、色を好むというが、兄同様に、彼の周りには美しい少女が多い。だが、人選に苦労しただけあって、あの娘ならばそうは劣らんだろう」


 正妻となるアシュレイ公爵令嬢の真の姿を見るまでは、人選はもっと困難だった。

 それを考えれば、まだ楽だったかもしれない。


「ともあれ、これで準備は出来た」


 ジルベールは窓の外を見やる。

 そこには、皇都の喧騒があった。


「報告では、そろそろだったな」


 かの少年が帰国する。

 その前に準備が完了したことは、まさに運命のようだった。


「ふふ。ヒラサカ君よ」


 ジルベールは笑う。

 この老人には似つかわしくない。

 まるで、アルフレッドに向けるような優しい眼差しで。


「兄と再会し、また一つ成長しているのだろうな。再会を楽しみにいるぞ」

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