第七章 救出作戦

第80話 救出作戦①

「………はあ」


 と、コウタは両肩を落として溜息をついた。

 時刻は夜の十時半過ぎ。場所はアシュレイ邸の四階廊下。

 私服のコウタは、真直ぐ執務室に向かっていた。

 当主であるアベルに呼ばれているからだ。


「………はあァ」


 再び零れる深い溜息。

 だが、別にこれからアベルに会うのが、憂鬱などではない。

 単純に今日やってしまった大失態。すなわち『デート』でメルティアを泣かしてしまったことを後悔しているのだ。

 あの騒動の後、ゴーレム達とアイリを連れて、呼びとめるコウタから逃げるように帰ってしまったメルティア。帰宅後、魔窟館へとメルティアに会いに行ったのだが、彼女の寝室から出て来たのは、三機のゴーレムとアイリだった。


『……しばらく時間を置いた方がいいよ』


 と、呆れた口調でアイリは助言する。

 コウタは、久しぶりに門前払いされてしまった。それほどまでにメルティアを傷つけてしまったのだろう。ここ数年で最大の失敗だった。


「けど、まさか、またあの場所でリノと出会うなんて……」


 しかも、あの絶妙なタイミングでだ。

 何もあの時でなくてもいいだろうに。この世界を統べるという《夜の女神》は時々人間の運命で遊んでいるのではないかと思ってしまう。

 だが、それにしても――。


(……柔らかったなぁ……)


 思わず自分の頬を片手で触り、リノが触れた部位を意識する。

 女の子の唇が、あんなにも柔らかいものだったとは……。


(それにリノは、メルにも負けないぐらい可愛い子だしなぁ)


 と、歩きながら物想いに耽っていたコウタだったが、すぐにハッとする。

 メルティアを傷つけておいて、何て呑気なことを考えているのか!


「ああ~、ボクって奴は!」


 ボリボリと両手で頭をかき、コウタはその場に屈みこんだ。

 さっきから不抜けては自己嫌悪する連続だった。

 一向にメルティアと仲直りするアイディアが思い浮かばなかった。


「……やっぱり明日ジェイクに相談しよう……」


 結局、自分一人の力だけでは解決できそうもない。

 深々と嘆息した後、コウタは再び立ち上がった。

 いずれにせよ、今はメルティアの事は一旦忘れるしかない。

 これからコウタはアベルの元に向かうのだ。アベルが呼んでいると連絡してくれた執事長のラックスは、重要の案件と言っていた。

 具体的な内容までは伝えられてはいないが、ラックスが重要と言った以上、只事ではないのだろう。少なくとも半端な心情で聞いていい話ではないはずだ。

 コウタはパンと両手で頬を叩き、


「……よし」


 と呟いて、執務室へと足を進めた。

 そしてしばらく渡り廊下を歩くと、大きな扉の部屋に辿りついた。

 ここが目的地。アベルがよく使用する執務室だ。

 コウタはコンコンとノックする。と、室内からアベルの声で「……入っていいぞ」という許可の声が聞こえて来た。


「失礼します」


 そう返しコウタは入室する。

 そして前を見やる。室内にはいつも通り執務席に座るアベルと、両手に丸めた地図を持った状態で隣に控えるラックスの姿があった。二人ともかなり厳しい表情だ。


(これは本当に何かあったんだな)


