エピローグ

第366話 エピローグ

「…………………」


 夜の海。

 波をかき分けて進む鉄甲船の甲板にて。

 リノ=エヴァンシードは、ジト目でコウタを見据えていた。


「結局、フラッグ・ゲームは、ボクたちの勝ちで終わったんだ」


 コウタが懐かしそうに告げる。


「アノースログ学園側は主力で指揮官だった、コースウッドさんとソルバさんがリタイヤしたのが大きかったと思う。ジェイクもソルバさんと一緒に保護されちゃったけど、ボクが事前に少し稼いでいたし、何よりリーゼが頑張っていたからね」


「……………」


「ボクはリタイヤこそしなかったけど、その後は参戦できなかったし、やっぱり、リーゼが頑張って皆を率いてくれたおかげだと思う」


「……ふむ」


 リノが、久しぶりに口を開いた。


「どうして、後半は参戦できなかったのじゃ?」


「あ、それはアヤちゃんのためだよ」


「……ほう」


「アヤちゃん、あの後、半日近く気絶してたんだけど、気を失っていても、角が引っ込まなかったんだ。もしかしたら、皆には角を隠しているのかなって思って、ボクはアヤちゃんを抱えてずっと隠れてたんだよ」


「……ほほう」


 リノが、壮絶な笑みを見せた。

 しかし、流石はコウタと言うべきか、全く怯える様子もなく、


「けど、本当に驚いたよ。あの金棒もそうだけど、犀の人だよ。犀の人。ボク、メル以外の獣人族の人に初めて会ったよ!」


「――アホか!」


 スパン、とリノはコウタの頭を叩いた。


「犀の人などわらわでさえ聞いたことがないわ!」


「え? そうなの?」


 コウタは叩かれた頭に手を置いて、キョトンとした。


「え? じゃあアヤちゃんって、何の獣人族だったんだろ?」


「知るか。つうか、話を聞いておると、その犀娘。獣人族というよりも、オルドスに近いような気がするのう……」


 あごに手をやり、リノが呟く。

 コウタは「オルドス?」と反芻して目を瞬かせた。


「え? 何それ? 獣人族じゃないの?」


「うむ。わらわの元同僚での。《冥妖星》の名じゃ」


「……え? それって《九妖星》の一人ってこと?」


 リノは「うむ」と頷いた。


「体はもじゃもじゃで身長は二セージルほど。頭は筒で出来ておる」


「頭が筒!? 何それ!? 人間じゃないの!?」


 コウタは目を丸くした。


「《九妖星》の中には、人間じゃないのもおるからの。ともあれ、その犀娘は、あやつと似た雰囲気を感じるのじゃ」


「いやいや。それはきっと違うよ」


 それに対して、コウタは苦笑を浮かべた。


「アヤちゃんは筒じゃないし。角は生えていたけど、凄く綺麗な子だったよ」


「……ほほう」


 リノは、額に青筋を浮かべた。


「正直、わらわにとってはそっちの方が問題じゃ。ギンネコ娘。蜂蜜ドリル。ロリ神。わらわにジェシカ。義兄上の状況を鑑みても、わらわたちもまた、それだけでは済まぬであろうとは覚悟しておったが、すでに隠れキャラがいようとはな」


 額に指先を当てて嘆息する。


「それもまた一癖も二癖もありそうな娘を。それで、結局、その娘の正体は何じゃったのじゃ? 交流会とやらはそれで終わった訳でなかろう。その後に、その犀娘から話を聞いたのじゃろう?」


「いや、それがさ……」


 そこで、コウタは遠い目をした。


「実はその後、交流会が終了するまででアヤちゃんと会話したのは一度だけなんだ。最終日の大きなパーティの時にこっそりと。その時、彼女の悩んでいたことは一旦保留になったって聞いたんだけど、それ以外のことは……」


