第204話 これもまた愛の形③

 ――バンッ!

 何かを強く叩いた音が響く。


『もう嫌です! 何ですか! 今日の書類の量は!』


 次いで、聞こえてくるのはヒステリックな女性の声だった。


『落ち着いてください。団長』


『この量は流石に死んでしまいます! もう耐えられません! やはり私には団長なんて向いていなかったんです!』


 そこで一拍おいて、


『なので寿退職します! 今すぐ私を貰ってください! ライアンさん!』


『……どうか落ち着いてください。団長』


『無理です! まず今から私のことは「ソフィ」と呼んでください! せめて二人きりの時ぐらいは!』


『本気で切羽詰まってますな、団長……』


『そりゃあ切羽詰まってますよ! もう三十路なんですから! 知ってますか! 私って騎士団内で一応五大美人に数えられているんですよ! オトハちゃんとミランシャちゃんは別格だとしても、一年前にとんでもない結婚をした二人! あの二人にまでファンクラブがあるのに私だけないんですよ! 何の嫌がらせですか! そもそもオトハちゃんなんて本業は傭兵で騎士じゃないのに一番人気なんですよ!』


『……それは』


『何が原因なのですか! 何がっ! 言ってください! はっきりと!』


『団長の残念美人っぷりは知れ渡っていますからな』


『はっきり言った!?』


 ふええエエェ、と泣き声が聞こえてくる。


『……あんまりですゥ。きっと、私のようなただ強いだけの女は一人寂しく老後を過ごすことになるんですゥ』


『あらゆる戦場を一変させる団長の戦闘力は、「ただ強い」と評するには無理があると思うのですが……はぁ』


『……ぐすっ、ライアンさん?』


『……団長。そう自分を追い込むのはおやめください。私でよければ愚痴ぐらいは聞きましょう。多少の我が儘も配慮します』


『ホ、ホントですか?』


『……はい。善処いたしましょう』


『なら、私を「ソフィ」と呼んでください』 


『………ソフィ』


 うふふ、と笑う声が聞こえる。


『次に私の頭を撫でてください。誕生祭のパレードの時、君が大観衆の前でオトハちゃんにしたみたいに』


『……………』


 声は聞こえないが、どこか上機嫌な雰囲気が感じられる。

 そして数秒が経過して、


『では、次は抱っこをお願いします。そこのソファを使ってもいいです。私は結構甘えん坊さんキャラなので優しく抱き上げてくださいね』


『……いえ、団長。流石にそれは』


『……善処してくれないのですか? ライアンさん』


『……………』


 しばしの沈黙。

 が、その後、何かの覚悟を決めたかのような、とても深い溜息が吐かれたかと思えば、『――きゃ!』という少女が驚いた時のような声が聞こえてきた。

 そして再度訪れる沈黙。


『ふふっ、頭まで撫でてくれるのですね。サービス精神が素晴らしいです。うふふ。そうだ、ライアンさん。私の代わりに押印もお願いします』


『………あなたは』


 再び深い溜息音がドア越しに聞こえた。

 ミランシャは、感情のない顔でドアを見つめていた。


(え? 何これ?)


 ……これは、一応職場恋愛になるのだろうか?

 まあ、団長も副団長も独身であるので交際しても何の問題もないが……。


「姉さん? どうかしたの?」


「――っ!」


 その時、弟に声を掛けられ、ミランシャの硬直は解けた。


(ど、どうしよう!)


