第145話 弟子、奮闘する③
試験場は緊張感に包まれていた。
対峙するのは二機の鎧機兵。《ディノス》と《クルスス》だ。
《ディノス》は処刑刀を自然体に構え、《クルスス》は通常より遙かに長いフレイルの先端の地面に下ろしていた。
そんな二機の様子に、
「へえ。ルカ嬢。中々サマになってるじゃねえか」
ジェイクがあごに手をやって呟く。
メルティア達は今、観測所に入って模擬戦の観戦に移っていた。
「大丈夫なのでしょうか? ルカは」
常あらばコウタを応援するメルティアも、今回ばかりはルカの心配をしていた。
豊かな胸を挟み潰すように指を組み、とにかく落ちつかないのか観測所の端から端へと何度も移動を繰り返していた。
「落ち着いて下さいまし。メルティア」
そんな友人の様子にリーゼは苦笑いを見せた。
「模擬戦の相手はあのコウタさまなのですよ。ルカが怪我をすることなど万が一にもあり得ませんわ。むしろ――」
そこで少し遠い目をして、
「きっと優しくして下さいますわ。それはもう傷つけないようにとても優しく。普通の女の子ならば蕩けてしまうぐらい甘々に」
そう言うなり、頬に片手を当て「はふう……」と吐息を零すリーゼ。
メルティアはピタリと足を止めた。
「……大丈夫なのでしょうか? ルカは」
一言一句は同じなのだが、意味合いがまるで違う台詞を再度呟く。
するとアイリがくいくいとメルティアのブラウスを引っ張り、
「……大丈夫だよ。ルカは女の子でもまだまだ子供だから」
「いえ。ラストンさん。九歳のあなたがそれを言うのですか」
と、ツッコみを入れるのはシャルロットだ。
「い、いえ。私も内心では大丈夫だとは思っているのですが……」
メルティアがそうぼやいて俯く。
実のところ、メルティアもリーゼと同じ推測に辿り着いていた。
すなわち『コウタはルカの好みのタイプではない』という結論だ。
なにせ、ルカとの会話はメルティアが一番多いのだ。弟子の好みのタイプを見抜くことはそう難しくなかった。
だからこそ、ここまで早く魔窟館に招くことが決断できたのだが――。
「それでも相手はあのコウタです。油断は出来ません」
チラリとアイリを泣き出しそうな顔で一瞥し、「ううゥ、これ以上、増えられると本当に困ってしまいますから」と囁き声で本音を呟く。
リーゼも深い溜息で以て同意していた。
「……ウム。コウタダシナ」「……ヤツハキケンダ」
と、ゴーレム達が身も蓋もない意見を言う。
「はは、確かにそっち方は充分あり得そうだしな……っと、雑談はここまでだ」
その時、ジェイクが表情を真剣なものに改めて告げた。
彼の視線は、強化ガラス越しに見える
つられ、他のメンバーも視線をそちらに移す。
そこでは、いよいよ二機が動き出そうとしていた。
互いの武器の柄を強く握りしめ、間合いを計る二機。そして数秒の沈黙の後、先に動いたのは《クルスス》の方だった。
おっとりとした少女の意外な先手。
だが、それは当然の判断だった。《クルスス》が持つ武器は、中距離から遠距離にて真価を発揮するタイプだ。後手に回っては間合いを詰められてしまう。
『い、行きます!』
可憐な少女の宣言と共に、大きく腕をしならせて鉄球を撃ち出す《クルスス》。
風を切る鉄球に対し、《ディノス》は一歩斜めに踏み出すことで軌道から逃れる。
鉄球は《ディノス》の装甲すれすれに後方へと通り抜けていった。
一方、《クルスス》は動揺することなく、フレイルを持つ腕をくいっと動かした。途端、鉄球が戻ってくる。狙いは《ディノス》の後頭部だ。
だが、それも《ディノス》は読んでいた。
高速移動の闘技・《雷歩》を以て地を蹴り、横へと消えるような速度で跳躍する。鉄球は再び空を切った。
『うわ、うわわ!』
それに対し、《クルスス》――ルカは動揺した。二撃目も回避されるだろうとは予測していたが、こんな速さでかわされるとは思わなかったからだ。
(こ、これが《雷歩》……)
ごくりと喉を鳴らす。実は《黄道法》の闘技の中でも最も有名とも言える《雷歩》をルカは間近で見たことがなかった。
何故なら彼女の国は《黄道法》の練度ではとても遅れていて、驚くことに闘技の概念さえないのだ。ルカはこの国に留学して初めて闘技の存在を知ったのである。
『ひ、ひゥ!』
が、そんなことは対峙するコウタが知るはずもない。《ディノス》は残像すら残しそうな勢いで縦横無尽に《雷歩》を駆使する。ルカとしては目を回すばかりだ。
ルカはもはや防衛本能のように愛機にフレイルの鞭の部位を握らせ、身構えた。
その直後、強い衝撃がピンと張ったフレイルに叩きつけられる!