「……? 何故じゃ?」


 リノは、訝しげに眉根を寄せた。


「時間はかなりあったのであろう? そんな秘密がテンコ盛りのような娘じゃ。コウタも気になっていたのではないか?」


「うん。確かにね」


 コウタは素直に頷いた。


「保留にはなったそうだけど、あの子が何に悩んでいたのかは聞きたかったよ。それに金棒は無念だった。あの秘密は本当に知りたかった」


「……金棒に拘るのう……」


 リノが腕を組んで唸る。


「まあ、よい。それよりどうして話をせんかったのじゃ?」


「……したくても出来なかったんだよ」


 コウタは、嘆息した。


「フラッグ・ゲームの後、ボクとジェイクは監視対象だったから」


「……は?」


「ジェイクは、接触禁止されていたソルバさんと一時間以上も二人きりでいたってことでアウト。足を挫いたソルバさんをお姫さま抱っこしていたところを救出されたのが致命的だった。本人は、やむを得なかったんだって必死に訴えたんだけど無理だった。その後、交流会中は監視員が二人ついた。アノースログ学園の女生徒と接触する機会がある時は拘束衣を着けられていた。学園の人たちもドン引きしてたよ」


「えげつないの!? お主のクラス!?」


 驚愕するリノに、コウタは苦笑を浮かべた。


「ジェイクは執行猶予中だったしね。ボクの場合は……」


 ふうゥ、と息を吐く。


「目を覚ましたアヤちゃんだったけど、体力は使い果たしたみたいで、ボクはあの子をおんぶして皆と合流したんだ。アヤちゃんはランキングで四位だったから、ボクにも査問委員会が開かれて……」


「……それで監視されたと?」


 リノは渋面を浮かべた。


「お主のクラスの男ども。必死過ぎぬか?」


「い、いや……」


 コウタは弁護しようと思ったが、言葉が出てこなかった。

 あの時は、言い訳が思いつかないぐらいクラスが変なテンションだったのだ。


「まあ、それはどうでもよいか。それより」


 リノは、コウタをまじまじと見つめた。


「一つ気になるのじゃが、ギンネコ娘や蜂蜜ドリルは、その犀娘のことを一体どう思っておるのじゃ?」


「え?」


 コウタは目を瞬かせた。


「え、メルたちはアヤちゃんとはあまり仲は良くないよ。というよりも、名前もよく憶えてないんじゃないかな? メルもリーゼも、コースウッドさんとは仲は良かったみたいだけど、アヤちゃんとはほとんどしゃべっていなかったと思うし」


「………おい」


 リノは、嫌な予感がした。


「コウタ。お主、まさか犀娘のことをギンネコ娘どもに何も話しておらぬのか?」


「え? あ、うん」


 コウタは頷く。


「正直に言えば、話し出す機会がなかったからかな。それに、ボクはアヤちゃんの事情を何も知らないから。詳しく話そうと思うと、角のこととか、金棒のこととかも教えることになるし、それはアヤちゃんが嫌がりそうだったし」