 このままノックすべきか。それを悩んでいると、


『あ、すみません。ライアンさん。少し降ろしてください』


 そんな声が聞こえてくる。

 そして数秒も経たずに、カチャリとドアの鍵が閉められる音が聞こえた。


『はい。これでもう大丈夫です。この時間帯はいつも忙しいので誰も来るなと通知していますが、念のために。あと、サーコートも邪魔だから脱ぎますね。あっ、いっそこのまま仮眠室の方に行きましょうか?』


『………団長』


『あら。ダメですよ、ライアンさん。ソフィと呼んでください』


『………ソフィ、それは……』


 どうやら副団長の受難は続いているようだ。

 ミランシャは首を傾げる弟を横に遠い目をした。

 そして――。


「まあ、折角だし、先に城内を見学しようか」


 結局、ミランシャは大人の対応をした。


 ……………………………………。

 ………………………………。

 ……そうして一時間後。



「ようこそ、おいでくださいました。皆さん」


 グレイシア皇国騎士団の団長――ソフィア=アレールはにこやかに微笑んだ。

 副団長のライアンは別の仕事があったのか、すでに姿はない。


「私が皇国騎士団の団長、ソフィア=アレールです」


 普段から温厚でにこやかな人物だが、今日は一段と華やかだった。

 何というか長年の悩みが遂になくなったような笑顔だ。

 ちなみに彼女は今、執務席に座っており、サーコートは椅子に掛けてある。

 今だけは体が火照って立つのがしんどいから、というのは彼女だけの秘密だった。


「どうかしたんですか団長? 少し顔が赤いですけど」


 と、普段と少し違うような気がしたアルフレッドが尋ねる。

 すると、ソフィアは微かに視線を逸らして――。


「い、いえ、アルフ君には関係ない話ですが、完全な自業自得でして。少し調子に乗っていました。正直、本気になったおじさまの技巧テクニックと包容力を舐めていました」


「……え?」


 アルフレッドがパチパチと目を瞬く。

 一方、ミランシャは少し遠い目――もしくは優しい目をしていた。

 団長の毛先が微かに乱れ、騎士服もどこか着崩れているのに気付いたからだ。

 ソフィアは、ちらりと団長室奥の仮眠室に目をやった。

 そして、ボソボソと呟き始める。


「本当のところはただ甘えてただけだったんですよ? だって、昔から私を甘えさせてくれるのはライアンさんだけでしたし、かなり悪ノリしましたけど、今回もただ甘えていただけなんです。だから、あれは想定外でした。本当に不意打ちで必殺でした。おじさま恐るべしです」


 そこで自分の唇にそっと触れて。


「……一度目はただ驚いて。二度目は流石に少し抵抗しましたが、自業自得とは言え、もう逃げられない状態でした。耳元で『離す気はない。受け入れろソフィ』は本当に効きました。その後の三度目は長くて、しかも深くて、それ以降はもう彼の体にしがみついているだけで……ま、まあ、この展開も全然OKなんですけど、ただ、最初に主導権を握った気になっていた自分が本気で恥ずかしくて……」


 一拍おいて、ソフィアは頬を染めつつ、自分の毛先を指に絡める


「しかも、蕩けてしまいそうなダメ押しの五度目の後に『ソフィ。続きは今夜だ』なんて……正直、ゾクゾクしましたけど、私は今夜どうなるのでしょう? やっぱり、仕事中にあんなダメダメなことをしたお仕置きをされるのでしょうか? いずれにせよ、私はまだまだ小娘だったんだと思い知りました」


「??? 団長? 本当に何かあったんですか?」


「い、いえ。すみません。私の個人的な話です。それよりも」


 言って、ソフィアは一度深呼吸。それだけで平常心を取り戻す。

 そうして彼女は客人達に視線を向けた。

 黒髪の少年に、大柄な少年。

 目を瞠るような美しい少女に、見上げるほどに巨漢の――鎧の少女。

 次いで大小のメイドさんに、三人の子供達。愛らしいことに玩具の鎧を着ている。

 エリーズ国から訪れてくれた客人達。


「では、改めて」


 ソフィアはコホンと喉を鳴らした。


「ようこそ! エリーズ国の皆さん。歓迎いたします」


 言って、満面の笑みを見せる。

 ただ、その笑顔に宿るのは歓迎の気持ちだけではない。

 そんな幸せいっぱいの《極星》の長であった。

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