第五章 始まりの《星》

第281話 始まりの《星》①

 二人は、ずっと沈黙してた。

 同行する九号も空気を読んで口を閉ざしている。

 そうして何も喋らず馬車に乗り、そのまま目的の停留所に到着した。

 クライン工房近くの停留所だ。

 ここにいるのはコウタとユーリィ。九号のみだ。

 すでにサクヤとジェシカの姿はない。

 彼女達とは、ボルドと遭遇した街外れの停留所で別れている。

 コウタ達は、ゆっくりと歩き出した。


(……何から話せばいいんだろう)


 菓子折りを片手に、コウタはずっと困っていた。

 義姉のことは、まだ兄にも伝えていないことだった。

 だというのに何の因果か、ユーリィはサクヤと出会ってしまった。

 彼女にはコウタが知る情報を伝えるべきだろう。

 しかし、兄の前に、ユーリィに事情を話すのは筋違いのような気がする。

 結果、コウタは何も語れなくなった。


(……それに)


 コウタは思い出す。

 サクヤと、ユーリィの会話を。

 義姉と、兄の義娘の会話は、とても家族同士のものではなかった。

 物心ついた時からサクヤを知るコウタには分かった。


 義姉の態度。

 終始穏やかではあったが、あれは――。


(サクヤ姉さんは、ユーリィさんを『敵』だと思っている)


 コウタは、ちらりとユーリィの横顔を見やる。

 確かに綺麗な少女だ。

 憂いに満ちた今の横顔など、本当に大人びていて息を呑むほどだ。

 けれど、まだ十二、三歳にしか見えない少女でもある。

 あのサクヤと対等に並ぶには、まだ月日がかかるだろう。

 それでも、義姉はユーリィを恋敵と見据えているのである。

 だからこそ、義姉は――。


『私は……』


 サクヤは、優しく微笑んでユーリィに告げたのだ。


『今も昔も、トウヤを愛しているわ』


 コウタは、内心で嘆息した。

 何というか、完全にコウタの手には負えない案件だ。


(サクヤ姉さん、昔から恋敵には容赦ないから)


 温厚な義姉だが、兄の件に関しては一切引かない性格だった。

 改めて変わらないなと思っていると、


「……コウタ君」


 不意にユーリィが足を止めて、コウタの名を呼んだ。


「え? な、何かな?」


 コウタが口籠りつつ、そう返すと、


「……工房に着いた」


 ユーリィがそう告げた。コウタは「え?」と呟く。

 確かに、そこはクライン工房の作業場ガレージ前だった。

 考え事に気を取られ、気付かなかった。

 当然ながら開店しているので作業場ガレージは開かれている。


(……う)


 兄の店の門戸の前で、コウタは改めて息を詰まらせる。

 まず兄には、ボルド=グレッグのことを伝えなければならない。

 続けて、サクヤのこともだ。

 しかし、前者はともかく、後者は未だ何と伝えればいいのか分からない。


「……ユ、ユーリィさん」


 コウタはとりあえず、ユーリィに告げる。


「その、サクヤ姉さんのことは、ボクから兄さんに伝えるよ」


 そう告げると、ユーリィは、綺麗な顔をこちらに向けてコウタを見据えた。

 翡翠色の眼差しが、コウタを射抜く。

 数瞬の沈黙。


(……うゥ)


 あまりの圧力に、コウタは息が詰まりそうになった。

 ともあれ、ユーリィは特に反論もなく「……分かった」とだけ答えてくれた。

 コウタは、内心でホッとする。

 責任は重大だが、ユーリィから話を切り出すよりはいいだろう。

 そしてユーリィに先導される形で、コウタ達は作業場ガレージ内へと入った。

 作業場ガレージには数機の鎧機兵の姿があった。

 コウタ達は真っ直ぐ二階に続く階段に向かうが、九号だけは興味深そうにその場で足を止めた。コウタ達二人は構わず、階段口へ向かう。

 兄の店の居住区は、アロン風で土足厳禁だ。玄関には幾つものブーツがある。

 ここまで多いのは、恐らく来客なのだろう。


(……あれ? 来客?)


