第300話 駆け抜ける者たち②
「……………」
王城にある一室。
彼女は、ずっと無言だった。
歳の頃は十五~六ほど。紫がかった銀色の髪に、ピコンと立ったネコミミ。瞳の色は金色だ。抜群のスタイルの上には、ノースリーブ型の白いブラウスと、丈の短い黒いタイトパンツを履いている。彼女愛用の服だった。
彼女――メルティア=アシュレイは大きなベッドの上で胡坐をかいて、柔らかそうで愛らしい頬を、ずっと膨らませていた。
「……メル」
そんな彼女に対し、嘆息するのは少年だ。
黒髪、黒い瞳が印象的な、エリーズ国の騎士学校の制服を着た少年。ベッドの横に申し訳なさそうに立っている。
メルティアの幼馴染。コウタ=ヒラサカである。
「その、ごめん」
とりあえず、コウタは極めて不機嫌な彼女に謝った。
しかし、幼馴染は何も答えてくれない。
プイっと顔をそむけるだけだ。
(………はぁ)
コウタは、力なく肩を落とした。
幼馴染がここまで不機嫌になる理由は分かる。
コウタがメルティアに相談することもなく、『彼女』の保護に乗り出したからだ。
正直、今回は暴走してしまったと思う。
『彼女』は複雑な事情を持つ少女だ。『彼女』を保護すれば、様々な問題が起きるのは目に見えていた。それに加えて、コウタ自身もアシュレイ家に保護を受けている身。アシュレイ家の娘であるメルティアに相談もなく先走ったのは問題だ。
(……だけど)
それでも、コウタは強硬に出る必要があったのだ。
ここで『彼女』の手を離せば、永遠に『彼女』を失っていたからだ。
『彼女』が、闇の底に消えていくのが分かったからだ。
「ごめん、メル」
コウタは再び謝罪する。
「けど、どうしてもボクにはリノを見捨てられなかったんだ」
素直に自分の気持ちを告げる。
すると、メルティアは視線をコウタに向けて、
「…………はぁ」
深々と嘆息した。
次いで、額に手を当てて、かぶりを振る。
「そんなことは分かっています。コウタなら、きっとそうすることも。あのニセネコ女を見捨てられないことも想定内です。そのことでは怒っていません」
「………え」
コウタは目を丸くした。
「え? じゃあなんで?」
怒っているのか?
そう続ける前に、メルティアは頬を膨らませてコウタを睨みつけた。
「私が怒っているのは、コウタの態度です。ここに来たばかりのニセネコ女に構うのは、多少は仕方のないことでしょう。ですが」
ぷくうっ、と頬をさらに膨らませる。
「最近のコウタは、私を放置しすぎです。忘れたのですか? ここは魔窟館ではありません。異国の地なんですよ」
言って、顔を上げた。
「私のブレイブ値は常に減り続けているのですよ。今だって枯渇寸前です」
「……あ」
コウタは目を大きく目を剥いた。
確かに、ここ数日はリノばかりにかまっていたような気がする。
こうして、メルティアと二人きりで話をするのも、数日ぶりだった。
今回の旅の同行者には、メルティアの信頼する者も多くいる。
しかし、対人恐怖症の彼女が一番安心する相手は、幼馴染であるコウタなのだ。
この数日間、メルティアの心細さは相当なものだったはずだ。
「――ご、ごめん! メル!」
それに気付くと、自分の愚かさ、申し訳なさに胸が締め付けられた。
同時に、最も大切な少女への愛おしさも溢れ出てくる。
気付けば、コウタはベッドの上に足をかけていた。
「まったくもう。コウタは――え?」
メルティアは目を丸くする。
唐突にコウタに肩を掴まれ、立ち上がらされたのだ。
パチクリと瞳を瞬いていると、そのまま、コウタにギュッと抱きしめられた。
メルティアは言葉も出ない。
「……ごめん。本当にごめん。メルを不安にさせるなんて」
そう言って、コウタはメルティアの頭を優しく撫で始めた。
メルティアは耳まで真っ赤だった。
(え? え?)
