第五章 常闇の少女

第177話 常闇の少女①

 自分が初めて死の恐怖を覚えたのは泥の中であった。

 あれは十歳の頃か。

 そこそこ裕福な彼女が、家族と共に小旅行に出かけた日だった。

 雨上がりの午後。一緒にいるのは優しい父に美しい母。

 彼女はその日をとても楽しみにしていた。

 しかし、だ。


 ――場所は森の中。

 横転した馬車を背に彼女は大男に、腕を掴まれて連れて行かれていた。

 背後から聞こえるのは父の断末魔のような絶叫と、多くの男達に群がられて泣き叫ぶ母の声。しかし、少女に気に掛ける余裕などなかった。

 自分の腕を掴む大男は、男達に『お頭』と呼ばれていた。

 森に覆われた街道で襲撃された馬車。まだ雨に濡れる地面に彼女達は押し倒された。

 そして荒くれ者の男達の中から一際体格のいい大男が現れ出る。男は腰を落とすと御者と父、続けて母を一瞥した後、少女を見据えた。


『……まあ、たまにはガキもいいか』


 そう呟き、下卑た笑みを見せる。

 続けて、大男は彼女の腕を掴むと森の奥に向かった。


『金目のモンは奪っておけよ。あと男は殺せ。女はてめえらにくれてやる』


 大男の仲間達は『やれやれ、またかよ』『あんなガキまでか。お頭ってマジで初物が好きだよな』と呆れた様子で見送っていた。

 引きずられるように歩かされながら少女は察していた。知識は疎くともこれから自分はとても酷い目に遭わされる。それだけは理解していた。


『は、離して!』


 少女は必死に抵抗するが、大男はむしろ興奮したようで『はは、活がいいじゃねえか』と言い放ち、彼女を近くの木の幹に叩きつけた。

 背中を強打し、彼女は息を吐き出した。

 ゴホゴホと咳込んでいると大男はのそりのそりと近づき、彼女のドレスを強引に引きちぎった。幼くとも美しい肌が露わになる。

 大男はニタリと笑い、大きな手を伸ばしてくる。少女はただ青ざめた。

 だが、結局、その手が彼女に触れることはなかった。


 ――ブシュウ、と。


 唐突に男の喉元から鮮血が吹き出したからだ。

 血を浴びながら少女は呆然とした。

 すると、


『……まさかターゲットを追って、こんなことになるとはな』


 そんな声が、大男の背後から聞こえてくる。


『ふん。それなりの器量か』


 現れた男はとても痩せこけていて、まるで死者のような瞳をしていた。

 男は少女の腕を掴み、強引に立たせた。


『何も得ないのは不本意だな。使い物になるといいが』


 そう言って、男は少女の了承を取ることもなく彼女を連れて歩き出した。

 それが彼女の師との出会いだった。

 男は暗殺家業の人間だった。エリーズ国にある小さな街。そこをホームにして男は少女に暗殺技術を仕込んだ。

 ナイフの扱いから毒物の知識。

 元々才能があったのか、少女はみるみると技術を身につけていった。

 師が彼女を弟子入りさせたのは二つの目的があった。

 一つは師が初老に差し掛かっていたため、自分の後継を欲していたこと。

 そしてもう一つは少女が『女』であったことだろう。


 彼女自身に後継としての才があればよし。

 ないようならば、彼女に自分の子を産ませるだけだ。


 後継にせよ、次代を産む道具にせよ。

 師はいずれ彼女を『女』として使うつもりだった。


 そうして三年の月日が経ち、彼女が十三になった頃。

 珍しく二人で食事をしていた時だ。


『そろそろ男を喜ばせることが出来る歳だな』


 師がそんなことを呟いた。

 次いで彼は言う。


『後で私の部屋に来い』


 少女は頷いた。

 師の命令は絶対だ。出なければ酷い折檻を受ける。

 少女は食器をかたづけた後、師の部屋に行った。


『服を脱げ』


 ベッドの縁に腰をかけた師が端的に命じる。

 少女は何も言わず服を脱いだ。『全部だ』と指示され、下着も脱ぐ。

 女性としての膨らみや柔らかさが現れ始めている少女の裸体が晒された。


『こっちに来い』


 命じられるまま、彼女は師に近付く。

 と、不意に抱き上げられ、ベッドに押し倒された。

 少女は無言のまま師の顔を見据えた。

 そして師は宣告する。


『これからお前を奪うぞ』


 まずは唇を奪われた。

 その頃、ほとんど感情を見せなくなっていた彼女も流石に眉をしかめた。

 強い不快感から師を押し戻そうとすると、頬を強く叩かれた。


『これはお前の義務だ。憶えれば仕事にも役に立つ。大人しくしろ』


 師は淡々とした声で言い放つ。

 少女の眼差しに敵意が生まれた。


 ――不快だ。不快だ。不快だ。


 奪う。奪うと言った。

 この男も奪う。自分から奪っていく。

 師の手が彼女の胸に触れた。嫌悪感と苛立ちが胸中に渦巻く。

 と、その時、ふと気付いた。


 あれだけ用心深く。

 それこそ神経質なぐらい完璧主義だった師が。

 彼女の裸体を前にして、無防備に喉元を晒していたのだ。

 相手が隙を見せたら必ず殺せ。

 それが徹底された師の教えだった。

 だから、彼女は教え通り――。


 音もなく。

 爪に仕込んだ刃で師の喉を切り裂いた。


『……………あ?』


 それが師の最期の声だった。

 大量の血を撒き散らして師は倒れ込んだ。

 恩義を感じることもなく、彼女は冷淡な眼差しで師の死体を見据えた。

 そうして彼女はまた一人になった。

 それから彼女は奪い続けた。

 奪われるのはもうごめんだった。


 だから自分の体を餌にすることはあっても、奪われる前に相手を殺した。

 殺して、殺して、殺し続けた。


 それは後に実を結ぶ。

 奪い続けた命は、とある道具を得たことで彼女の力へと変わった。

 彼女は自分だけの世界を得たのである。

 そしていつしか、怨嗟に塗れた乙女は異端の暗殺者になっていた。


 だが、成長し、さらなる力を得た今でも彼女は思う。

 自分は常に闇の中にいるのだ、と。

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