 コウタは小首を傾げた。

 何か、とても重要な案件を忘れているような気がした。

 しかし、ユーリィは階段を上っていく。

 コウタはよく考える間もなく、彼女に続いた。

 そうして階段を上り切り、恐らく来客がいるであろう茶の間に着いた時、コウタはすべてを思い出した。

 どうして今日、兄の店に出向こうと思ったのかを。


「――おお! コウタよ!」


 茶の間にて、兄の向かい側に座るリノが満面の笑みをコウタに向けた。

 その場には兄以外にもシャルロット、アリシア、サーシャの姿もあるがコウタの目には映らない。コウタは、ただただ青ざめていた。

 ――が、すぐさま正気に返る。


(リ、リノ――ッ!)


 コウタは即座に、駆け出した。

 そうして行儀よく正座していた彼女の両脇を掴んでその場から引っこ抜くと、手品師のような手腕で彼女を空中で反転させて、正面から抱きとめる。

 右手を背に、左手でお尻を鷲掴みするような状況だ。

 流石に、リノもギョッとした顔を見せる。


「な、何じゃっ!? ま、待て、コウタっ! 義兄上や義姉上達の前じゃぞ! そういうことは時と場所を選んで――」


 頬を赤く染めてそんなことを言っているが、コウタはそれどころではない。

 今は何よりも、が最優先だった。


「に、兄さん! また来るから!」


 とりあえず兄にはそう告げて駆け出した。

 勿論、リノを抱きかかえて、だ。

 兄も、サーシャ達も茫然としている。と、蒼い物体がコウタの後を追ってきた。


「……ウム! オレモイク!」


 蒼いカラーリングに変わっているが、それはゴーレムだった。

 かつてボルド=グレッグに強奪された三十三号である。

 その後に、シャルロットも立ち上がった。


「待ちなさい! コウタ君!」


 流石にアッシュ達よりは事情に精通している彼女は、コウタの後を追った。


「あ、や、やめんか! コウタ!? どこを触って!?」


「ごめん! 今は大人しくしてて!」


 何やら、リノが顔を赤らめて懸命に身を捩じろうとしているが、今は態勢を整え直す余裕などない。コウタは強く抱いてそれを無理やりねじ伏せた。

 その際、コウタの指先が、彼女の背筋を絶妙なラインでなぞる。


「――――っ!?」


 リノは、体をビクッと震わせる。

 口を開き、少し仰け反った。


「お、お主!? いま何を!?」


「ごめん! 本当に今だけは大人しくして!」


 コウタは階段を飛びこえるように下りると、身じろぐ彼女を抱き直した。

 またしても絶妙な速度、力加減で背筋をなぞる指先。


「――っ!? っ!?」


 リノは、パクパク、と口を動かして目を見開いた。

 次いで、両手でコウタの肩にしがみついた。

 目を見開いたまま、耳を真っ赤にして息を吐き出している。


「リノ? どうしたの?」


「お、お主は……」


「えっと、ごめん。少しバランス悪いから抱え直すよ」


「ま、待て!」


 リノはそう叫ぶが、コウタは待たない。

 少し態勢を緩め、彼女の背中を支えながら抱え直す。

 リノは、声もなく大きく仰け反った。


「~~~~っ!」


「あっ! 危ないよ!」


 落ちては大変だ。

 咄嗟に後頭部を抑えて、彼女を抱き寄せる。

 瞬間、リノは大きく目を見開くのだが、コウタは気付かない。

 ただ、彼女を落とさないことだけを考えて手を――指先を動かす。

 リノは、さらに身震いした。

 まるで全身を雷で撃たれたような様子だった。

 そして、


「……~~~っっ」


 数秒後には下唇を噛み、何かを求めるように、指先をコウタの背に回して、自分からコウタにしがみつくようになった。

 コウタは、ホッとする。

 ようやく大人しくして身を任せてくれるようだ。

 コウタは、作業場ガレージを駆け抜ける。

