第168話 月下の出会い④
歳の頃は二十代前半ほどか。
背丈は自分よりもほんの少しだけ低い。腰には短剣。まるで冒険者のような男性向けの服装。毛先の乱雑さが少し目立つ黄色い短髪が印象的な女性だった。
一見だけだと男性のように見えるが、顔立ちは整っており、プロポーションも同年代と比較しても決して劣らない。紛れもない美女だろう。
しかし、そんなことなど今は関係ない。
問題なのは、コウタにこの女性の記憶がないことだ。
――どうして見知らぬ人物が、誰もいないはずの故郷にいるのか。
そこが問題だった。
「あなたは誰ですか?」
コウタは率直に尋ねた。
「……私は」
すると、女性は少し無愛想な視線をコウタに向けた。
「墓参りに来ました。このクライン村には友人がいましたので」
「え?」
コウタは目を丸くした。
「友人ですか? 誰の……」
クライン村は小さな村だ。
この女性と同年代の人間は限られている。
知っている人物である可能性は高かった。
すると、女性は想定を超えるような人物の名を呟いた。
「サクヤ=コノハナです」
「……え」
コウタは大きく目を見開いた。
――が、すぐにハッとした表情を浮かべて。
「姉さんとッ!」彼女に詰め寄った。「あなたはサクヤ姉さんの友達なんですか! 教えてください! 姉さんは今どこに!」
ガッと両肩を掴む。
意外と力強い少年の手に彼女は目を剥くが、
「い、いえ、サクヤとは、ずっと前に会ったきりです」
視線を落としてそう答える。
「風の噂でクライン村がなくなったことを知りました。きっとサクヤも……と思い、今日は来たんです」
「……え、噂で?」
コウタは両手の力を緩めた。
「あ、すみません。そうだったんですか……」
そう告げて手を離し、頭を下げる。
女性はほとんど表情を変えずに、
「いえお構いなく。それよりあなたは一体?」
「あっ、すみません」
コウタは再びぺこりと頭を下げた。
「ボクも墓参りに来ました。名前はコウタ=ヒラサカと言います。ボクはこのクライン村の住人でした。あなたの友人のサクヤは兄の婚約者です。ボクは彼女の弟――義理の弟になります」
「サクヤの弟?」
女性は少しだけ眉根を寄せた。
「もしかして、あなたはトウヤさんの弟さんですか?」
「え?」コウタは驚いた。「兄のことも知っているんですか?」
すると彼女はかぶりを振り、
「直接の面識はありません。ですが、サクヤから聞いてましたから」
「そう、ですか……」
情報を得られず少しがっかりするが同時に確信する。
兄の名を知っていると言うことは、彼女は本当に義姉の友人なのだろう。
すると、女性はすっと瞳を細めた。
「どうやら、ここで私達が出会ったのは偶然のようですね」
女性はそう呟くと、慰霊碑に花束を捧げた。コウタもそれに倣う。
そしてしばしの祈りの後、彼女はおもむろに提案した。
「これも何かの縁です。少しお話をしましょうか。コウタさん」
◆
彼女の名はジェシカと言った。
家名はないそうだ。
「私がサクヤと出会ったのはサザン近くの街でした」
たまたま友人達と村の外に買い出しに出ていたサクヤ。
その時、彼女達は出会ったそうだ。
「彼女には色々と救われた気がします」
当時、ジェシカはあまり人には言えないような仕事をしていたそうだ。
精神的にもかなりやさぐれていて、自暴自棄になっていた頃らしい。
しかし、サクヤと出会ったことが切っ掛けで変わったそうだ。
「友人と呼ぶには付き合いが浅いと思いますが、それでも彼女は恩人です」
「……そうですか」
コウタは神妙な様子で相槌を打つ。
サクヤが結構お節介な性格をしていることはコウタもよく知っている。ジェシカの話にはとても信憑性があった。
「けれど、結局運命とは変わらないものですね」
慰霊碑に目をやり、ジェシカは語る。
「サクヤと出会う前。私の手は血で汚れていました。今は別の生き方をしているのですがそれでも過去は変わらない。運命は常に追ってくる」
