第369話 迎える者たち②

 場所は変わって、ラスティアン宮殿。

 皇都ディノスの象徴。

 天を衝く無数の槍を彷彿させる、荘厳なる巨城である。


「ああ、そう言えば」


 その七階。グレイシア皇国騎士団の団長室にて。

 執務席に座る一人の女性が、ふと呟く。


「予定では、そろそろ彼らが戻ってくる頃ですね」


 見た目は二十代後半ほど。

 抜群のプロポーションと、軽くウェーブのかかった亜麻色の長い髪を持つ美女だ。

 瞳の色も亜麻色。温和な顔立ちの黒い騎士服を纏う女性である。


「……そうですな」


 と、書類の束を手に、執務席の前で立つ男性が告げる。

 年齢は五十代前半。無愛想極まりない表情を顔に張り付かせた壮年の男性だ。

 彼もまた黒い騎士服を着ていた。

 ただ、女性と違い、彼は白いサーコートも纏っていた。


 女性の名は、ソフィア==アレール。

 勇猛なる皇国騎士団を率いる騎士団長だった。


 男性の名は、ライアン=サウスエンド。

 騎士団最強とも謳われる副団長である。


 なお、騎士団内でも知られていないが、二人は恋人同士でもある。

 それも、かなり仲睦まじかったりする。


「クラインの弟たちと、ミランシャ=ハウルですな」


「ええ」


 ソフィアは頷く。


「予定では、数日中に帰還するはずですよね?」


「予定ではそうなっています」


 ライアンは書類に視線を落とした。


「出航前のミランシャ=ハウルから報告ですと、全員が無事だそうです。ただ、レイハート公爵令嬢の従者は、アティス王国に残るそうです」


「ああ。彼女ですね」


 ソフィアは苦笑を浮かべた。


「アッシュ君の知り合いの。彼女がミランシャちゃんにも負けないぐらいアッシュ君に想いを寄せていることは知っていましたが、どうやら愛を選んだようですね」


 寿退職。羨ましいことです。

 と、小さな声で呟き、ちらちらとライアンに視線を送る。


「……ソフィ」


 ライアンは、小さく嘆息した。


「何度も言っているが、退職はダメだぞ。今、お前が騎士団からいなくなると、騎士団は立ちゆかなくなる」


「ええ~」


 ぐでえっと執務席に上半身を投げ出すソフィア。


「ライアンさんがいるじゃないですかあ。私は主婦業に専念しますからあ」


「全く家事が出来んお前が何を言うか」


 ライアンは、淡々と告げた。

 ソフィアは「うぐっ」と呻くが、それでもめげずに、大きな胸を揺らして上半身を立ち上げると、ふふんと鼻を鳴らし、


「そこは頑張って覚えますから。うん。まずは今度、ライアンさんに手料理を振る舞って見せますよお。それに今はまだですが、いずれは退職しますから! 私とライアンさんの愛の結晶のためにも!」


 言って、自分の腹部を両手で撫でた。

 それに対しても、ライアンは、淡々としたものだった。


「育児休暇だな。無論それは認めよう。だが、一年ぐらいで戻ってきてもらうぞ」


「ライアンさんはどうあっても私を働かせたいんですか!」


 バンバンッ、と執務席を叩いて憤慨するソフィア。


「主婦とて日々懸命に働いている。専業主婦を甘くみるな。ともあれ、今は人手不足なのは分かっているだろう。ベッグやサントスといった特定のメンバーに負担をかけすぎている状況だ。だからこそ」


 ライアンは書類の束から一枚抜き出して、執務席の上に置いた。


「? これは?」


 ソフィアは、それを手に取った。

 ライアンは単刀直入に告げる。


「彼のために用意したモノだ」


「これは……彼の年齢だと、破格の条件ですね」


「確かにこれほどの条件を出すのは、アルフレッド=ハウル以来だ。しかし、彼の実力からすれば当然だろう。その上、クラインの弟だ。反対する者もいまい」


「彼は、エリーズ国の騎士学校に在籍しているのですよ?」


「それは、皇国の学校に転校すればいいことだろう」


 やけに強行するライアンに、ソフィアは眉をひそめた。


「そもそも、彼はアシュレイ公爵が自分の後継にと考えている少年ですよ」


「だが、元々は皇国民だ」


 ライアンは言う。


「村を無くし、孤児という扱いだったため、アシュレイ家が身元引受人になったが、今や素性ははっきりとしている。交渉の余地はあるだろう」


「……交渉するつもりなのですか?」


 ソフィアは困った顔をした。

 こういう強引な時のライアンは、全く退かない。

 そのことを誰よりも知っているのは、ソフィア自身だった。

 だが、それでも団長として告げる。


「交渉は難航するでしょうね。それでも行うのですか?」


「それだけの逸材であると考えております」


 と、ライアンも副団長として返答する。


「アシュレイ公爵とは、私が交渉するつもりです」


「……そうですか」


 ソフィアは嘆息した。


「まあ、いいでしょう。ですが、相手はエリーズ国の四大公爵家の一角。険悪な関係になることだけは避けてください」


「承知しております」


 折角、友好的な関係を築きつつある隣国の大貴族。

 意固地になって険悪となるのは、断じて避けるべき事態だった。

 ライアンとて、そこは重々に承知していた。


「アシュレイ公爵が、彼をただの後継でなく、我が子のように育ててきたことは、彼の性格を見れば分かります。礼を欠くような無礼な真似は致しません」


 言って、ライアンは団長に頭を垂れた。


「では。私は失礼します」


「はい」


 ソフィアは頷いた。


「彼のことはあなたに一任しましょう。よろしくお願いしますね」


「承知いたしました」


 そう答えて、ライアンは団長室を退室した。

 扉をしめて、廊下を歩く。

 しばし、大理石の廊下に、コツコツと足音だけが響く。


(コウタ=ヒラサカ。クラインの弟か)


 ライアンは静かに思う。

 まさに逸材と呼ぶべき少年だ。

 彼をみすみすエリーズ国に預けてしまったのは痛恨の極みである。


(だが、まだ手はある)


 もし、あと数年、この事実が分かるのが遅ければ間に合わなかっただろう。

 彼は、名実ともにアシュレイ家の跡取りになっていたはずだ。

 しかし、今はまだ、彼は何者にもなっていない。

 挽回の可能性はまだあるはずだ。

 そのための幾つかの提案も用意している。


(後は、私の交渉次第か)


 ライアンは「ふむ」と呟いた。

 相手は百戦錬磨の公爵家の当主。

 容易な相手ではないが、負けるつもりもない。


(交渉の場もまた戦場。喰い尽くすだけだ)


 自負を持って、そう思う。

 しかし、ライアンには、それとは別で懸念事項があった。

 それは――。


(ただ……)


 ライアンは眉をひそめた。


(あの老人。最近は静かだが、間違いなく動くだろうな)

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