第205話 これもまた愛の形④

 一方、その頃。

 コツコツ、と規則正しい足音が響く。

 ――鉄面皮のような無愛想。

 鍛え抜いた体躯と、揺るぎない信念を持つ壮年の男。

 ライアン=サウスエンドが、廊下と歩く音だ。


「…………」


 ライアンはしばし無言で廊下を歩いていたが、人通りが全くないことを確認すると、


「…………ふう」


 背中を廊下の壁に預けて嘆息する。

 ――ソフィア=アレール。

 グレイシア皇国騎士団の団長にして《七星》の第一座。

 実力・指揮力・カリスマ性。すべてにおいて申し分のない団長だ。

 何気に彼女とは知り合って十年以上の付き合いになる。

 初めて出会ったのは、彼女が十八の時か。

 その時からすでに彼女は、その才能を余すことなく開花させていた。

 しかし、その突出しすぎた能力ゆえに十代の頃から男との縁がほとんどなく、三十代になってからは哀れなぐらいに追い込まれていた。


 もはや、彼女にとって唯一の欠点といってもいい案件だ。

 だからこそ、ライアンは彼女の悩みをどうにか払拭しようと、柄にもなく見合いのセッティングなどに奔走していたのだが、その矢先で――このザマだ。


「……私はアホウか」


 ライアンは額に手を当てて呻く。

 だが、こうなる可能性も考えていなかった訳ではない。

 ライアンの亡き妻もいわゆる残念美人だった。

 しかも彼女も元皇国騎士で、ライアンよりも十歳も年下だった。

 そんな妻とソフィアは内面がよく似ていた。

 まあ、結局タイプだったといえばそれまでなのだが。


「すまん。許せ」


 亡き妻に心から謝罪する。

 ともあれ、こうなってしまった以上、《七星》随一の堅物であると自覚している自分としては、取る手段は一つだけだった。


「確か、役所は二階だったな」


 そう呟いて、ライアンは再び歩き出す。

 少々気が早いかも知れないが、すでに覚悟は完了済みだ。

 届書ぐらいは事前に用意しておいてもいいだろう。


「だが、今は人材不足が否めないからな。ここで騎士団の要である団長が抜けるなどもっての外だ。どうにかして共働きに持っていくのがベストなのだが……」


 と、そんなことをブツブツと呟いていたら、


「おっ! 副団長か」


 不意に廊下の奥から声を掛けられた。

 見ると、そこには白いサーコートを纏う一人の騎士がいた。

 歳の頃は二十四、五歳。身長はライアンと同じほどか。

 茶色い髪と軽薄そうな笑みが印象的な青年だ。

 彼の名は、ブライ=サントスと言った。


「サントスか」


 ライアンは足を止めてブライを一瞥した。

 ブライはライアンの直属の部下。それも《七星》の第四座を担う猛者だ。


「任務に進展があったのか?」


「いや、まださ。残念ながらまだ見つかんねえ。今日は経過報告に寄ったんだよ。恐らく皇都か、その付近にいんのは間違いねえんだろうけど、貧民街とかもあたってんだが、オレの部隊だけじゃあ人手が足りなくてよ」


「……そうか」


 ライアンは双眸を細めた。


「やはり狙いはハウル公爵か?」


「まあ、その可能性は高えェだろうな。あの爺さん、身内にも外にもホント好き勝手にやってきたからなぁ……」


 ブライはボリボリと頭をかいて苦笑を浮かべた。


「流石に目障りと思う奴らが出てきたんだろ。特に今回は下手すると……」


「……その可能性は否めないな。だからこそのお前だ。油断するなよ」


「おう。分かってるよ」


 言って、ブライは歩き出した。

 ライアンは眉根を寄せる。


「どこに行く? サントス」


「ん? そりゃあ団長のとこさ。報告にさ」


 ライアンは一瞬沈黙した。が、すぐに視線をブライに向けて、


「ふむ。団長は多忙だ。その程度の報告なら私からしておくが……」


「大丈夫大丈夫! ちょいと報告するだけださ! それに何よりもさ!」


 そこでブライは二カッと笑う。


「団長は総合A級なんだぜ! 折角会いに行く口実があるんだ! あの美貌やおっぱいを見に行くのは当然だろ!」


 ……これがブライ=サントスだ。

 出会う女性全員をランク付けし、それを堂々と口にする人物。

 誉れ高き《七星》の一角でありながら、デリカシーが著しく欠けており、あのジルベールでさえ「あれは無理だ」と身内に加えるのを避けた男。


 当然ながら、彼はモテない。

 精悍さのあるそれなりの容姿だというのに、呆れるほどモテない。


「……まったく」


 ライアンは深々と嘆息した。


「お前の性格がもう少しマシならば……いや、今となっては譲る気もないが」


「あン? 何の話だよ?」


「こちらの話だ。もう止めんが、団長への報告は簡潔に頼むぞ。それと、部隊の増員は私の方で手配しておこう」


「おう! 分かったぜ! あんがとよ!」


 そう言ってブライは意気揚々と去って行った。

 ライアンはしばし部下の後ろ姿を見送っていたが――。


「やはり、キナ臭くなってきたな」


 無愛想な表情を普段以上に険しくする。

 ――ジルベール=ハウル公爵。

 ライアンにとっては事実上の師とも呼べる人物だ。

 だからこそ、その恐ろしさ、狡猾さを誰よりも知っている。

 正直言ってあの老人の腹の底だけは読めたことがない。


「……ハウル公。あの方も全くもって厄介なお人だ」


 ライアンは小さく嘆息した。

 だが、ここで色々と推測していても埒があかない。

 あの老人の相手も疲れるが、まず対処すべきは手の掛かる団長のことだ。

 とりあえず今夜は、今後、仕事中に甘えるのは控えること。そして寿退職の件は考え直すこと。この二つを重点的に説得しなければならない。


 とは言え、彼女が日々の激務で疲れきっているのも事実だ。

 ここはやはり匙加減が重要になってくるだろう。

 うっかり甘やかしすぎてしまわないように注意しなければ――。


「やれやれだな」


 そう呟きつつも、まず役所に向かうライアンであった。

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