「……ああ~、そういう配慮ことか……」


 リノは、額に手を当てた。


「う~む。コウタらしいと言えば、コウタらしいが……」


 そこで、ふと気付く。


「何故、わらわには話したのじゃ?」


 コウタは、リノに学校に興味を持ってもらいたくて交流会の話をした。

 しかし、話題なら他にもあったはずだ。

 わざわざ、アヤメという少女の話をする必要はない。


「……う~ん、そうだね」


 コウタは目を細めた。


「本当はまだ話すべきじゃないと思った。けど、リノに学校のことを伝えるのなら、あの子のことを話したいと思った。だって、あの子は……」


 一拍おいて、


「……何となく、リノに似てるなと思った子だから」


「…………」


 リノは沈黙した。


「彼女にはリノの、リノには彼女の友達になって欲しいと思ったから」


「………ふう」


 リノは大きく嘆息した。


「困った旦那さまじゃ。じゃがよかろう」


 妖しの星の姫は、妖艶に笑う。


「その犀娘とはいずれ会ってやろう。学校の件も前向きに考えよう」


「ホ、ホント! リノ!」


 コウタは、目を輝かせた。


「中々面白い人材が揃っておるようじゃしな」


 リノは、悪戯っぽく頬に指先を当てた。


「犀娘とも友人になってやろうではないか。どう聞いても、その娘はわらわ側の人間のようじゃしの。わらわの一派もジェシカだけでは押され気味なのも事実じゃ」


 たゆんっ、と大きな胸を揺らして腰に手を当てる。


「犀娘を迎え入れれば、三体三。勢力図的には互角と言えよう」


「えっと、勢力図ってなに?」


 コウタが首を傾げた。

 リノは「まあ、ともあれ」と続けて、


「その犀娘は、皇国のその某学園にまだおるのか?」


「うん。多分」


 コウタは頷く。


「実は、彼女の保留になっている問題ってやつが気がかりだったんだ。けど、あの学園は全寮制だし、出発前は色々と事件もあって会いに行けなかったんだ。だけど、兄さんとも再会したし、皇国に着いたら、一度彼女に会いに行こうかなって思ってて……」


「うむ。そうか」


 リノは「うんうん」と頷く。


「コウタ」


「ん? なに? リノ」


「ギンネコ娘ども。間違いなく荒れるぞ」


「……へ?」


 自分がとんでもない爆弾を背負っていることの自覚もなく、コウタはキョトンとした。


「とりあえず、その『アヤちゃん』は控えよ。それはズルい。わらわでもズルいと思う」


 リノは、そう告げて歩き出した。


「そろそろ船内に戻るぞ。潮風も寒くなってきおった」


「あ、うん。そうだね」


 コウタはそう答えて、リノの後に続いた。

 リノはコウタを少し待ってから、彼の腕に手を回した。


「ちょ、ちょっと! リノ!」


「ええい。これぐらいは大目に見んか」


 リノは、少しだけ頬を膨らませた。


「わらわの前で他の女の話を長々としおって。流石に腹が立ってきわ」


「え? いや、他の女って……」


「うるさい。黙れ。エスコートせんか」


 リノは、問答無用で、コウタの言い訳を断ち切った。

 と、同時に内心で思う。


(……アヤメ=シキモリか)


 瞳を細める。


(……また厄介そうな女のようじゃのう)



       ◆



 その時。

 白い鳥が空を飛んだ。

 そこは、山林の奥地にある焔魔堂の隠れ里。

 庭園が広がる広大なムラサメ邸の縁側で、愛しい我が子を片手に、フウカ=ムラサメは手を伸ばした。

 その手に白い鳥が止まる。その脚には白い管が巻かれていた。

 フウカは、眠る息子を抱いたまま、それを手にした。

 それは夫からの手紙だった。

 そこには近況報告をつづった文が、半分・・記されていた。


「……ふふ」


 フウカは、口元を綻ばせる。


「アヤメは元気そうね。ライガさんも」


 妹と夫は、未だアノースログ学園に潜伏している。

 御子さまもすでに見つかり、今、里は御子さまを迎え入れる準備に入っている。

 里の人間には、御子さまのことは伝わっていた。

 しかし、あえてアヤメには、その状況を隠していた。

 何も伝えずに、花嫁奪取の表の任務を、変わらず続行しているのである。

 今や、アヤメは名実ともに大切な身だ。忙しい環境の変化からは遠ざけて、今は心身ともに御子さまを受け入れる準備に集中させているのである。

 それは、フウカが、ライガに進言した提案でもあった。


(多分、アヤメ、御子さま相手に心角の試しもしちゃったみたいだし)


 ライガの手紙から、フウカはそれを察していた。


(きっと、この半年は辛かったでしょうね)


