第六章 蘇る過去
第218話 蘇る過去①
――皇都ディノス・第二十一番地。
皇都における負の側面。貧民街の一角にその邸はあった。
古びた廃屋敷。庭も小さい二階建ての館。造りだけはしっかりしているようで原型は留めているが、壁などのひび割れを見ると、朽ちた年月の長さが分かる。
そんな廃屋敷の前で、サーコートを纏う一人の騎士が手を振り下ろした。
途端、男と同じ騎士服の人間が数名、館の中に突入した。
正門、裏門。窓や庭。目指す場所はそれぞれだが、彼らは誰一人大きな音も立てずに室内に侵入していった。
サーコートの騎士は数名の部下と共に静かに報告を待つ。
そうして五分後。
「ああ、こりゃあダメだ。サントスの旦那」
ボリボリと頭をかきながら一人の騎士が正門から出てきた。
侵入した騎士の一人――バルカスだ。
彼のすぐ後ろには妻であるキャシーの姿もあった。
「完全にもぬけの殻ッスね」
と、嘆息するキャシー。
「……やれやれ。やっぱ後手に回っちまったか」
言って、深々と溜息をつくのはサーコートの騎士。
――《七星》が第四座。戦場において決して倒れることのないその姿から、《不落王城》の二つ名を持つようになったブライ=サントスだ。
万事適当な印象を持つ彼だが、今だけは真剣な表情をしていた。
「なんか痕跡はあったか?」
ブライはバルカスに尋ねた。
「……そうっすね。いま他の連中が調べてやすが、生活感はところどころにありやす。最近まではここにいたのは間違いねえっすよ」
言って、バルカスはブライに向けて何かを投げてよこした。
ブライは紙屑のようなそれをぱしっと受け取った。
次いで、それに目をやる。
「こいつは?」
「最近流行っている安モンの銘柄っすよ。俺は、煙草はやんねえんすが、部下に詳しい奴がいるんで」
「……はン。そうかよ」
ブライはクシャリと煙草入れの殻を握り潰した。
「確かあのジジイは愛煙家って話だったよな。わざわざ残しやがったか」
「まあ、そうっすよね」
バルカスは苦笑いを浮かべた。
「こっちの動きは完全に読まれてやした。なのに何の罠もありやしません」
「挑発しても陽動する気はねえってか? 何考えてんだあの爺さん」
ブライは嘆息した。
「陽動の必要がねえってことか? いや、あの爺さんが出張ってきたこと自体が陽動っていやあ陽動なんだが……」
「そんなことで《九妖星》が出張ってくるんスか? その気になれば小国ぐらいなら落とすって言われる怪物の一角が」
と、呟くのはキャシーだ。
彼女自身に直接の面識はないが、《七星》にも並ぶと称される《九妖星》。
その恐ろしさは皇国騎士団内に知れ渡っている。
「まあ、こっちの怪物爺さんに対抗するためってのが本命だとは思うんだが」
「毒には毒をって奴ッスね」
「……いや、そこまではっきり言うなよキャシー」
妻の台詞に苦笑を浮かべるバルカス。
皇国側の怪物老人もまた、とても嫌われているのである。特に女性騎士達には蛇蝎のごとくだ。キャシーも例外ではない。
「いっそ爺さん二人を閉じ込めて一騎討ちでもさせてみたらどうッスか?」
「それはそれで恐ろしい光景だな」
バルカスとブライのみならず、他の騎士達も苦笑を零した。
かつての《七星》の長と《木妖星》。
さぞかし凄惨な戦いになることだろう。
「けどまあ、流石に今のハウルの爺さんに勝ち目はねえだろ。体力がもう持たねえだろうしな。だからオレがここにいんだし」
言って、ブライは肩を竦めた。
相手に《妖星》がいるからこそ、対抗するためにブライが指揮をしているのだ。
しかし、実力面ではともかくどうしても老獪さでは劣る。
廃屋敷をあたって外れたのはすでに三回目だった。
「まったく。厄介な爺さんだ。《地妖星》もそうだが、《九妖星》には腹黒いおっさんか爺さんしかいねえのかよ。相手が可愛い女の子ならまだやる気も出るのによ」
と、冗談交じりに苦笑する。
「それを言うなら、サントスの旦那。何でも噂だと《水妖星》だけは、もの凄い美少女だって話っすよ」
というバルカスの台詞に、
「そりゃあ、ただの噂だろ。仮に女だったとしても、支部長に就くようなキャリアなんだぜ。四十後半ぐらいの腹黒いババアさ。まあ、それよりも――」
そこであごに手をやり、
「……レオス=ボーダーか」
ポツリ、とブライはその名を呟く。
この名前には、ブライも少しだけ思い入れがある。
『……あのジジイだけは俺が殺す』
友人の声が耳に木霊する。
ブライは腕を組み、しばし瞑想した。
そして――。
「……なあ、アッシュ」
今は異国にて暮らす、何だかんだ言っても気の合う友人に向けて告げた。
「やっぱあのジジイは放置できねえよ。この機会にオレが始末するぜ。お前には悪りいとは思うが文句言うなよな」
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