第一章 望郷

第161話 望郷①

 人生とは出会いと別れである。

 親しき者との出会いは嬉しいものだ。

 しかし、どれほど親交を深めても時には別れもある。

 それはどうしようもないことだ。彼女もそれは分かっているはず。

 けれど、頭では理解しても感情がついていかないのだろう。

 ――その結果が、だった。


「……はあ」


 コウタは深々と嘆息した。

 年齢は十五歳。エリーズ国の騎士学校の制服を着た黒髪の少年だ。

 幼き日に故郷である村を失った彼はエリーズ国・四大公爵家の一つ、アシュレイ家にお世話になっていた。

 そして今、彼が居る場所はアシュレイ邸の別館、通称魔窟館の四階、寝室だ。

 通常の部屋よりも遙かに広い室内。書きかけの図面や、鎧機兵の腕などの部品が無造作に置かれ、中央には天蓋付きの大きな丸ベッドが配置されている。

 コウタはベッドをまじまじと見据えた。

 そこには丸く膨れあがったシーツがあった。


「……メル」


 一応声を掛けてみるがシーツは何も答えない。


「仕方がないよ」


 無駄と知りつつも語り続ける。


「ルカの帰国は家の事情なんだし。特にあの子は王女さまなんだから」


「……………」


 シーツにくるまった幼馴染は無言のままだ。


 ――ルカ=アティス。

 コウタの後輩であり、幼馴染の弟子であった少女だ。

 騎士学校に一回生として入学した彼女は家の事情により、学校を休学、遠い祖国へと帰国してしまった。それが二週間前の話だ。


 それに対し、幼馴染は相当落ち込んでしまった。

 初めての愛弟子を可愛がっていた分、消失感が大きかったのだろう。

 ここ一週間は学校にも通わず、ずっとベッドの上に居座っている。

 しかも、シーツを脱ぐのは、食事と入浴の時だけという徹底ぶりである。

 コウタも最初の頃は仕方がないと目を瞑っていたが、日々言葉数が少なくなる幼馴染にもう看過も出来なかった。なにせ最近ではたまにネコ語が出るぐらいだ。


「……メル」


 三度みたび声を掛けるが、シーツ型幼馴染は返事をくれない。

 コウタは再び嘆息する。と、


「……コウタ」


 不意に名を呼ばれてコウタは視線を自分の横に向けた。

 そこにはメイド少女がいた。

 年の頃は九歳ほど。サラリとした薄緑色の長い髪と同色の瞳。とても綺麗な顔立ちをした少女だ。頭の上には銀の冠のついたカチューシャと付け、両手には巨大な『猫じゃらし』を持っている。この日のために用意した彼女お手製のアイテムだ。