困惑するメルティア。
正直に言えば、最初からブレイブ値の補充は頼むつもりではあった。
なので、これは彼女自身が望んでいることではある。
しかしながら、流石に一瞬の躊躇もなく、こうも自然に抱きしめられるとは思ってもいなかったのだ。
「コ、コウタ……」
どうも、最近のコウタは、かなり大胆になってきている。
そう思いつつも、少年の背中に手を回した。
すると、さらに強くコウタが抱きしめてきた。
(は、はうっ……)
その上、
「……大好きだよ。メル」
直球すぎる愛の言葉まで囁いてくる。
ブレイブ値はどんどん跳ね上がり、鼓動は加速していく。
メルティアとしては、もう蕩けてしまいそうだった。
(は、はうゥ……)
足に力も入らなくなってくる。
このままでは腰まで砕けてしまいそうなところで、コウタの抱擁は終わった。
「……本当にごめん。メル」
コウタは、メルティアの横髪やネコ耳を右手で触れる。
「これからはもっと気をつけるよ。絶対に君のことを忘れたりしない」
「……コ、コウタ」
メルティアは、赤く染まった顔で陶然とコウタを見つめた。
しばし胸元を片手で抑えながら考える。
そして、
「そ、その、コウタ」
意を決した様子で、メルティアは口を開いた。
「その、現状の方法でのブレイブ値の補充も頭打ちです。だからその、そろそろ次の段階に移行したいと思うのですが……」
「……え?」
コウタはキョトンとした。
「次の段階って?」
「いや、そ、その……」
メルティアは一瞬声を詰まらすが、改めて意志を固めた。
事あるごとに甘え続けてきた成果で、今や、コウタの『メルティアに触れる』という心的ハードルは限界近くまで低くなっている。
だが、それは、何かの切っ掛けですぐに元に戻るかもしれない。
だからこそ、今こそ勝負時なのだ。メルティアは喘ぐように息を吸った。
そして――。
「け、経口摂取っ!」大きな声で叫ぶ。「け、経口摂取、というのは、その、い、いかがでしょうかっ!」
「へ? けうこう……」
一拍の間。
「何言ってるのさッ!? メル!?」
コウタは愕然とした。
すると、メルティアはおろおろとしながらも、
「そ、その、何事も直接体内に取り入れるのが効率的で効果が大きいものなのです。お薬とかもそうでしょう? で、ですから……」
「い、いや、そうかもしれないけど……」
そもそも
ただただ目を見開いたまま、メルティアの唇を凝視した。
相も変わらず瑞々しく、柔らかそうな唇だ。
意識すると、目が離せなくなってしまう。
「コ、コウタ……」
対するメルティアは一度大きく息を吐いてから、コウタの首に両腕を回した。
コウタの精神が硬直する。しかし、それは精神だけだ。
コウタの両腕は、当然のようにメルティアの方へと動いていた。
メルティアもそれに気付き、一瞬、微かに震えるが、
「……コウタぁ……」
潤んだ瞳で、コウタを見つめてきた。
「メ、メル……」
コウタは、再び喉を鳴らす。
やはり、自分の幼馴染は世界一可愛い。
改めてそう思っている内にも、二人の距離は徐々に縮まっていき――。
「う~む、わらわの前で、流石にそれは見過ごせんのう」
不意に第三者の声が響いた。
コウタ達はギョッとする。
そうして二人して、声がした方に振り向いた。
そこに居たのは、菫色の髪を持つ一人の少女だ。
年の頃は二人と同世代。蒼いドレスを身に着けた、プロポーション・美貌ともに、メルティアにも劣らない美しい少女だ。
――リノ=エヴァンシード。
最近、コウタが保護した少女である。
「側室は認めよう。じゃが、正妻の前でいちゃつくのは流石にのう」
一体いつからそこに居たのか。ムスッとした顔でリノが言う。
対し、メルティアもまた不機嫌な表情を見せた。
「ここは私の部屋なのですが、何しに来たのですか? ニセネコ女」
「ふん。コウタを探しに来たのじゃ。ギンネコ娘」
言って、二人は視線をぶつけ合った。
一方、コウタは青ざめ、ダラダラと汗を流し始めている。
――メルティアとリノ。
二人は犬猿の仲だった。いや、二人ともネコのイメージが強いので、縄張り争いをするネコのようといった方が適切か。
いずれにせよ、二人は仲が悪い。
「え、えっと……」
出てくる言葉もそこまでだった。
コウタは、完全に役立たずになっていた。
「まったく。泥棒猫とはまさにお主のことじゃな」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
二人は一歩も引かない。
ゆっくりと互いに近づいていき、互いの豊かな胸が触れ合うほどに接近する。
「側室は正妻の前では一歩引くものじゃぞ」
「誰が側室ですか。それならばあなたが引くべきです」
「ふん。幼馴染は負けフラグと知れ」
「古い認識ですね。最近では結ばれるケースが多いのですよ」
と、何やら言い合っている。
(と、とりあえず、止めないと)
コウタは意を決し前に踏み出そうとした、その時だった。
突如、バタンとドアが開かれたのだ。
三人はギョッとして、ドアの方に視線を向けた。
そこに居たのは、十数機のゴーレム達だった。
「……え? な、何ですか? あなた達?」
メルティアが困惑した声を上げる。と、
「……イタ! メルサマダ!」「……ヨウセイノヒメモ、イタ!」
そう言って、ゴーレム達は一斉にメルティアとリノに跳びかかった。
「え、え?」「な、何じゃ!?」
メルティアは咄嗟のことで硬直した。
一方、リノは群を抜いた対人戦能力を有しているのだが、信頼するサザンXにそっくりなゴーレム達に一瞬だけ対応が遅れてしまった。
「……メルサマ、カクホ!」「……コッチモ、カクホダ!」
二人は瞬く間に、ゴーレム達に抱えあげられてしまった。
メルティアに対しては、彼女が他人に見られないようにシーツまで被せている。
そして、そのまま二人を抱えて、ゴーレム達は走り出した。
「な、何をするのですか!? あなた達!?」
「ま、待て!? これは一体何事じゃ!?」
メルティアとリノは困惑したまま、ゴーレムの集団に連れていかれてしまった。
最後に一機だけ振り返り、「……コウタ! タノシミニシトケ!」と親指を立てて、ドアをバタンと閉めて去って行った。
室内は、あっという間に静寂に包まれた。
「……え?」
一人、ポツンと残されたコウタは呟く。
「何これ?」
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