 自分の時もことも思い出し、フウカは小さく嘆息する。と、


「フウカぁ~」


 不意に、名前を呼ばれた。

 見ると、そこにはムラサメ家の従者に案内されて、縁側を歩く少女の姿があった。

 肩まであるウェーブのかかった茶色い髪。和装にはまだ少し違和感があるが、大分着こなしてきている娘だ。腰の帯には短刀を差している。


 ベルニカ=サカヅキ。

 焔魔堂十八家の一つ。サカヅキ家の次期当主の奥方である。


「あら。いらっしゃい。ベルニカ」


 フウカは、笑顔で友人を迎え入れた。従者は「では。私はこれで」と一礼すると、フウカと彼女の息子。そしてベルニカを残して去っていた。


「あらあら~」


 ベルニカはフウカの元に駆け寄ると、赤ん坊の顔を覗き込んだ。


「たっくんはお眠ですか~」


 ぷにぷに、とフウカの息子――タツマ=ムラサメの頬をつつく。

 フウカは「ふふ」と笑う。


「さっき眠ったところよ。惜しかったわね」


「むむむ」


 ベルニカは残念そうに頬を膨らませた。


「折角タツマに会いに来てくれたのにごめんね」


「ああ~、いいのよ」


 ベルニカは、パタパタと手を振った。


「実は、今日は別件で来たのよ」


「え? そうなの?」


 フウカが首を傾げると、ベルニカは少し頬を染めて、


「え、えっとね」


 と、フウカに耳打ちした。

 それを聞いたフウカは「まあ!」と目を見開いた。


「おめでとう! よかったわね!」


「う、うん……」


 ベルニカは顔をさらに赤く染めて、自分のお腹に両手を当てた。


「ヒョウマさん、大喜びでしょう」


「う、うん。ヒョウマも、お義父さまも、一族のみんなも……」


 ベルニカは視線を伏せて、恥ずかしそうにそう呟いた。

 それは、かつて里に攫われた娘とは思えない仕草だった。

 フウカは「……はは」と苦笑いした。


「この里に来た時、とてもサカヅキ邸で大暴れしたとは思えない態度ね」


「し、仕方がないじゃない!」


 ベルニカは言う。


「いきなりこんな場所に攫われて、みんな角生えてるし、もう怖くて、でも……」


 ポツリ、と呟く。


「ヒョウマは、最初から優しかったわ」


「……そう」


「あいつ、私よりずっと強いのに、私に乱暴しようとはしなかった。毎日毎日私のとこに来て結婚して欲しいって。私が里から逃亡して森に迷い込んだ時も、真っ先に助けに来てくれたのはあいつだった」