 ――アイリ=ラストン。

 この魔窟館唯一のメイドだ。コウタにとっては妹同然の少女だった。


「……とりあえず近くで仕事をしていた五機を集めてきたよ」


 と、アイリが言う。

 コウタは視線を後ろに向ける。

 後方――ドアの近くに幼児並みの背丈の鎧騎士達がいた。

 一見だけだと鎧を着た幼児。しかし彼らの正体は自律型鎧機兵だ。

 自分で考え、自分で動く。しかも片言だが彼らは喋ることさえも出来る。

 世界でも類を見ない特殊な技術。

 幼馴染が造り上げた驚異の鎧機兵達。それが魔窟館のゴーレム達だ。

 まあ、その主な役目が家事全般であることはご愛敬か。


「ありがとう。アイリ」


 礼を告げてコウタはアイリの頭をくしゃりと撫でた。

 アイリは嬉しそうに目を細めた。

 コウタは何度か彼女の頭を撫でた後、視線を再び視線をシーツに向けた。

 そこにはいまだ微動だにしないシーツ型幼馴染がいる。


「流石にそろそろどうにかしないといけないからね」


 ポツリと呟く。


「本当はしたくはないんだけど」と言い訳のような台詞を吐きつつ、「けど、これ以上は放っておけないよ。今回はネコ化までしてるみたいだし、実力行使にでるよ」


 言って、コウタはアイリとゴーレム達に手を振って合図をした。

「……マカセロ!」「……メルサマ、ホカクサクセンダ!」とゴーレム達が意気揚々と応える中、アイリの方は厳かにも見える足取りでベッドへと近付いていた。

 そしてベッドの端で一旦足を止める。

 そこで『猫じゃらし』をゆらゆらと揺らし始めた。

 しばしの沈黙。すると、ややあってシーツがもぞもぞと動き始めた。

 シーツはゆっくりとアイリに近付いていく。そして遂にシーツの中から白魚のような細い指先が出てきた。カッとゴーレム達の円らな双眸が輝く。


「……イマダ!」「……メルサマ! カクゴ!」


 途端、五機のゴーレムが一斉に跳躍する。

 狙いは彼らの創造者であり、主人でもあるシーツの捕獲だ。

 しかし――。


「――ふみゃああああああッ!」


 突如、絶叫を上げるシーツ。次いで彼女もまた跳躍した。それもアイリが目を丸くするほどの凄まじい跳躍だ。


「みゃああッ!」


 シーツは空中でゴーレムの一機を踏みつけると、二段跳躍をし、くるりと回転。シーツを纏ったまま、猫のように華麗に着地する。


「……オレヲ、フミダイニシタ!?」


 と驚愕するゴーレムを筆頭に、ベッドの上に立つゴーレム達が唖然とした。

 失礼な話だが、引きこもりゆえに鈍くさいと思っていた主人の動きがあまりにも軽やかだったからだ。が、それも束の間の話。


「……ムウ!」「……カカレ!」


 すぐさま再起動したゴーレム達がシーツに飛びかかる!

 ――が、その波状攻撃もシーツは軽やかな身のこなしでかわしていく。その光景を目の当たりにして、ゴーレム達とアイリは本当に驚いていた。


(やっぱりネコ化してたか)


 そんな中、コウタだけは嘆息する。

 アイリ達は驚いているが、コウタにとっては想定内のことだった。

 幼馴染が自堕落な生活をしているのは間違いない。

 しかし、そんな生活でも、彼女は抜群のプロポーションを維持している。

 それは糖分の多くを脳の活動に使っていることや、大きな双丘には脂肪を保管する機能があるとかいう俗説以上に、彼女の生まれ持った資質にあった。

 獣人の血を引く彼女は生まれながらにして筋肉の質が常人とは違うのだ。新陳代謝が非常に高いため、まるで太らないのである。


 そして、ひとたび本気で動けばこの通りだ。

 ましてや彼女は今ネコ化している。獣人族の能力が全開状態だった。手加減しているとはいえゴーレム達でさえ容易には捕らえられない。


 だがしかし、


「はい。そこまでだよメル」


「――みゃあッ!?」


 いかに身体能力が優れていても動きは素人だ。

 ゴーレム達に撹乱してもらえば動きを先読むするのは難しくない。

 コウタは跳躍していたシーツ型幼馴染の着地点を狙い、彼女を両腕で捕獲した。

 暴れる彼女からシーツを引っ剥がす。現れ出たのは極上の美少女だった。

 年齢はコウタと同じ十五歳。

 獣人族の証であるネコ耳に、うなじ辺りまで伸ばした紫銀色の髪。白磁のごとく透き通る肌に大きな胸やくびれた腰もいつも通り。装いもまた変わりない。何着も持つ白いブラウスと黒いタイトパンツ姿だ。

 しかし、金色の瞳だけは普段と違っていた。


「――フウウゥッ!」


 今の彼女――メルティア=アシュレイは、明確な敵意をコウタに向けていた。

 彼女がこんな突き刺すような眼差しをコウタに向けることはまずない。


(うわあ、メル、荒れてるなあ……)


 両腕を掴まれたメルティアは「ふみゃああッ!」と威嚇しながら暴れている。我を忘れるほどルカがいなくなったことがショックだったのだろう。

 ――やはりこれ以上の放置は出来ない。


「ごめんね。メル」


 そう告げるなり、コウタはポケットから小さな布袋を取り出すと、メルティアの顔付近に近付けた。


「――ッ!?」


 途端、彼女は目を剥き、全身を震わせた。

 コウタはさらに布袋を彼女に近付ける。メルティアは再び大きく震えた。次いでガクンと膝が崩れる。コウタはすぐさま彼女の腰を片手で支えた。


(今回はもう少し嗅がせた方がいいかな?)


 コウタは脱力するメルティアに布袋をもう一度だけ嗅がせた。

 彼女は大きく目を見開き、「ふみゃあ……」と一声だけ鳴いた後、静かになった。

 コウタはトロンとし始めた眼差しを見せるメルティアをまじまじと観察し、


(よし。これでもう大丈夫。すぐに眠るはず)


 ホッと息をつく。

 そして布袋をポケットにしまった。

 これぞコウタの秘密兵器――『マタタビ』である。

 要するに、いまコウタはこれを使ってメルティアを酩酊させたのだ。


(本当にごめんね。メル)