 二人の雰囲気から緊迫度を感じ取り、改めてコウタは心を引き締める。

 それからアベルの前まで進み、


「遅くなりまして申し訳ありません。ご当主さま」


 と、アベルに謝罪する。対し、アベルは「うむ」と頷き、


「いや、私の方こそ急に呼びだしてすまなかったな。だが、どうしてもお前に協力して欲しい重要な案件があるのだ」


 と、早速本題に入る。

 アベルにしてはかなり性急だ。コウタは内心で眉を寄せた。

 険しい表情といい、これは想像以上に厄介な話なのかもしれない。


「ご当主さま。一体何があったんですか?」


 コウタもまた率直に訊いた。

 すると、アベルは「実はな」と切り出して話し始めた。


「今、このエリーズ国にはとても厄介な連中が訪れていてな」


「……厄介な連中?」


 コウタは眉をしかめた。何やらいきなりキナ臭そうだ。

 アベルの口調から国賓などではないのは分かる。

 指を組み、アベルは言葉を続ける。


「これは諜報部からの情報なのだが、現在この国には二つの犯罪組織――その幹部クラスが潜んでいるのだ」


「犯罪……組織ですか?」


 はっきりと危険な単語が出てきた。しかも二つ。その幹部クラスときた。

 コウタは表情を強張らせる。

 幹部と聞くと、どうしても一人の男を思い浮かべてしまう。

 そんな少年を一瞥しつつ、アベルは語り続ける。


「一つは《ディノ=バロウス教団》。お前も学校の講習などで、すでに習っているかもしれんが、かの《悪竜》を信奉し、暗殺や諜報を得意とする組織だ」


「……《教団》ですか。大物ですね」


 コウタは静かに拳を固めた。未だ遭遇したことはないが、故郷であるグレイシア皇国では子供でも知っているほど知名度の高い組織だ。

 アベルは「うむ、そうだな」と首肯してから、


「しかし、そちらは今、問題にしなくていい。今回は少数だったらしくすでに撤退しているようだ。問題なのはもう一つの組織であり、その名は――」


 一拍置いて、アシュレイ家の当主は告げる。


「お前も知る、あの《黒陽社》だ」


「――――なッ!」


 厳かに告げられたその名に、コウタは目を瞠った。

 まさか、その名前まで挙がろうとは……。


「こ、《黒陽社》の幹部って……まさか《九妖星》がこの国にいるんですか!」


 かの組織の中核を担う九大幹部。

 コウタと因縁のある『あの男』も、その地位に名を連れていた。

 思わずコウタは緊張する。と、アベルはかぶりを振り、


「そこまでは分からん。だが、連中はこの国で何かしらの取引をしたそうだ。ただの武器や兵器の売買かもしれんが、それでも犯罪行為。我々騎士団としては黙認できん。そこで私はスナイプス隊を派遣したのだが……」


「スナイプス隊? それってイザべラさんの……?」


 コウタは記憶を探った。

 スナイプスとは、時々会ったことのある女性騎士だ。

 まだ二十代前半という若さでアベルの懐刀的な人物であり、プライベートにおいてもアベルと親しく、コウタも何度か会ったことがある女性だった。この国の騎士のほとんどがそうなのだが、彼女はコウタの通う騎士学校の卒業生でもあり、その美麗な容姿と優秀な成績から、かなり有名な先輩でもあった。


(イザベラさんか……)


 コウタはあまり感情を見せない彼女の顔を思い浮かべる。

 彼女の実力は相当なものだと聞く。アベルに紹介された時には、若手で最も優秀だと絶賛されていたぐらいだ。

 しかし、《九妖星》の実力を鑑みると、コウタは不安を隠せなかった。

 はっきり言ってしまえば、たとえイザベラであっても……。


「ああ、お前も知るスナイプス君の部隊だ」


 と、コウタの思考を遮り、アベルは言葉を継いだ。

 それから苦渋の表情を浮かべて――。


「その部隊の……スナイプス君本人も含め、およそ半数の消息が途絶えたのだ」


「――ッ!」


 不安はやはり的中した。

 アベルの台詞に、コウタはグッと唇を噛みしめる。

 親交のある人物が消息不明になったのだ。胸中では焦りを抱く。

 すると、アベルは大きく息を吐いてさらに情報を伝える。


「スナイプス君が率いる部隊は虜囚を連行する部隊と、追撃隊の二手に分かれ、王都の郊外に逃走した敵を追っていたそうだ。しかし、そこで追撃隊だったスナイプス君達は消息を絶った……」


 そこで軍の最高責任者の一人はグッと指を組み、


「報告によると、彼らが消えたのは近くの森の一角。そこには騎士達の鎧機兵の残骸はあっても、追撃隊である十五名の遺体は一つもなかったそうだ」


「……遺体が無い?」コウタは片眉を上げた。「それはまたどうして?」


 戦闘があれば、哀しいことだが戦死者が出る可能性は高い。

 ならば、遺体があってもおかしくはないのだが……。


「コウタさま」


 その時、今まで沈黙していたラックスが声を発した。


「奴ら《黒陽社》の本質をご考慮ください。さすればおのずとスナイプスさま達の現状も把握できるでしょう」


 と、成長を促すように助言する。

 それに対し、コウタは一瞬考え、すぐに結論に至った。

 だが、同時に渋面も浮かべた。


「なるほど。人質か。そして人身売買ですね……」


「……お見事です。コウタさま」


 ラックスは次期当主となる少年に、満足げな笑みを浮かべた。が、その期待を宿した優しい眼差しには気付かず、コウタはあごに手をやって推測を続けた。


「《黒陽社》は人身売買も行う犯罪組織。イザベラさんを筆頭に騎士団には貴族が多い。イザベラさん達は安全圏まで逃げるための保険ですね。その後、エリーズに身代金を要求するか、もしくはそのまま……」


 他国で奴隷として売るか。

 そんな嫌な台詞が脳裏をよぎり、コウタはギリと歯を軋ませた。

 が、ここで憤っていても仕方がない。


「ご当主さま」


 コウタはさらに詳しい状況を尋ねることにした。


「《黒陽社》の動向は掴めているんですか? イザベラさん達の救出は?」


「ああ、それについてだが……」


 単刀直入に訊いてくる義息子に、アベルもまた要点をまとめて返した。


「スナイプス君達の救出を最優先に、四将軍全員に増援を依頼した。ほぼ全軍で奴らの逃走ルートを抑えにかかっている」


「ぜ、全軍、ですか……」


 コウタは大きく目を瞠った。想像以上に大掛かりな事態だった。


「しかしな、それでも逃走ルートが多すぎするのだ」


 が、それに対し、アベルは深々と嘆息する。


「我が国は森の国だ。その入国ルートは多数ある。奴らは比較的に少数らしく、商隊に偽装して移動されては、どのルートでも移動できる。騎士団総出でもすべてのルートは抑えきれないのが実状だ」