「……ジェシカさん?」
唐突に重い言葉を告げるジェシカに、コウタは眉根を寄せた。
――が、すぐに理解する。
これは彼女の警告なのであると。
この言葉を告げるために、彼女はわざわざ会話の時間を提案したのだ。
こんな夜分に墓参り。
それは、彼女が他の人間に出会わないように配慮したからだろう。
彼女には相当重い事情があることを察した。
「私と出会ったことは、誰にも漏らさないようにお願いします」
と、ジェシカは告げる。
「でなければ、あなたに災厄が降り注ぐことになります」
脅しとも言える言葉。
が、それに対し、コウタの返答は、
「ボクは今、エリーズ国の王都パドロに住んでいます」
「………え?」
「皇国に用があってしばらくは離れていますが、一ヶ月後には戻っているはずです。ですから本当に危なくなった時はボクのところに来てください」
「……何を言っているんです? コウタさん」
ジェシカは表情を険しくしてコウタを睨み付けた。
「ジェシカさんに何か事情があるのは分かります」
コウタは言葉を続けた。
「それも命に関わるような重い事情なんですよね。気遣ってくれるお気持ちは有り難く思います。だけど、義姉の友人を放っておくことなんて出来ません」
「……あなたに何が出来るのです?」
ジェシカはわずかに歯を軋ませて言い返す。
「……かつて、私は多くの人間の命を奪ってきました。いま追われているのも言わば私の宿業です。それはあなたには無関係のことです」
これは事実だった。
真っ当な世界で生きていれば教団などに身は置かない。
今も昔も、ジェシカの両手は血に染まっていた。
「私のことは放っておいてください」
故郷を失う辛い経験をしてようと、所詮は闇の深淵を覗いたこともない子供だ。
ジェシカは苛立ちを込めて拒絶した。
「嫌です。放っておけません」
しかし、コウタの意志は揺らがなかった。
「あなたは義姉の友人です。それを別にしても、ボクの故郷のために花を添えてくれた人を見殺しにする気はありません」
頑固な少年にジェシカはギリと歯を軋ませた。
「だからあなたに何が――」
「ねじ伏せます」
コウタははっきりと言い切った。
ジェシカは目を丸くする。
「これでもボクは強さに自信があります。あなたに関わる組織を教えてください。あらゆる手段を使ってでもボクがあなたを守りますから」
「あ、あなたは……」
ジェシカは唖然とした。
まさか、穏やかそうな少年の口から、こんな台詞が飛び出してくるとは――。
が、動揺するのも束の間。すぐに皮肉気に口元を崩して。
「見ず知らずの私のために裏の組織を一つ潰すと? 随分と剛毅なことですね」
「ええ。そうですね。自分でもそう思いますよ。だけど、ボクはボクが守りたいと思ったものは何も失いたくないんです。それに……」
コウタは『星』の輝く空を見上げた。
「それぐらい出来ないと、多分あの子は救えないから……」
「……あの子?」
首を傾げるジェシカに対し、少年は苦笑を浮かべた。
「ボクの知り合いにジェシカさんと似たような状況の女の子がいるんです。ボクは彼女を日の当たる場所に連れて行きたい」
「……それは」一拍の間を置いて、ジェシカは呟く。「その少女にとって本当に幸せなことなのでしょうか?」
ジェシカには実感があった。
確かに光には憧れる。彼女にもそういった時期があった。
だが、闇に深く関わってきた者ほど光の中では生きづらいものなのだ。
切望した表の世界にて、陽の光に身を灼かれることも珍しくない。
「……そうですね」
それに対し、コウタは神妙な表情を見せた。
「それは考えました。けど、結局それは踏み出してみないと分からないことです。まずは彼女を光の中へ。そしてもし彼女が不幸になるようだったら……」
コウタは夜空に手を伸ばして『星』を掴む。