《ディノス》の斬撃が襲い掛かってきたのだ。フレイルを構えていたおかげ――実際はコウタの方があえてそこを狙ったのだが――で直撃は防げたが、《クルスス》は衝撃に圧されて大きく後退した。
――が、《ディノス》は追撃をせず、再び《雷歩》で撹乱し始める。
目で追えない速さにルカは焦りだすが、
(ダ、ダメ、ここままだと……)
震える手で操縦棍を握り直し、萎縮した気持ちを奮い立たせた。
(げ、迎撃しないと!)
出なければ、すぐさま負けてしまう。
戦闘は苦手だ。誰かを傷つけるのもしたくない。しかし、師の前で愛機の性能を何一つお披露目できずに終わるのは嫌だった。
『ク、《クルスス》!』
主人の決意に呼応して《クルスス》がフレイルで力強く地面を叩いた。
改造を施した今の愛機の恒力値は五千九百ジン。かなりの出力だ。《クルスス》はさらに数度地面を打ちつけ、土煙を舞い上げた。太陽の輝きを持つ機体を雲が覆い隠すように《クルスス》の姿が土煙に呑み込まれていく――。
(……煙幕か)
足は止めずに、コウタは神妙な面持ちで状況を見やる。
苦し紛れの煙幕とは考えない。恐らくは反撃を試みる気なのだろう。
(……よし。それなら)
コウタはあえて《ディノス》を立ち止まらせた。
そして最初の自然体の構えに戻る。
(お手並み拝見するよルカ)
静かに土煙を見据えた。
――と、その数秒後のことだった。
突如、鉄球が土煙を突き破り撃ち出される!
しかし、タイミングはともかく、ここまでは予測済みだ。
コウタの操る《ディノス》はわずかに重心をずらして鉄球を回避した――が、
――ぞわり。
「―――ッ!」
いきなり走る背中の悪寒に、コウタは咄嗟に《ディノス》を横に跳躍させた。
直後、《クルスス》の鉄球が《ディノス》がいた場所を追加した。
(……へえ。これは)
コウタはまじまじとフレイルの鉄球を見据えた。
今の攻撃には鉄球を引き戻す動作が一切なかった。まるで鉄球自体が意思でも持ったかのように《ディノス》へと襲い掛かってきたのだ。
そして今も鉄球は上空で揺らぎ、鎌首をもたげる大蛇のように《ディノス》へと攻撃の態勢を示している。土煙が晴れ、姿を現わした《クルスス》は、さしずめ大蛇使いといったところか。
(これは操作系の闘技か)
コウタは経験から、この状況の正体を看破した。
――《黄道法》の操作系闘技・《鉄球操蛇》。
それが、ルカの使っているこの闘技の名前だった。
未だ《雷歩》さえ取得できずにいるルカ。
そんな彼女が自分の未熟さを理解し、考案したのが《クルスス》のフレイルであり、この闘技だった。習い始めたばかりの未熟な《黄道法》をフォローするため、フレイルの鞭自体に恒力を通しやすくする改造を加えたのである。
結果、ルカはフレイルの操作のみならば熟練の操手に匹敵する動きが出来た。
『――い、行きます!』
と、《クルスス》を操る少女の声が届く。
それに応じて鉄球が動き出した。ググッと鞭をたわませると一瞬後、弾丸のように鉄球が突進する!
《ディノス》は後方に跳んでそれを回避するが、鉄球は動きを止めない。地面を打ち付けた後、再び鎌首をもたげて追撃をする。
《ディノス》はそれも回避する。しかし、鉄球はどこまでも食い下がる。時には直角にさえ曲がって猛攻を続けた。
(これは中々凄いな)
回避し続けながらコウタは感嘆する。
とても学生レベルの闘技とは思えない攻撃だ。ジェイクやリーゼでさえ苦戦は免れない猛攻だろう。だがしかし――。
(威力も速さもあの男ほどじゃない)
と、そんなことを考える自分に呆れ、コウタは自嘲の笑みを見せた。
忘れがたいほどの衝撃を与えてくれたあの男と出会ってから、強敵と立ち会うと何かと比較してしまう癖がついてしまっている。
まあ、それだけルカの闘技が秀逸ということなのだが、いくらなんでもあの男と比べられるのは酷すぎるだろう。
(さて、と)
いずれにせよ、いつまでもこの状況に甘んじているつもりはない。
《ディノス》は一歩強く踏み込んだ。そして横薙ぎに斬撃を繰り出す!