 ふうゥ、と嘆息した。


「私、この里に来てから、ほとんど眠れなかったのに、気付けば、あいつの傍なら眠れるようになっていた。あいつは私が眠るまで何も言わずに傍にいてくれた」


「…………」


 フウカは何も語らない。

 初めて聞く話だが、多分そんな感じだろうなと思っていたからだ。

 焔魔堂は、血を残すために、外部より武の才に優れた女性を攫ってくる。

 しかし、攫いはしても、決して暴行はしないのだ。

 婿と定められた男が、誠心誠意をもって口説き落とすのである。

 一族としては、攫ってきた『花嫁』を、無理やりに手籠めにすることも黙認しているのだが、焔魔堂の男は、それだけはしなかった。


 とても紳士かつ真摯に。愚直なまでに相手を思いやる。

 中には、本気で嫌なら里から逃がしてやる、と自ら申し出る男もいた。


 焔魔堂の者は、生涯に一度しか子を設けられない。

 だからこそ、伴侶に決めた者を心から大切に思うのだ。まあ、男の場合はほとんどの者が一族の特性的に女性経験が全くないので、純粋ピュアすぎる結果かもしれないが。


 そして、その伴侶に選ばれた『花嫁』は、武に打ち込むような娘ばかりだった。

 恋愛経験もほとんどないところに、危機的な状況ではあるが、自分よりも強く、武骨ではあるが紳士的で、真剣に自分の身を案じ、その上で愛を誓う男がいる。

 まさしく全身全霊をかけた本気の求愛を見せる焔魔堂の男に、吊り橋効果も相まって、恋に落ちるのも仕方がない。


 結果、ほとんどの娘は、悩みつつも求婚を受け入れているのが現状だった。

 ベルニカのように、その後も里で暮らしているのである。


「なんていうか、私の今までの……これからの人生で、ヒョウマ以上に私を愛してくれる人はいない。そう思ちゃったのよね」


 やられたなあ……と呟きつつ、ベルニカが、頬に手を当てた。

 ただ、この想いは一時の気の迷いではない。ベルニカは今も確信していた。

 だからこそ、彼の子を身籠ったのだ。

 そこでベルニカはフウカの方に目をやった。特に彼女の額の心角に注目する。


「私は外から嫁いだけど、フウカもそんな感じだったの?」


「え? 私?」


 フウカはタツマを揺らしながら、目を瞬かせた。


「う~ん、私かぁ」フウカは遠い眼差しを見せた。


「私の場合はかなり特殊だよ。心角の試しって知ってる?」


「あ、聞いたことならあるよ」


 ベルニカが頷く。フウカは苦笑を浮かべた。


「私ね。それを十二歳の時に受けたの」


 フウカは、当時のことを思い出す。

 当時のフウカは、自分が強くなることしか興味がなかった。

 焦っていたとも言える。なにせ、自分に才能があるのは分かっていたからだ。

 恐らく、お側女役には、自分かアヤメが選ばれる。

 フウカはそう考えていた。だが、そんなものは御免だ。一生、この焔魔堂に囚われることになる。焔魔堂の若い世代には、外の世界へと飛び出す者もいるのに。


『私たちは自由なのよ』


 それが、当時の彼女の口癖だった。

 フウカは、いずれ、アヤメを連れて里抜けするつもりだったのである。

 しかし、やはり焦っていたのだろう。ある日、師の書棚からこっそり拝借した水の章の上伝を習得しようとし、失敗してしまった。

 暴走した巨大な水流に呑み込まれて、命を落とすところだったのだ。

 いや、師がいなければ、確実に命を落としていただろう。


『しっかりせよ! フウカ!』


 師は水の中から、フウカを抱きかかえて救出してくれた。


『ゴホっ、お、お師匠さま……』


『良かった……。この馬鹿者が。無茶をしおって』


 言って、彼は、腕の中のフウカの額――前髪をかき上げた。

 その際に、わずかに、彼の指先が少しだけ心角に触れてしまったのである。


『――っ!?』


 その後に起きた現象は、推して知るべしだ。

 フウカは、わずか十二歳で知ってしまったのだ。

 師として尊敬し、父のように思っていた目の前の人こそが、自分の運命であると。


『……すまぬ。どこか痛かったか?』


 その時、ライガの方は、自分の指が弟子の心角につい触れてしまったことには気付いていたが、まさか、ここで試しが行われたとは思っていなかった。フウカが何かに堪えるようにライガにしがみつくのも、死の恐怖から震えているのだと思っていた。


 ともあれ、その日から、フウカの師を見る視線は変わった。

 なにせ、運命を知ってしまったのだ。多少、上の空になるのも仕方がない。

 指導の際、師に触れられるたびに、心臓が跳び上がりそうだった。

 そのため、フウカの実力はかなり停滞した。結果、三年後、アヤメの方がお側女役に選ばれることになったのである。


 アヤメがお側女役に選ばれた日の夜。フウカは師の部屋に呼び出された。


『……俺は焔魔さまを信じておる。焔魔さまにお仕えすることこそが俺の生きる道だ。ゆえにアヤメがお側女役に選ばれたことはこの上ない栄誉だと思っておる。しかし』


 師は、厳かに言葉を続けた。


『それはあくまで俺の考えだ。アヤメの意志ではない。フウカよ。もしアヤメが里抜けしようと考えているのならば、お前も付いていってやれ』


 ほとんど笑ったこともない師は、とても優しい眼差しを見せた。


『お前たちは、すでに充分な実力を身につけた。外の世界でも生きていけよう。この里に縛られる必要はない。お前たちは自由なのだから』


 フウカは師の言葉に、何も答えず、三つ指をついて頭を垂れた。

 そうしてフウカは、その夜の内に長老衆の元へと訪れた。

 自分は心角の試しを行った。自分をライガの妻に推薦して欲しいと直訴したのだ。

 長老衆は驚いたものだった。まあ、最も驚いたのはライガ当人なのだが。

 フウカは、その夜、決意したのだ。

 自分一人で咎を受けようとするあの人を放っておけないと。


「焔魔堂の女は心角で運命の人が分かるの。だから女の方が積極的なのよ。こう見えても私の方からアピールしたのよ」


「へえ~、そうなんだ」


 穏やかなフウカとは思えない台詞に、ベルニカは感嘆の声を上げた。

 ――そう。フウカは、まさに押し切った。

 かつてない押しの強さで、ライガの妻の座を獲得したのだ。

 咎を受けるのならば二人で。

 そう覚悟したのだ。

 その想いを知ったからこそ、ライガもフウカを受け入れたのである。


(ふふ)