 無理やり酔っ払わせてしまった幼馴染の髪に触れ、コウタは謝罪する。

 ちなみに普段のメルティアにはこんなものは利かない。

 利くのはネコ化している時だけだった。

 獣人族の特性なのか、ネコ化が深くなるほど何故か劇的に利いてくるのだ。

 そして一度これを使えば、メルティアはすぐに酩酊する。

 その後は数秒もしない内に眠りにつき、目を覚ますとネコ化が解けていた。時間をかけずに正気へと戻すことが出来る。まさに最終手段だった。


「けど、やっぱりこれって非常手段だよね。もう少し他の手段を考えないと」


 コウタは溜息をついた。

 次いで、今にも倒れそうなメルティアを両手で支える。

 メルティアは早速眠りかけていた。すでに瞼は半分ほど閉じており、こくりこくりと船を漕いでいる。そんな彼女をコウタは愛しげに抱きあげ、ベッドに運んでいく。


「アイリ。みんな」コウタはアイリとゴーレム達に目を向けた。「しばらくしたらメルも起きると思うから、それから彼女と話をしよう」


 まずはネコ化を解くこと。すべてはそれからだ。


「……うん。分かった」


「……ラジャ」「……ウム。リョウカイ。ケド、メルサマ、イガイトスゴイ」


 と、アイリとゴーレム達が答える。

 コウタは微笑むとベッドに上がり、中央辺りでメルティアを横に寝かした。

 これで三十分もすれば正気に戻るはずだ。


(それまでは外で待つか)


 そう考え、コウタが立ち去ろうとした時だった。


「……こうたぁ」


 不意に呼び止められる。

「え?」コウタは驚いた。それはメルティアの声だったからだ。

 その場で片膝をついて幼馴染を見ると、彼女はじいっとコウタを見つめていた。


「あれ? もう目を覚ましたの? メル」


 流石に今回の覚醒は早すぎる。

 マタタビを深く嗅がせたのが返って目覚めを早くさせたのか。

 そんなことを考えていると、


「ひっく……」


 メルティアは鼻を鳴らした。


「行っちゃ嫌です。コウタまで行っちゃ嫌です」


「え?」


 唖然とするコウタ。対し、メルティアの動きは実に素早かった。

 コウタの腕を掴むなり、身体を反転。不安定な姿勢だった少年を勢いよくベッドに引きずり込むと、間髪入れずに上からのしかかってコウタの首に両腕を回す。体重と重力で豊かな双丘がコウタの胸板の上で押し潰された。


「――なっ!? ちょ、ちょっとメル!?」


 不測の事態に青ざめるコウタ。

 しかし、メルティアは聞いてくれない。


「嫌です……コウタまでいなくなったら私は……」


 そんなうわ言を繰り返し、強くしがみついてくる。


「メル!? どうしたの!? もしかしてネコ化だけ解けて酔ったままなの!?」


 コウタはますます青ざめたが、わずかでも身動きをとれば、暴虐的な圧を持つ胸が艶めかしく形を変えるため、下手に動けない。


「ア、アイリ! みんな!」


 だからこそアイリ達に助けを求めるが、


「……私は自分の立場をわきまえている」


 アイリはそう告げて微笑んだ。


「……二号さんは出しゃばらないものなの。まずは正妻からが筋だし」


「何の話をしてるのさ!? ちょっとアイリ!?」


「……オトナニナレヨ、コウタ」「……ウム! ガンバレ!」


 そう言ってゴーレム達は親指を立てた。


「ちょ、ちょっと待ってよ!? なんでみんな出て行くの!?」


 コウタは手を伸ばして叫ぶが、アイリ達はすたすたと歩いてドアを閉めてしまった。

 コウタはこれ以上なく蒼白になった。


「こうたぁ……」


 メルティアは甘えた声で鳴き、コウタに頬ずりをし始めた。

 そして潤んだ瞳で少年を見つめて告げる。


「どうか、私を愛してください」


「もちろん愛しているよ! けどそれは家族として――」


「はい。家族になりましょう」 


 メルティアはニコッと笑った。


「そして家族もいっぱい増やしましょう」


「そういう意味じゃないよ!?」


 コウタのツッコミにも酩酊しているメルティアは答えない。

 ただ、全体重を乗せて身体を預けてくる。

 すべてが柔らかい肢体と、甘い香りにコウタの顔が一気に赤くなった。


(ああ、メルってやっぱり凄く可愛い……)


 改めてそう実感する。

 コウタだって紛れもない『男』だ。もしも、この愛らしい幼馴染のすべてを手に入れられたら……と考えた日もある。

 しかし、自分にはアシュレイ家に拾われた恩義があるのだ。

 そのアシュレイ家の一人娘に手を出すなど不義理もいいところだ。

 断じてそれだけは出来ない。恩義に反する。


 けれど、目の前の彼女は途轍もなく魅力的で――。


「うわ、うわああああああッ!?」


 コウタの絶叫が寝室どころか魔窟館全体に響く。

 こうして今日もまた、理性と欲望の狭間でコウタは戦い続けるのであった。

 ……いい加減、覚悟を決めて結ばれればいいのに。

 そう思っている人間が一人や二人ではないことは言うまでもない。

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