 三十三号も後に続くと、たまたまそこに居た九号と遭遇した。


「……オマエ! 三十三ゴウカ!」


「……ムウ! 九ゴウノ、アニジャカ!」


 久々の兄弟機の対面なのだが、ともあれ、コウタは足を止めない。

 しかし、リノを抱えたまま、作業場を出たところで、


「待ちなさい! コウタ君!」


 追いついたシャルロットに止められる。

 流石に、彼女の制止を無視する訳にもいかない。

 コウタは、足を止めて振り向いた。


「……どういうことです。コウタ君」


 シャルロットの顔は、とても険しかった。

 彼女は、コウタが両手で抱える少女を見据える。


「……その少女は《水妖星》ですね」


「……う」


 シャルロットと、リノには面識はない。

 だが、推測ならできる。リノの容姿は充分すぎるぐらい特徴的だった。


「一体、どういうつもりなのですか。《九妖星》をあるじさ……コホン。クライン君の元に連れてくるなんて……」


「い、いえ。ボクが連れてきた訳じゃないですけど」


 と、言い訳しつつも、コウタはシャルロットに懇願した。


「すみません。ここは見逃してください。シャルロットさん」


「……………」


 シャルロットは無言だった。

 少し葛藤しているような表情だ。

 そして――。


「……いいでしょう」


 シャルロットは承諾した。そしてコウタの腕の中で、まるで借りてきたネコのように大人しくしている少女に目をやった。


「その少女とは、多少会話をさせて頂きました。彼女にクライン君を害するつもりがないのはよく分かります。ですがコウタ君」


 シャルロットは、コウタにも視線を向けた。


「彼女をどうするつもりですか?」


「それは……」


 コウタは腕の中のリノを見やる。

 彼女はもう動いていない。心なしが腕の力も入っていないように見える。

 コウタは、彼女の体を微かに動かした。

 すると、少女は「~~~っ」と声もなく大きく震えた。

 コウタは、そんな彼女を強く抱きしめる。

 ――離さない。

 もしくは、どこにも逃さない意志を込めるように。


「今はどうすべきは分かりません。だけど、ボクが……」


 コウタは、シャルロットを見据えた。


します。絶対に」


 その言葉には強い覚悟があった。

 シャルロットは「……そうですか」と呟く。


「いいでしょう。コウタ君がそこまで覚悟しているのなら信じます。クライン君にもしばらくは黙っておきましょう」


「――っ! ありがとうございます!」 


 コウタは頭を下げた。

 そして背中を向けて、蒼いゴーレムと共に走り出す。

 とりあえず、街側に向かって走る。

 少女一人を抱えているとは思えない速さと力強さで駆け抜け、人の姿がない道筋でようやく彼女を降ろすことにした。


「よし。ここまでくれば……あれ?」


 そこでコウタは気付く。

 腕の中のリノが、軽く汗をかいてぐったりしていることに。


「え? リノ?」


 話しかけるが、リノの瞳はどこか虚ろだ。

 頬や肌は完全に上気しており、脱力する姿は正直言って色っぽい。


「リノ? えっ、どうしたの? リノ?」


「………ふあ?」


 呼びかけてみても、リノの返事はふわふわしている。

 視点も定まっていない。

 まるで限界まで長湯をした後のようだった。


「え? ええ?」


 コウタは困惑する。


「どうしたの!? リノ!? なんでのぼせているの!?」


 全くもって訳が分からない。

 とはいえ、こうして――。

 色々と騒動や問題だらけではあったが、ようやくリノを見つけることが出来て、一安心のコウタであった。

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