第362話 そうして、彼女は運命を知る④
一方、その頃。
シン、とした大空洞にて。
「……未来ね」
アンジェリカは、苦笑を零した。
「随分と大仰な台詞ね。それで誰なのかしら。あなたは」
次いで、メルティアを守るように移動して、短剣をすうっと抜いた。
「私たちを救出にきた……訳じゃないわよね」
切っ先を男に向ける。
男――ライガもまた、苦笑を浮かべた。
「確かに救出ではない。俺の目的はお前だ。アンジェリカ=コースウッド」
「……ふ~ん」
アンジェリカは、双眸を細めた。
「それって、私の身柄が目的ってこと? 随分と堂々としているけど、あなたは誘拐犯ってことかしら」
「あり大抵に言えば、そうだな」
ライガは、ゆっくりと間合いを詰める。
アンジェリカは、「そう」と呟き、短剣の柄を強く握り直す。
「もしかして、皇国からずっと私に付いてきてたの? この事故をチャンスと思った? いえ――」
アンジェリカは、眉をひそめた。
「まさか、この事故自体が、あなたが仕掛けた罠なのかしら?」
「……さあな」
ライガは、再び苦笑を浮かべた。
「好きに取るがいい」
『あ、あの……』
その時、メルティアが声を上げた。
『この人は誘拐目的の人なのですか? ならゴーレムを……』
「ああ~、安心して。メルティアさん」
アンジェリカは微笑んだ。
「こう見えても、私は強いから。一対一なら負けないわ」
「……大した自信だ。だが、その前に俺からも一つ伝えさせてもらおう」
ライガは、メルティアの方に目を向けた。
「……少女よ」
一見すると、大男にしか見えない巨人に告げる。
「俺に貴女を傷つける気はない。狙いはアンジェリカ=コースウッドのみだ。不敬であることは重々承知ではあるが、貴女のこの場での記憶は後ほど消させていただく」
『え? 記憶を……消す?』
「部分的ならば、それも可能なのだ。さて」
ライガは、ズンと足を踏み込んだ。
短剣を構えるアンジェリカに対し、手の甲を前に拳を構える。
「アンジェリカ=コースウッドよ」
「……何よ」
アンジェリカが険しい表情で返すと、
「お前には抗う権利がある」
「……は?」
ライガの言葉に、アンジェリカは眉をしかめた。
ライガは不動の構えのまま、淡々と言葉を続ける。
「それが我らの慣習なれば。まずはここで抗え。次にお前の主人となる者に抗え」
「……はあ? なにそれ?」
アンジェリカは、不快そうに呟く。
「あなた、身代金目当てじゃないの? 性交目的の奴隷商?」
かつての自分を攫った男を思い出し、アンジェリカは怒りを顔に浮かべた。
「最低。なのに、なに武人っぽく気取っているのよ」
「……何とでも言え」
ライガは、やはり揺るがない。
「外道であることは百も承知だ。ゆえに抗え。お前がここで勝てば何の問題もなかろう」
「……そうね」
アンジェリカは、座った目でライガを見据えた。
「個人的にぶちのめしたくなったわ。アヤメじゃないけど」
「………………」
期せずして義妹の名を聞くことになったが、ライガは顔色さえも変えない。
二人の緊迫した様子にメルティアは、おどおどとし始めた。
『あ、あの、アンジェリカさん』
「アンジュでいいわ」
アンジェリカは、視線はライガに向けたまま、答える。
「メルティアさん……メルティアは離れていて。ゴーレムさんたちも」
アンジェリカは、短剣を前に掲げて告げる。
「慣習って言うのなら、私も騎士として付き合ってあげるわ。一対一よ。誰に喧嘩を売ったか教えてやるわ」
「……勇ましいことだ」
ライガは目を細める。
「だが、そうでなければ『花嫁』に相応しくないか」
「拉致した女の子を『花嫁』とはよく言うわ」
アンジェリカが、静かな怒りを抱く。
「あなたはここで倒す。そしてあなたの後ろにいる組織も潰させてもらうわ」
「……お前に出来るのならばな」
二人は緊迫した気配をぶつけ合った。
一方、動揺するのは戦闘の素人のメルティアだ。
『ぜ、零号』
最も信頼するゴーレムに、不安の声を掛ける。
『ここはどうすればいいのでしょうか?』
「……アニジャ」六十三号も長兄に尋ねる。「……オトメ、タスケナクテ、イイノカ?」
零号は、「……ウム」と、少しだけ考え込んだ。
そして、
「……正直、ジョウキョウガ、ツカメヌ」
『え?』
メルティアが、目を瞬かせた。
「……眷族ナノハ、ワカル。シカシ、イッタイ、ダレノ……」
と、零号がブツブツと呟いてた。
『えっと、零号? どうかしましたか?』
「……ム」
主人に声を掛けられて、零号が顔を上げた。
「……スマヌ。カンガエゴトヲ、シテイタ。ダガ、大丈夫ダ」
『え? 大丈夫とは?』
メルティアがそう尋ねると、零号の耳元から、ピピピピと電子音が鳴った。
「……強イ戦闘能力ガ、チカヅイテイル」
「……オオ。タシカニ」
六十三号も呟いた。
メルティアは『え? 何を言っているのです?』と、困惑するばかりだ。
「……大丈夫ダ。メルサマ」
零号は言う。
「……ワレラガ、デズトモ、問題ナイ」
『そ、そうなのですか?』
メルティアは小首を傾げた。
その間も、アンジェリカとライガの緊迫感は増していた。
そして、それは遂に――。
「――行くわよ!」
アンジェリカが駆け出した。
刺突を繰り出すが、それはライガの手の甲で弾かれた。
さらに連続刺突。それらも手の甲で凌がれる。
「この!」
アンジェリカは、スカートであるにも関わらず
それを、ライガは後方に跳んでかわした。
アンジェリカは、瞬時に間合いを詰め、腹部へと刺突を繰り出すが、それもまた手の甲で弾かれた。
「中々鋭い突きだな」
「うるさいわね! 軽いとか言ったらぶっ殺すわよ!」
アンジェリカは袈裟斬りを繰り出す。
ライガは手の甲では受けずに、一歩下がることでかわした。
間合いが少し広がる。
アンジェリカはその場で反転、後ろ蹴りをライガの腹部に叩きつけた!