「…………それは」


 コウタは下唇をかんで呻いた。確かにアベルの指摘通りだ。

 恐らく奴らの捉えることが出来るかは、運次第か……。

 アベルは指にグッと力を込めて、さらに告げる。


「その上、奴らはスナイプス隊を全滅させるほどの猛者どもだ。包囲網を広げるために戦力を分散させれば簡単に突破されるのは火を見るより明らかだ。結局、ある程度有力なルートに目星をつけて配置するしかなかったのだが……」


 そこでアベルはラックスに視線を向けた。

 執事長はこくんと頷き、手に持っていた地図を執務席の上に広げた。

 コウタは地図を覗き込んだ。それはエリーズ国近隣を記した地図だった。幾つかの箇所には「×」印が記入されている。

 すると、アベルはその地図の「×」印のついていない場所を見やり、


「正直な話、候補には入っていないが、どうしても気になるルートが二つあるのだ」


 そう言って、右手の人差指で二か所を順に指差した。

 一つは、隊の移動には向かない密度の高い森。

 もう一つは、数百年前までは大河であった大きな渓谷だ。

 どちらも中型から大型魔獣の生息地で知られる危険な場所である。


「あまりにもリスクが高いルートということで候補から外されたのだが、私は思うのだ。危険だからこそ奴らはこのルートを選ぶのではないかと」


「…………」


 コウタは真剣な眼差しで地図を見据えた。

 その発想は充分あり得る。特に、もし今回、《九妖星》が同行しているのならば、多少のリスクなど度外視できるのではないかと思う。

 《妖星》の凄まじさをその身で知っているからこそ、コウタはそう強く感じた。


「ご当主さま」 


 コウタは地図から目を離し、アベルを見据えた。


「今回ボクを呼んだのは、このルートのどちらかを抑えたいということでしょうか?」


 少年の問いに対し、アベルは「うむ」と頷く。


「この二つのルートは騎士団ではなく、アシュレイ家の私設兵団を使うつもりだ。だが、現在すぐさま動かせる兵は精々二十名ほど。二手に分かれれば十名だ。それでは戦力不足は否めない。だからこそ、お前の力も借りたいのだ」


「…………」


 コウタはしばし無言になった。

 恩人に期待されるのは嬉しいが流石に緊張を隠せない。

 すっと視線を地図の上に落とす。

 なにせ、この逃走ルートのどちらかには《九妖星》がいる可能性があるのだ。

 あの黄金の鎧機兵を操る男と同格。もしくは本人がいることも考えられる。

 もし戦うとなれば、最悪の相手である。

 しかし、同時にイザベラの顔も脳裏によぎった。

 とても綺麗なのに、決して愛想がいいとは言えない女性。けれど、アベルが直属の部下に見込んだだけあって、心に秘めた優しさが感じ取れる人でもあった。

 そんなイザベラを見捨てることなど到底出来なかった。

 それに《九妖星》は恐るべき相手ではあるが、そもそも目的は救出なのだ。無理に戦闘をしなくてもいい。ならばどうにかやりようもある。

 ここは前に踏み出すべき時だった。


(……うん。やる前から怖気づいちゃダメだな)


 コウタは小さく頷き、拳をグッと握りしめた。

 そうして覚悟を決めた少年は、真直ぐな瞳でアベルを見据えて告げる。


「承知しました。ご当主さま。微力ですがボクも協力致します」


「うむ。ありがとうコウタ」


 義息子の頼もしい返答に、アベルは嬉しそうに頷く。隣に控えるラックスも孫を見るような優しい眼差しを向けつつ首肯していた。

 それからアベルは再び地図に視線を落とし、


「密林のルートは私が抑える。コウタ。お前には渓谷のルートを頼みたいのだ」


 と、真剣な面持ちで要点を告げる。


「作戦は迅速に行うつもりだ。私設兵団にもすでにこの件を連絡し、急ぎ出立の準備に入っている。今夜十二時にはここを発つ予定だ」


「……あと一時間ほどですか」


 コウタは執務室の壁に掛けてある時計に目をやり、表情を引き締める。

 時間はもうほとんどない。可能なのは一緒に出撃するチームとの顔見せぐらいで、愛機のメンテナンスなどの準備の類はほとんど出来ないだろう。

 それに対し、アベルは心底申し訳なさそうな顔を浮かべて――。


「本当にすまないな。コウタ。準備不足になるのは重々承知しているが、それほどまでに切迫した状況なのだ」


 と、謝罪する。この事態は彼にとっても想定外だった。

 無意識の内に、アベルは自分のうなじ辺りを片手で押さえる。

 戦闘民族たる獣人族の血のおかげか、こういう時の自分の直感はよく当たる。可能性がある以上、あらゆる手段を用いてでも決行しなければならない。

 さもなくば……。


「無茶を承知で頼むコウタ」


 そしてアベルは立ち上がり、深々と頭を下げて礼を尽くした。


「私は部下達を見捨てたくないのだ。どうか私に力を貸してくれ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る