第76話 黄金の死姫③

『……うふふ』


 その頃、王都パドロの中央地区にある大通りでは、メルティア=アシュレイがとてもご機嫌な様子で歩いていた。

 ズシンズシン、と巨漢の騎士姿で軽いスキップを踏んでいる。喜びのあまりの無意識の行動であるのだろうが、周囲の通行人にとってはギョッとする光景だ。


『実に素晴らしい工房でした』


 が、それには構わず、メルティアはご機嫌な声を上げた。


『あれほどの数の鎧機兵が並ぶ光景は見たことがありません。鎧機兵とはあそこまで多種多様な機体があるのですね』


 と、隣に並んで歩くコウタに言う。


「はは、そうだね」


 対し、コウタは笑みを浮かべた。

 メルティアは鎧機兵の職人としては、まごうことなき天才だ。

 果てして普通に販売されているような機体を見物に行ったところで楽しんでくれるか内心では不安だったのだが、それは杞憂のようだった。

 きっと、この無骨なヘルムの下では、彼女は笑みを浮かべている。

 コウタはそう感じていた。


(さて、と)


 それから少年は少し空を見上げた。

 空は若干茜色に染まっている。大手の工房を二、三件巡っただけで結構時間が経ってしまった。これならもっと早朝から出ても良かったかもしれない。

 ともあれ、ここからがいよいよ本番だ。

 コウタは石畳をズシンと踏みつけながら、隣に並んで歩く鋼の巨人――その中にいる幼馴染の少女を見据えて、ごくりと喉を鳴らした。

 この大通りから次の……いや、最終の目的地まで少し距離がある。


(い、いよいよだ)