 フウカは手に持っている手紙を一瞥した。

 焔魔堂の男は情が深い。特に愛する者に対しては。

 それは、厳格なライガとて例外ではなかった。

 手紙の半分・・。その後半。

 そこには、フウカとタツマの身を気遣う想いで溢れていた。


 息災か? タツマは元気か? 慣れぬ子育てに疲れていないか? 自愛を忘れるな。無理だけはするなよ。困った時はカヤマ家のオババさまに頼れ。また手紙を送る。


 そんな言葉でいっぱいだった。

 嬉しくて、思わず笑みが零れてしまう。と、


「攫われた私としては、ちょっと思うんだけど……」


 ベルニカは、率直な意見を口にした。


「数は少ないけど、本気で嫁入りを嫌がった人って、里の記憶は消されるけど普通に家に帰してもらっているんでしょう? 要は口説けなかったってことで。それで家に帰すのなら、わざわざ攫ったりしないで、普通に嫁を探しに里を出て、そこで口説けばいいのに」


「う~ん、そこは秘匿性の重視ってやつじゃないかな?」


 フウカとしては、そうとしか言えない。


「まあ、うちはとにかく古い一族だから」


 フウカは息子の小さな心角を、ちょんとつついて微笑む。

 しかし、思い出すのは、心角の試しだ。

 実はあれには、もう一つ劇的な効果があるのである。


(……アヤメ)


 妹のことを想う。それから何とも言えないような顔を見せて、


(う~ん、本当にキツかっただろうなあ。この半年間)


 自身の実体験も踏まえて。

 遠き地にいる妹に、密かに同情するフウカだった。



       ◆



「……どうかな? 僕と付き合ってみないか?」


 場所は変わって、アノースログ学園の裏庭。

 アヤメは、呼び出された二回生の男子生徒にそう告げられた。

 文武に優れた生徒であり、伯爵家の次男とも聞いている。容姿も整っており、校内の女生徒の間では人気の高い人物だと聞いたことがある。

 しかし、アヤメにとっては、心を揺さぶられるような相手ではない。


「……ごめんなさいのです」


 はっきりと告げる。


「私は、すでに売約済みですので」


「売約済み!?」


 少年は、愕然とした顔を見せる。が、それもどうでもいいことだ。

 アヤメは「失礼します」と言って、未だ愕然とする少年を置いて歩き出した。

 ……これで何人目だろうか。

 今月に入って五人までは数えていたが、もう飽きた。


(流石に、鬱陶しいのです)


 校舎の中に入って、アヤメは思う。

 以前も多少の告白はあったが、今は酷い。

 それこそ、アンジェリカやフランにも劣らない告白数だ。

 どうしてここまで増えたのか。

 その理由も分かっている。


(………)


 アヤメは少し立ち止まり、窓ガラスに映った自分の姿に目をやった。

 そこには、半年前とは違う自分がいた。


 顔立ちは大きく変わっていない。身長もほとんどだ。

 しかし、体つきが明らかに変化していた。四肢の細さは変わらないが、太股やお尻の肉付きは増し、逆に腰は引き締まるように、キュッと細くなっていた。


 そして、何より変化したのは胸だった。

 かつてとても慎ましかった自分の胸部には、今や大きな果実が実っていた。流石にアンジェリカやフランほどではないが、人並みぐらいにはある大きさだ。


 まだ子供と呼んでもよかった体つきが完全に女性のモノへと変化している。

 これが、たった半年間の変化だった。


(……地獄だったのです)


 成長痛というものがあるが、まさにそれだった。

 急激で劇的すぎる大きな変化に体中が悲鳴を上げた。お腹も常に空腹だった。食べても食べても全く足りない。体重の半分以上の量の食事をとった日もある。

 あまりの辛さに、一日中、部屋に籠っていた日もあった。

 その時は、アンジェリカとフランに、かなり心配をかけてしまった。

 ようやく落ち着いてきた時は、本当にホッとしたものだが、苦しみの割には、身長だけはさほど変わらなかったので、そこは不満だった。


 ともあれ、この突然の成長。アヤメには見当がついていた。


(……心角の試し)