「それはボクの我が儘のせいだ。だったらボクが彼女を幸せにします。彼女が光に灼かれるのなら遮り、闇が追ってくるのなら打ち払います。絶対に彼女を離さない。きっと、それが彼女の望む『奪う』ということだと思うから」
穏やかだが、力強い声でそう宣言した。
シン、とした空気が満ちる。
そして、
「そう、ですか……」
絞り出したような声でそう呟き、ジェシカは内心で驚愕する。
――コウタ=ヒラサカ。
優しい風貌に似合わずなんと苛烈なことか。
(しかし、すべてを呑む干さんとするこの強い意志こそが――)
我らが御子に相応しい。
強くそう思った。
「ですが、コウタさん」
ただ、そこで少しだけ皮肉を込めて返す。
「そのお話だとすでにあなたの手は埋まっているのでは? 仮にあなたが私を救ったとしても私が光に灼かれるようならばどうされるのですか?」
「それは当然、あなたの手も取りますよ」
コウタは即答した。ジェシカは再び目を丸くする。
「ボクは……」
コウタは慰霊碑を。そしてクライン村の跡地を見渡した。
「本当に何も失いたくないんです。傲慢だろうが我が儘だろうが、この手で掴んだものは絶対に離さない。リノも……あなたもです」
ジェシカは言葉もなかった。
一方、コウタは気まずげな様子でポリポリと頬をかいた。
「いや、我ながら本当に傲慢ですよね」
そこで苦笑を零し、
「けど、それでもあなたを助けたいという気持ちに偽りはありません。あなたにはもっと姉さんのことも教えて欲しいですし」
「……コウタさん」
その台詞にジェシカは脱力した。
「何ですかそれは。結局、大事なのはサクヤの方ですか。まったく。そこは『あなたに幸せになって欲しいから』ではないのですか?」
「え? あ、いや、すみません」
コウタはぺこぺこ頭を下げた。
ジェシカはそこで初めて微笑んだ。
「まあ、いいです。あなたのことは心に留めておきます。もし機会があれば……」
そして彼女は背中を向けた。
「またお会いしましょう。コウタさん」
「ええ。そうですね」
コウタも笑う。
そうして二人は、それぞれの道を進み始めた。
いずれ、再び交わるその時まで――。
………………………。
…………………。
(……やれやれ)
森の中をしばらく歩いて、ジェシカは嘆息した。
(姫さまも随分とお人が悪い)
まさか、ここで彼に遭遇するとは思ってもいなかった。
しかし、彼女の主君はこのことを想定していたような気がする。
最初からこの機会に、義弟と自分を引き合わせる気だったに違いない。
どうも以前、あの少年に対して、まるで好意を寄せているような素振りを見せてしまったことが悪かったらしい。
「私が誰かを愛することなどあり得ないというのに……」
独白しつつ、ジェシカは歩き続ける。
確かに、あの少年の強さには敬意を払っている。
あの《妖星》にも劣らない輝きにしばし魅入ってしまったのも事実だ。らしくもなく興奮してしまったことも否定しない。
しかし、それが男女としての話ならば別だった。
彼女にとって『女』であることなど標的を油断させるための道具に過ぎなかった。
十代前半から、自分はそうやって生きてきたのだ。
自分の身体を餌にして奪い続けてきた。
馬鹿な男達は、彼女の肌に触れるだけで油断してくれた。
そうして隙だらけになった喉元を切り裂くのだ。
血を浴びることに何も感じず、ただ機械的に。
あの道具を手に入れるまで、ずっとそうして仕事を続けてきたのである。
だというのに。
(あなたを守る、か)
そっと自分の胸に手を当てる。
きっと気のせいだと思うが、あの時少しだけ心臓が弾んだ気がする。
とうに冷え切っている自分の心を、ほんのわずかでも動かすとは……。
(全く恐ろしい方ですね)
ジェシカは苦笑する。
彼女は月が照らす森の中を進んだ。
「本当に」
そしてポツリと呟く。
「またお会いできる日を楽しみにしております。《悪竜の御子》さま」
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