 コウタは内心で強い緊張を抱いた。

 最終目的地。そこは高台にある小さな公園だった。

 今回のデート。夜にはあの場所に赴き、メルティアと――『キス』をする。

 それが、コウタの立てたプランだった。

 あの高台の公園は、ムードとひと気のなさから最適だと考えたのである。それに加え、予定外ではあったが、女の子とデートした実績もある場所だ。


「あ、あのね、メル」


 コウタはガチガチに緊張した声でメルティアに話しかける。

 今からあの場所に行く。

 そして彼女に親愛の証である『キス』をするのだ。

 結局のところ、頬か額にする予定なのだが、相手は幼馴染であっても極上の美少女。流石に緊張感を隠しきれるはずもない。


「こ、これから行きたい所があるんだ。つ、ついて来てくれるかな?」


 が、それでも勇気を振り絞り、コウタはメルティアを誘う。

 すると、メルティアも状況を察したのか、コクコクとヘルムを動かし、


『わ、分かりました。もうじき日も暮れますしね。そ、その、よろしくお願いします』


 そう言って、緊張した様子で手を差し出してくる。

 コウタは同じくらい緊張しながら、今だけはゴツイ彼女の手を取った。


「そ、それじゃあ行こうか」


 そう言って、コウタはメルティアを連れて歩き出す。

 まあ、仕方がないと言うべきか、後ろ姿を見る限りその光景は、巨大な甲冑騎士にコウタが連行されているようにしか見えなかったが。




「……どうやらコウタの奴、いよいよ行動に出たみてえだな」


 と、近くの路地で腕を組んで呟くのはジェイクだった。

 大通りに繋がる一角。店舗の角にジェイク達はいた。

 隣にはわなわなと震えるリーゼと、興味津々なアイリ。加え、零号を筆頭に、フード付きのマントを纏った三機のゴーレムの姿もある。

 ジェイクは少し空を見上げた。

 時刻はもうじき六時になる。今回の『デート』は、夕食までは予定に入れていないはずなので、コウタにとってはそろそろ頃合いなのだろう。


「コ、コウタさまは……」


 その時、リーゼがふらふらと壁に寄りかかって呟いた。


「い、一体これからどこに向かうおつもりなのでしょうか」


「……それは当然ひと気のない場所だよ」


 と、リーゼの独白に答えたのは、両膝を屈めて去っていくコウタ達の様子を見守っていたアイリだ。小さなメイドの少女は、さらに言葉を続ける。


「……あのままじゃ『キス』なんて出来ないもの。コウタはひと気のない場所でメルティアを脱がすつもりだよ」


「ぬ、脱がす!?」


 リーゼは大きく目を剥いた。

 そしてよろよろと後ずさり、絶望じみた表情を浮かべた。


 ――ま、まさか、あの二人はこのまま大人の階段を……。


 そんな考えがよぎり、リーゼの顔からみるみると血の気が引いていく。

 すると、ジェイクが半眼でパタパタと手を振る。


「いやいやいや。まあ、多分やること自体は間違ってねえだろうけど、もう少し言い方があるだろ。アイリ。お嬢が死にかけてんぞ」


「……けど、事実だよ」


 アイリが可愛らしく小首を傾げて言う。

 ジェイクは、はあっと嘆息した。

 隣に立つリーゼは今にも倒れそうだった。その彼女を「……キズハ、アサイ」「……ガンバレ、リーゼ」と声援を贈ってゴーレム達が支えている。


「しっかりしろよお嬢。いくら好きな男でも鎧と手を繋いで工房回っているだけでショックを受けるなよ。これから見るモンに比べりゃあ、それこそ前座だぞ」


「わ、分かっていますわ」


 と、リーゼが毅然に答えるが、その顔色は全く好転していない。

 もはや、つついただけで気絶しそうな表情だ。

 ジェイクは気まずげに眉根を寄せた。

 いつもの美貌が見る影もない姿を前にして、流石に可哀そうになってきたのだ。


「……もう帰るかお嬢。結果は明日オレッちが教えてやるからさ」


 そう提案するが、リーゼは片手を壁につき、「いいえ」とかぶりを振った。


「ここまで来たのです。最後まで見届けますわ」


 と、表情を引き締めて覚悟を語るリーゼ。

 結局、自分の行動に決断を下すのは本人の意思だけだ。

 ジェイクは小さく嘆息しつつも「分かったよ」と告げた。

 それから、リーゼとアイリ。少し視線を落としてゴーレム達を見やり、


「そんじゃあ、いよいよか」


 少しだけ楽しそうな顔で、ジェイクはこう宣言する。


「オレッち達もコウタ達の後を追おうぜ」




 そしてコウタとメルティア。

 少し遅れてジェイク達一行は、高台の公園に向かった。

 大通り脇にある狭い坂道を進み、途中にある階段もメルティアが踏み壊さないように気を遣いながら登った。

 そうやって辿り着いた公園にて、真っ先にメルティアは感嘆の声を上げた。


『……綺麗な景色ですね』


 すでに公園は夜を迎えていた。

 眼下の街では所々に明かりが灯り、見事な景観を創り上げている。


『こんな景色、初めて見ました』


 と、一時的にだが、緊張も忘れて素直な気持ちを零す。


「ははっ、気に入ってくれたのなら良かったよ」


 コウタは頭をかいて笑う。

 やはり彼女が喜んでくれるのが一番嬉しい。


『……コウタ』


 すると、柵に手をかけ、夜景を見つめていたメルティアが不意に振り向いた。


『今日はありがとうございます』


 そう感謝の言葉を述べてメルティアは、コウタをじっと見つめた。

 一方それに対し、コウタは「い、いや気にしないでよメル」と返すが、それ以上の言葉は続かなかった。

 しばし二人の間に沈黙が降りる。

 互いにこの場で何をするのかを察しているのだ。どうしても緊張する。

 そうして、さらに数十秒の時間が経過するのだが、


(わ、私はここでステップアップするのです)