 窓ガラスに映る自分が、ぶすっとした表情を見せる。

 恐らく、それが原因だ。

 仕組みは分からない。焔魔堂の血なのか、もしくは試しを経て、ホルモンバランスが大きく変化したのか。


 ともあれ、自分の体は変わったのだ。

 子供の体から、を受け入れられる女の体へと。


(……そういえば)


 再び歩き出しながら、ふと姉のことを思い出す。

 思い返せば、姉も劇的に体つきが変わった時期があった。


 あれは、確か姉が十二歳ぐらいの時か。

 その時までは、半年前のアヤメと大して変わらなかったフウカの体つきが、半年ぐらいの短期間で女性的なモノへと大きく変化したのだ。

 たわわに実った姉の果実をまじまじと見つめて、姉に「何か特殊なものを食ったのです?」と尋ねると、姉は顔を強張らせて「あ、愛かな?」とか言っていた。


 あの時は、ただの冗談かと思っていたが……。


(要するに姉さまは、その頃に心角の試しを受けていた訳ですか)


 アヤメは進む。

 目的はとある教室。今は空き室になっている部屋だ。

 そこに待つ人物を思い浮かべて、アヤメはますます不機嫌になる。


(あの超腐れ義兄さまめ……)


 要は、あの男は、十二の頃の姉に手を出していたということだ。

 直接的に姉に手を出したのは、もう少し後のことだったかもしれないが、それでも十二歳の娘に心角の試しをするなど許しがたい。あの威力を知るだけに腹が立った。

 その頃から、あの腐れ師匠は、姉を自分の嫁に仕立て上げるつもりだったのである。


 ――いや、もしかしたら、身寄りのない姉を引き取った時から……。

 師の心を知らないとはいえ、あまりにも酷い曲解をするアヤメだった。


 未だ、師がアンジェリカとフランを狙っていると思っていることも、その誤解を加速させていることは言うまでもない。


 アヤメは、花嫁奪取の任務がまだ続いていると思っていた。

 どうしてか、現在は保留になっているようだが。


(アンジュ。フラン……)


 目を細めた。

 二人とも、今もアヤメと仲良くしていてくれる。

 優しい友人たちだ。

 彼女たちは、何としてでも助けたかった。

 そして、そのためにはの力がいる。


(だから、どうしてもと会わないといけないのです)


 双眸を鋭く細めて、黒髪の少年の姿を思い浮かべる。

 彼女の運命。彼女の……主人である少年。

 アヤメは一度、そこで足を止めた。

 そして、


(………………むむう)


 不意に俯き、耳まで真っ赤にした。

 ただ、彼の姿を思い浮かべただけで、胸の奥がきゅうっと鳴った。

 確かに、アンジェリカとフランのことは心配だ。

 けれど、それと同じぐらいに、どうしようもなく彼に逢いたい自分がいた。

 成長した今の自分を見たら、彼はどんな風に思うだろうか……。


(……コウタ君)


 心の中で彼の名を呼ぶだけで、顔の温度がさらに上がった。

 実は、それは一度も口にしていない名前だった。

 口に出すには、どうしようもなく恥ずかしかったからだ。

 次に会う時は、どうにか頑張って、その名で呼ぼうと考えていた。

 なにせ、


(どうも、お側女役は私だけじゃないようですから)


 アヤメは、少しだけムスッとした表情を見せた。

 交流会の後半は、ほとんど彼と会話をする機会はなかったが、彼の近辺については、アンジェリカの証言に加えて、独自に調査もしている。


 どうやら、彼は相当にモテるようだ。

 いや、はっきり言ってしまえば、恐ろしいぐらいにモテている。


 エリーズ国の騎士学校内には、彼のファンクラブまであるらしく、親衛隊と名乗るあの連中が学園側の女子生徒をやたらと警戒してくれたおかげで、交流会の中盤以降は、彼とロクに会話をする機会もなかった。