大柄な男でも、この一撃は重い。
ライガは、数歩ほど後ろに下がった。アンジェリカは躍るようにその場でさらに反転、勢いを乗せて斬撃を放った――が、
――ギイィン!
(………え?)
明らかな金属音に、アンジェリカは目を瞠った。
クルクルと宙に舞う短剣がガランと地面に落ちた。
肩口を狙った斬撃は、強い衝撃と共に弾かれたのだ。
まるで鋼を叩いたような感触だった。
「――くッ! あなた!」
アンジェリカは、後方に大きく跳んだ。
短剣を握っていた右手が、微かに痺れている。
「鎖帷子……いえ、服の下に鋼板でも仕込んでいるわね!」
「……ふん」
ライガは、苦笑を浮かべた。
「鋼板? そんなものは仕込んでいないな」
言って、腕を動かし、上半身を開けた。鍛え上げられた鋼の肉体が露になる。そして腰から垂れる上着には、確かに鉄板が仕込まれているような様子はない。
「……え?」
アンジェリカは、困惑した。
未だ残る手の痺れ。これは何か金属のようなモノを叩いた結果だ。
しかし、男の体に金属を纏った痕跡はなかった。
「ど、どういうこと?」
「お前の知らない力もあるということだ」
ライガは、ギシリと拳を固めた。
そして、
「そろそろ、こちらからも行くぞ」
そう告げた瞬間、ライガは消えた。
少なくとも、アンジェリカにはそう見えた。
そうして、
――ズンッ!
ライガの拳が、アンジェリカの腹部を打ち抜いた!
アンジェリカは「カハッ」と息を吐き、そのまま吹き飛ばされてしまう。
その勢いは凄まじく、何度もバウンドした。
『――アンジュ!』
メルティアが悲鳴を上げた。そして反射的に前に踏み出そうとするが、
『え?』
困惑する。足が張り付いたように動かないのだ。
(機体の故障? こんな時に!)
一瞬そう思うが、それに対し、ライガがメルティアの方に掌を見せた。
「どうか、動かないでいただきたい」
ライガは、ゆっくりと、倒れて呻くアンジェリカに近づいていく。
「貴女を傷つける気はございませぬ。御身は大切な方ゆえに。そして何より、これは我ら二人の戦いのはず」
言って、男は掌を降ろし、アンジェリカの元へと辿り着いた。
アンジェリカは痛む腹部を押さえながら、ライガを見る。
途端、体の奥から震えた。
恐怖が全身に満ちる。
(あ、あ……)
体が動かない。
普段のアンジェリカならば、こうはならなかった。
本来の彼女の心は強い。
たとえ実力差があっても、最後まで諦めず逆転の目を探すはずだった。
しかし、今日だけはダメだった。
――正確に言えば、奴隷商であるこの男だけはダメだった。
たった一撃で動けないほどのダメージを受けて、嫌でもあの男を思い出したのだ。
アンジェリカを攫って、暴行しようとしたあの男の顔を。
抵抗も出来なかったあの時の絶望が――。
(あ、あ、あ……)
恐怖で、呼吸さえもままならなくなってくる。
「立て。まさかこれで終わりでもなかろう」
そんな中、ライガが、掌をアンジェリカへと向けた。
途端、アンジェリカは頭を抱えて体を丸めた。
「やだ……やだやだあ! こないで! やだああッ!」
「……なに?」
ライガが、手を止めた。
アンジェリカは完全に怯え切っていた。
ネコのように丸くなって、カチカチと鼻を鳴らしている。
「……一撃だと? この程度で心が折れたのか?」
これにはライガの方が困惑した。
「……馬鹿な。この脆さは何だ? お前の心はもっと強いはずだ。俺の見込み違いだったというのか?」
手を止めて、そう呟いた、その時だった。
――ぶわあ、と。
ライガは突如、背後に熱波を感じた。
いや、実際には熱波ではない。
しかし、火口を覗いたかのような、灼けつくほどの圧力を背後から感じたのだ。
ライガは、険しい顔で振り返った。
と、そこにいたのは、一人の少年だった。
赤い髪と眼差しを持つ、黒い騎士服の少年である。
――そう。七つの《極星》の一つ。
機械槍を手に、燃え上がるような怒りの形相を見せる少年がそこにいた。
「……お前」
そうして少年――アルフレッド=ハウルは、火を吐くように、こう告げる。
「お前、アンジュに……アンジュに何をしたんだ!」
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