 先に覚悟を決めたのは、意外にもメルティアの方だった。

 プシュウ……と空気が抜ける音と共に、着装型鎧機兵パワード・ゴーレムの手足に一筋の火花が走って、バカンッと解放された。続けて肩を上半身の装甲が前面に開く。

 そして蛹から蝶に変わるように。

 メルティアは、鎧から出てきて細い足を地面に下ろした。

 コウタは静かに息を呑む。

 月の輝きに照らされた彼女の紫銀の髪は、目を奪われるほど美しかった。

 そして、メルティアはゆっくりとコウタの元へ近付き、夜の公園の静寂の中で、二人はただ見つめ合う。実に良い雰囲気であった。

 一方、公園の繁みの一角でこの光景に盛り上がる一行もいた。


「(おお! こいつはもしかすると!)」


 ジェイクが興奮気味に前に乗り出すと、


「(……正面突破もアリ。頑張ってメルティア)」


 アイリがぐっと親指を立てた。


「(……サア、メルサマ。今コソ行カレルノダ)」


 と、零号が騎士のようにマントをなびかせて右腕を横に振ると、


「(……オオ、メルサマガ)」「(……メルサマ、イヨイヨオトナ)」


 横に並ぶ弟機達が、興味津々に呟く。


「(…………)」


 が、ただ一人、リーゼだけは気絶寸前だった。

 もはや止めに入る気力さえなかった。

 そして、そんな中、コウタはいよいよメルティアの肩を掴んだ。

 紫銀の髪の少女は一瞬身体を強張らせるが、覚悟を決めた眼差しで少年を見上げると、ゆっくりと金色の瞳を閉じた。

 そんな幼馴染を見つめて、コウタはわずかに手に力を込める。


(メ、メル……)


 改めて認識する。やはり彼女は凄く可愛い。

 まさに、ここからが本番だ。コウタは必死に理性を振り絞った。

 このまま暴走するのは簡単だ。

 しかし、それではメルティアを傷つけてしまう。

 ここは何としてでも、無難な頬か額に、親愛の証を――。

 と、考えた矢先のことだった。

 少年の元に『運命』が押し寄せて来たのは。



「――コウタ!」



 突然、公園に響く少女の声。


「……え?」


 聞き覚えのない声に、メルティアが目を開く。

 一方、名前を呼ばれたコウタは、ひたすら硬直していた。そしてメルティアの肩からそっと手を離し、ぶわっと顔に汗をかき始める。

 ただ名前を呼ばれただけ。明らかに過剰な反応だが、これには訳がある。

 何故ならば、この声は――。


「リ、リノ……?」


 振り向くとそこには、こないだ出会ったばかりの少女がいた。


「どうしてここに……?」


「なに。たまたま近くに寄ってのう」


 リノはそう言って、笑顔を見せてコウタに近付く。


「それよりも、こうも早く、しかも再びこの場所で会えるとはな」


 と、そこでリノはメルティアに視線を向けた。

 そして「ふむ」と首肯し、


「とは言え、喜んでばかりもおれんようじゃのう。どうやら、わらわにとって面白くない状況になっておるようじゃ」


 そう呟いて、まじまじとメルティアを凝視する。

 同じぐらいの身長に、ほぼ互角と言ってもよいプロポーション。

 それと、本物と癖毛の差はあるが、よく似たネコ耳。

 二人の少女を前にして、コウタは止まらない冷や汗をかいていた。


「…………ふむ」


 リノは見定めるように、紫銀の髪の少女を見据えていた。

 一方、メルティアは「……うう」と呻き、胸元辺りで指を組む。彼女は人見知りを発揮して少し腰が引けていた。

 メルティア=アシュレイと、リノ=エヴァンシード。

 これこそが、彼女達の初めての邂逅であった。


(やれやれじゃの)


 リノは内心で苦笑する。コウタの『天然たらし』の体質を、身をもって知っているリノにとっては、彼の近くに女がいることなど想定内だった。

 しかし、彼女はその程度のことは気にもかけていなかった。

 その女が自分の『敵』になるようならば完膚なきまでに叩き潰せばいいし、もし気が合うようならば側室として認めてやってもいい。

 要は、自分がコウタの一番であればいいのだ。

 意外とリノは寛容……と言うよりも、結構ズレた感性をしていた。


(しかし獣人族とはまた珍しいな。加え、これほどの美貌とはの。こんな娘まですでに落としておるとは、流石はコウタというべきか)