首を刎ねられたように鞭の部位を両断され、鉄球は宙へと飛んだ。
『えっ、あう!』
武器の先端を失い、ルカは動揺した。
その隙をコウタは見逃さなかった。即座に左腕をフレイルの鞭に伸ばして掴み取る。纏う竜頭の籠手が、まるで蛇に食らいつく竜の姿を彷彿させた。
『これで終わりだよ。身構えてルカ』
と、宣言する。
一方、ルカは『え? え?』と動揺していたが、それはすぐさま驚愕に変わった。
なにせ、いきなり《クルスス》が上空に引っ張り上げられたからだ。
咄嗟にフレイルの柄を離すことも忘れ、《クルスス》は遙か十セージルも上空に飛ばされてしまった。ルカは操縦席の中で愕然とする。そして打ち上げられたピークを過ぎ、一気に近付いてくる地面が目に入り、血の気が引いた。
このままでは地面に激突する……と、考えた訳ではない。それ以前に《ディノス》がトドメとばかりに掌底の構えを取っていたからだ。
恐らくは《黄道法》の放出系闘技・《穿風》。
あの魔竜を象った鎧機兵は、《クルスス》を撃ち落とすつもりなのだ。
「ひ、ひゥ!」
ルカは泣き出す寸前の顔で目を見開いた。
――が、容赦なく掌底は動き、《穿風》は撃ち出された!
思わずギュッと目をつぶるルカ。
しかし、一瞬、ガクンと愛機は震えたが、それ以上の衝撃はなかった。
どうやら先程の《穿風》は破壊のためではなく、一瞬だけ《クルスス》を上空に押し留める役目を果たしたようだ。
恐る恐るルカが水色の瞳を開くと、地面では《ディノス》が処刑刀を捨てて両腕を差し伸べるように広げていた。
そして、
――ガシュン、と。
驚くほど衝撃もなく、《クルスス》は《ディノス》に受け止められた。
ルカはホッとする。と、
『大丈夫? ごめん。少しやり過ぎたかな、ルカ』
『は、はい……』
魔竜のモノとは思えないとても優しい声に、ルカの鼓動は少し早くなった。
『いい? 今ゆっくり下ろすからね』
『え、あ、はい……』
なお続く穏やかな声に、ルカの鼓動はさらに早鐘を打ち続ける。
そんな中、《ディノス》は《クルスス》をズシンと地面に下ろした。
『あ、あの、コ、コウ先輩……』
そしてルカは想像を遙かに超えるほどに強かった先輩の名を呼ぶ。
すると、
『うん。本当に凄かったよルカ』
コウタは《ディノス》の中で微笑んだ。
『凄い闘技だった。君の努力が窺える技と技術だったよ』
そう褒められた途端、
(あ、あゥ……)
トクントクン、と。
今も鼓動が一気に早くなった。
しかし、緊張から来るような嫌な気分ではない。
何というか、模擬戦の後だというのに、とても心地よくて――。
(??? 何だろう? これって?)
と、ルカが自分の胸元を片手で押さえた時だった。
「――そこまでです! コウタ!」
不意に、切迫した少女の声が試験場に響いた。師の声だ。
「それ以上、ルカに近付いてはいけません!」
「ええ! その通りですわ! それ以上の接触は許しません!」
「……ルカ。危険だから早く離れて」
と、いつの間にか観測所から出てきていたメルティア、リーゼ、アイリが、それぞれ焦りを抱いた神妙な声で警告をし、
「いや、お前ら。なんだかんだでやっぱり警戒してんじゃねえか」
と、ジェイクが肩を大仰に竦めてツッコミを入れる。
「……シカタガナイ。ダッテ、コウタダ」「……ウム。コウタダカラナ」
と、ゴーレム達が悟ったような台詞を言い放った。
一方、最年長者であるシャルロットは、
「……はあ。私も早く『彼』と再会したいですね。愛しい人が近くにいなければ、こんな風に警戒することさえも出来ませんし」
と、忙しい様子の少女達の姿を横目に、誰にも聞こえない声で呟いた。
かくして危なげなく終了した模擬戦。
賑やかに騒ぐ少年少女とゴーレム達。一人だけ嘆息するメイド服の乙女。
大空に寒風が吹く。
年の暮れももうじきだ。
そしてエリーズ国騎士学校の新徒祭もまた、目の前にまで来ていた――。
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