第二章 暗雲低迷

第129話 暗雲低迷①

 白い息が、ふうと吐き出される。

 エリーズ国・王都パドロの大通りの一つ。鎧機兵がショーウインドウに展示された店舗の前で、白いダッフルコートを纏った彼女は嘆息していた。


 年の頃は十三、四ほどか。

 淡い栗色のショートヘアに、両目を覆う長い前髪の間から見せる澄んだ水色の瞳が印象的な少女だ。全体的に少し地味な雰囲気を持つが顔立ちもとても整っており、スタイルも冬用のコートの上からでも凹凸がはっきりと分かるぐらい優れている。

 穏やかな冬の景色の中にあって何とも絵になる美少女であった。


 そんな綺麗な彼女が鎧機兵の工房とはいえ店舗の前で佇んでいると、まるで初々しく想い人と待ち合わせでもしているようにも見えるのだが……。


「……騎士型の鎧機兵。名前は《オックス》。製造年月日は星霜暦1780年。主兵装は二本の長剣。全長は三・二セージル。恒力値は……」


 彼女は色恋沙汰とは縁遠いらしく、展示された鎧機兵の足下にあるスペック表を一心不乱に読み上げていた。

 そして数秒間の沈黙の後、


「凄い、です」


 再び嘆息をこぼす。


「三年前の機体でこの性能なんて。私の国とはまるで違い、ます」


 と、ショーウインドウにそっと手をつき、素直な感想を呟く。

 彼女の国の鎧機兵は最新鋭機でも五千ジンを超す機体は稀少だ。だというのにこの国の機体は五千ジン超えが当然のように溢れ返っている。

 目の前の機体は三年ほど前の売れ筋ではあるが古い機体だ。しかし、それでも四千八百ジンの高出力を有している。


「やっぱり、都会は凄い、です」


 と、田舎者丸出しの台詞を呟く少女。

 それから彼女は少しそわそわし始めた。この工房に入店したくなってきたのだ。きっとこの店舗の中にはもっと凄い鎧機兵があるはずだから。


「ど、どうしよう……」


 彼女は半年ほど前から急激に成長し始めた自分の胸に手を当てた。

 この国に来てそろそろ八ヶ月。普段はお供つきで自由な行動が制限されているが、今日は大きなイベントがあり、お供の女性は準備の対応に忙殺されていた。そのドサクサに紛れる形で、思い切って館から脱走してきたのだ。

 勿論、今日のイベントの時間までには館に戻るつもりではいるが、まだ自由な時間は残っている。ならここは念願の行動を実行すべきか? けれど一人で鎧機兵の店舗に入るにはかなり勇気がいる。少女は悩んでいた。


 が、ややあって――。


「う、うん」


 自分を奮い立たせるようにコクコクと頷く少女。

 折角ここまで来たのだ。いま入らなければ損だろう。少女は覚悟を決めた。

 そして店舗の入り口へと足を進めようとした――その時だった。


「お嬢さま」


 ――ピシリ、と。

 聞き慣れた声に硬直してしまった。

 お嬢さまと呼ばれた少女は錆び付いた鎧機兵のように首だけを動かした。


「カ、カタリナ、さん」


 そこにいたのは四十代の女性だった。

 クラシックな黒いメイド服を着込んだ彼女は、少女にとって従者であり、幼き日より礼儀作法や一般教養を教えてくれた教師であった。

 彼女――カタリナ=ワーカーは小さく嘆息した。


「まったく。館を抜け出して何をしておられるのですか。お嬢さま」


 気温より冷たい眼差しを向ける従者に、少女は「ひ、ひゥ」と頭を抱えた。


「ど、どうしてここが……?」


「何年の付き合いだと思われているのですか。機械いじりがお好きなのはよく存じております。自由になられたら必ず鎧機兵の工房に行かれると思っておりました。ならば、徒歩圏内にある店舗を当たればいいだけのことです」


 と、淡々とカタリナが語る。少女は言葉もなかった。

 完璧なまでに行動が読まれている。


「さあ、館に戻りましょう。お嬢さま」


 淡々とそう促すカタリナに対し、少女は「け、けど……」と呟いて名残惜しそうに工房へと目をやった。


「ルカ=アティスお嬢さま」


 カタリナはすうっと双眸を細めて告げる。


「ここは異国なのですよ。ご自身のお立場。そしてその家名の意味と重さは充分ご理解して頂けていますよね?」


「あ、あう。そ、それは……」


 言葉を詰まらす少女に、カタリナはかぶりを振った。


「まったく。性格そのものはまるで違うというのに、思い切った時の行動力は本当にあの子――サリアさまにそっくりですね」


 若き日に自分が教育係兼お目付役を務めた天真爛漫な少女の姿を思い出し、深々と嘆息する。市井の出である彼女にも脱走癖があり、随分と苦労させられたものだ。


(とは言え、あの子もあの方と結ばれるために努力はしていましたが……)


 カタリナは内心でふっと笑った。

 目の前の少女の教師を務めるようになってからはよくあの頃を思い出す。思い出に浸るなど自分も歳をとったのかと少し気落ちもするが、今は指導の方が重要だ。

 カタリナは改めてかつての教え子の血を受け継ぐ目の前の少女の姿を見据えた。


「見聞を広めるのも留学の目的の一つですのであまり咎めたくはありませんが、黙って抜け出すのは問題です。何より今日は優先すべきことがあるでしょう」


「は、はい……」


 しゅんと頭を垂れる少女。まるで萎縮した小動物のような様子だ。

 そんな主人を見て哀れと思ったのか、カタリナは少しだけ表情を柔らかくした。


「この工房には後で伺いましょう」


「ホ、ホント!」


 少女が表情を輝かせた。

 カタリナはふっと口元を綻ばせる。


「ただし。今日の予定が終わってからですよ」


「は、はい!」


 コクコクと頷く少女。

 やはり小動物のように愛らしい主人に、カタリナは不敬と思いつつも頭を撫でたくなったが、あまり甘やかしすぎるのは主人のためにならない。

 カタリナは冷たい表情で言葉を続ける。


「それでは館に戻りましょう。じきにお客さまもいらっしゃいます。それまではお説教ですからね」


「ひ、ひゥ、はい……」


 泣き出しそうな顔で頷く少女であった。

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