 と、やはりズレた感想を抱くが、少々面白くないのも事実だ。

 リノはあごに手を当てると、一瞬だけ考え込み、


(よし。ここは格の違いを見せておくかのう)


 と、即断しコウタに視線を向けた。


「コウタよ」


 少年の名を呼ぶ。


「な、何かな?」


 未だ挙動不審気味なコウタは、緊張した面持ちでリノに目をやった。

 対し、菫色の髪の少女は、


「一つやり忘れていたことがあっての」


 そう告げて、ごく自然な仕種でコウタの首に両手を回し、

 ――チュ、と。

 軽快かつ柔らかな音がした。


「………え」


 唖然としたコウタの声。

 唇のすぐ近くに、途轍もなく柔らかいものを押しつけられた感触がする。

 リノの顔が怖ろしく間近にある。コウタは目を見開き、


「え、ええっ!?」


 すぐに自分が少女に何をされたのかを自覚し、みるみる顔を赤くした。

 まさか、今自分はリノに――。


「ちょ、リ、リノ!?」


 コウタは菫色の髪の少女の名を叫ぶが彼女はすっと離れると、


「ふふ、これぞまさしくツバを付けたという奴じゃ」


 と、いたずら好きの笑みを見せるだけ見せて「では、さらばじゃ!」と言って背中を向けて駆け出した。

 まるで先日の再現だ。コウタは自分の頬を片手で押さえ呆然としていた。

 が、呆然としているのはコウタだけではない。近くの繁みに隠れている者達は勿論、コウタの傍らで立つ紫銀の髪の少女も同様で……。


「ふ、ふふ、ふふう……」


 不意にメルティアが俯き、震え始める。

 そして――。


「ふみゃああああああああああああ――ッ!?」


「メ、メル!?」


 いきなり絶叫した幼馴染に、目を剥いた。

 さらにメルティアは、金色の瞳に涙を溜めてコウタを睨みつけると、


「フウウゥッ!」


 ネコ耳を千切れんばかりに動かし始めた。

 続けて、両足を大きく広げて屈むと、豊かな胸をゆさりと揺らして両手の指を地面につける。まるでネコが威嚇するような姿勢だ。

 それは、幼馴染であるコウタでさえ見たことが無い構えだった。


「ふみゃあっ!? みゃあみゃあっ! ふみゃあああっ!?」


 そして人語ではない言葉を叫ぶメルティア。

 コウタは愕然とした。


「え、いや違うよ!? ボクとリノはそんなんじゃないよ!」


「みゃあ! ふみゃあっ!? フウゥ……フウゥッ!」


「いや今のは、くくく唇なんかじゃないよ! ギリギリほっぺだよ! あれはリノの、その、悪ふざけって言うか、きっと親愛の証って言うか……」


 と、コウタが言い訳じみた台詞を吐くと、


「ふみゃああ……みゃああぁ、ふみゃあああああぁぁ……」


 いよいよ感極まったのか、メルティアがボロボロと泣き始めた。

 コウタの顔から一気に血の気が引く。


「メ、メル!? 泣きながらでも、そんな過激なことを言っちゃダメだよ!?」


「いやいや何も言ってねえだろ? メル嬢、完全にネコ化してんじゃねえかよ。つうかなんでお前ら会話が成り立ってんだ?」


 と、そこで、ようやくジェイクのツッコミが入った。

 彼の隣にはあまりにもショッキングな光景だったあまり、気絶してゴーレム達に運ばれるリーゼと、呆れた様子のアイリの姿がある。


「ジェ、ジェイク!? なんでここにいるの!?」


 コウタは大きく目を剥いた。まあ、仮にもデートの最中に、いきなり友人達がぞろぞろと現れたのだ。驚かないはずもない。

 しかし、ジェイクは何も答えず、アイリは大きく溜息をついた。

 彼らはまるで兄妹のように、仕種を揃えてやれやれとかぶりを振った。


「ふみゃああああああああああああああああ―――ッ!?」


 そして高台にある小さな公園にて。

 未だネコ化したままのメルティアの絶叫が、どこまでも響くのであった。

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