 しかも、交流会の後半では、アノースログ学園側でも、その親衛隊の分隊が結成されていた。グレスト伯爵令嬢が隊長を務めているらしい。お側女役の自分を差し置いて。


(……むむむ)


 アヤメは内心で唸った。

 ともあれ、今は自分以外のお側女役についてだ。

 アヤメの女の勘によれば、彼自らが選んだお側女役は二人。

 エリーズ国騎士学校の校内で、たった二人しかいない公爵令嬢たち。

 巨大な甲冑令嬢と、可憐な代表生徒だ。

 ……そう。少し信じられないが、あの甲冑令嬢もお側女役らしい。


(……コウタ君は、幅広いのです)


 少し慄くが、甲冑令嬢の件は一旦置いておく。

 彼女に関しては、学校にもあまり登校しない時が多かったので探りようがない。

 気になるのはもう一人の方だ。代表生徒だった少女の方である。


(――リーゼ=レイハート)


 アヤメは一度足を止めて、眉をひそめた。

 彼女は、もの凄く綺麗な少女だった。

 彼と親しげに話すところを何度も目撃した。その上、アヤメと同じスレンダー系の体つきだというのに、胸のサイズはアヤメよりも少し上なのである。

 これは手強いと思った。自分の体形に不安を持ったのは初めてだった。


 だが、それも過去のことだ。

 今の自分は、かつての自分の三倍増しだ。

 弾力、質量ともに三倍増しなのだ。


 あの女のサイズも、すでに大きく上回っている。


(……勝ったのです!)


 アヤメは、静かに拳を固めた。

 ――見たか! これぞお側女役筆頭・・の力なのだ!

 流石に姉ほどまでは大きくならなかったが、充分なサイズである。


 フラッグ・ゲームの時。

 彼は自分をおんぶした。その際に、アヤメは少し悪戯心を出して、あえて胸を背中に押し付けてやったのだが、彼は全く動揺しなかった。


 ――あれは不満だった。屈辱だった。

 だが、今ならどうだ。

 流石に無反応ではいられないはずだ。


 アヤメは自分の胸に少し触れて、ふふんと鼻を鳴らした。


(……覚悟しておくのです)


 そんなことを考えながら、再び歩き出し、彼女は目的の教室の前に到着した。周囲に人がいないことを確認してから静かに部屋の中に入る。

 薄暗い室内。その壁際。

 そこには丸眼鏡をかけた、灰色の髪の少年がいた。

 ジーン=ダラーズの姿を借りた、ライガ=ムラサメである。

 アヤメは口を開く。


「参りました。超腐れ義兄さま」


「……せめて義兄と呼べ」


 ライガが嘆息してそう返すが、アヤメは構わず問いかける。


「何の御用です? あの二人の情報収集は、しばらく不要と聞きましたが?」


「……ああ。確かにそれはもういらん。もう必要もない」


「……もう必要もない? どういうことです? 義兄さま」


 アヤメが眉根を寄せる。と、


「花嫁奪取の任務は正式に破棄になった。あの二人に手を出すことはもうない。それよりも重要なことがある。いよいよ準備できたのだ」


「……準備?」アヤメはますます眉をひそめた。「何の話なのです?」


「里は無論、お前の心も体も準備が整ったということだ」


「え?」


 アヤメは目を見開いた。


「……時は来た。御子さまをお呼びする時がな」


「……御子、さま?」


 反芻するアヤメに、ライガはふっと笑って答える。


「お前が想いを寄せる御方。お前がこれより寵愛を賜る御方。すなわち」


 一拍おいて、


「コウタ=ヒラサカさまのことだ」


「……………………え」


 唖然とするアヤメ。

 そんな義妹に、ライガはやや興奮した声でこう告げるのだった。


「あの御方を密かに護衛する陰より報告があった。御子さまは、じきに皇国にお戻りになられるとのことだ。そう。時は来たのだ。今こそ御子さまを……我らが主を、焔魔堂の里にお招きする時が来たということなのだ」


 シン、と空気が張り詰める。

 唐突すぎるその台詞に、アヤメは、ただただ茫然とするだけだった――。




第11部〈了〉


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雨宮ソウスケ

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