第75話 黄金の死姫②

 時刻は夕方近く。わずかに茜色に変わりつつある空の下。所々にゴミが散乱し、荒廃感が漂うスラム街に激しい剣戟音が鳴り響く。

 そこは随分と寂れてはいるが、大通りの一つ。

 二人の女性騎士を従え、戦女神のごとく佇む女騎士――イザベラの視線の先では、黒服の男達と騎士団の戦闘が街角の場所を選らばず行われていた。


「う、うわあ!」「な、何だよ、おい!」


 この地区に住まう随分と薄汚れた様子の住人達が、いきなり始まった戦闘に驚愕の声と悲鳴を上げる。こんな全く無関係な喧嘩に巻き込まれては堪ったものでない。近くにいた住人達は我先にと路地裏の方へと逃げ出した。

 その様子を一瞥だけし、イザベラは再び戦場へと目をやる。

 ザッと大通りや周辺家屋の路地を見渡したところ、人数的には騎士団の方が上回っているようだ。そろそろ鎧機兵戦に移行することだろう。


「――スナイプス隊長」


 その時、イザベラに声をかける者がいた。

 まだ若い二十代前半の男性騎士。彼女の同期であり部下の一人だ。


「報告致します」


 そう言って彼は敬礼をしてから、報告を開始する。


「敵勢力の抵抗は激しく、現在戦闘は拮抗しております。目的の屋敷に到達するにはまだしばし時間がかかると思われます」


「……そうですか」


 部下の報告に、イザベラは表情を変えずにそう呟いた。

 どうやら戦況はかなり厳しいようだ。

 イザベラは部下を一瞥し、


「分かりました。あなたは引き続き斥候の任務に戻って下さい」


 と指示を出す。男性騎士は「はっ」と応え、戦場に戻って行った。

 その姿を横目で見やり、イザベラは隊長である彼女を護衛する女性騎士達に気付かれないレベルで嘆息した。


(なんてことなの! 不甲斐ない! ああ、不甲斐ない!)


 この戦闘は、彼女にとっては不本意なものだった。

 本来ならば包囲網を完全に完成させ、首領格がいると思われる屋敷に一気に襲撃をかける手はずだった。その準備も粛々と行われていた。

 しかし、愚かにも新人騎士が功を焦り、先走ってしまったのだ。

 若くして戦功を立てたイザベラの部下の中にはそういう人間が少なからずいる。立身出世を望む事を否定はしないが、このような失態をされては堪ったものではない。


(先走った者は後で必ず懲罰室へ行ってもらいますから!)


 イザベラは戦場を見据えつつ、そう心に決めた。

 なにせ、今回の作戦の失敗は上官であるアベルの失態になってしまうのだ。

 それだけは許容できない。

 あの優しくて頼りがいがあって笑顔が魅力的で出来れば時々頭を撫でて欲しいなとか思ったりして、もっと出来ることならあの逞しい両腕でギュッと抱きしめて欲しいと常々思うアベルに迷惑をかけるなど、彼女にとってはあってはいけない事なのだ。


(アベルさま。貴方のイザベラは必ずご期待に応えます!)


 イザベラは無表情のまま内心で決意する。こんなところで躓いていては、将来自分の義娘となる予定の――アベルの愛娘とのお目通りなど当分あり得ない。

 ましてや、アベルの伴侶になるなど到底叶わないだろう。

 イザベラは静かに拳を固めた。

 歳の差や、子持ちであることなど知ったことか。

 愛さえあれば問題ない。彼の娘ならば心から愛してみせる。

 幼き日に、悪漢に誘拐された彼女を救ってくれた優しい騎士。イザベラの瞳には今も昔もアベルの姿しか映っていなかった。


(私は絶対にアベルさまの妻になるんです!)


 そのためにも、自分は戦果を上げ続けて、まずは『部下』としてアベルの信頼を……そしていずれは、『女』として愛情を勝ち取らなければならないのだ。

 だが、今の戦況が芳しくないのは揺るぎない事実だ。

 初手の失態はやはり大きい。

 それでも、何かしらの戦果を上げなければならないのだが……。


「…………」


 イザベラは少し思案してから、すっと腰の短剣を抜刀した。

 護衛である女性騎士達が「た、隊長?」と呟いて目を軽く瞠る。

 対し、イザベラは彼女達に淡々と告げた。


「伝令を。標的を変更します。両組織の首領の捕縛は難しいでしょう。ここは敵陣営の捕縛を優先させます。一人でも多く捕えて下さい」


 そして自らも戦場へと歩み出した。

 女性騎士達も慌てた様子で彼女の後に続く。

 黒服達と騎士団の戦闘は、ますます苛烈になっている。

 そんな中、『氷結の騎士』はわずかに空を仰いだ。

 時刻は夕方近く。恐らくあと一時間もすれば日が沈むことだろう。

 夜の闇の中に姿を眩まされる前に、決着をつけたかった。


(アベルさま)


 そしてイザベラは、想いを寄せる男性に誓う。


(アベルさま。ああ、アベルさま……。いつまでも貴方を成り上がりなど呼ばせたくないのにこの体たらくとは。不甲斐ないイザベラをお許し下さい。ですが、せめて最低限の戦果は上げてみせます!)


 その決意を胸に、イザベラは短剣を横に薙いで名乗りを上げる。


「エリーズ国騎士団上級騎士イザベラ=スナイプス。参ります」



       ◆



「……ふむ。どうやら陽動は上手くいっているようじゃのう」


 そこはスラム街に隣接する地区。

 リノとサラの二人は極力戦闘を避け、どうにかスラム街から脱出していた。

 今立つ場所は店舗が多く並ぶ区間。閑静な雰囲気だったスラム街と違い、かなり活気づいた場所だ。少し地区が変わっただけでここまで違う。道を歩く人々は隣接したスラム街で大規模な戦闘が行われているなど夢にも思っていないだろう。

 ――いや、そもそも興味さえもないのか。


「さて。ここまで来ればまず安全じゃが……」


 と、リノは呟きながら、サラに目をやった。

 ここまでかなりの道程を走ってきたのだが、彼女は息一つ切らせていない。

 それどころか平然とした顔で、すでに一般人を装っていた。


(中々喰えん女じゃのう)


 リノは内心で舌を巻く。おっとりとした容姿なのだが、抜け目がない。やはり眼前の少女はあの《教団》の盟主だということか。

 ――と、その時だった。


「リノちゃん」


「…………は?」


 いきなりサラに愛称じみた名を呼ばれ、リノは目を丸くした。

 一方、サラはふっと苦笑のような表情を見せつつ、言葉を続ける。


「今の状況で、二つ名で呼ぶのは得策じゃないでしょう。だから名前の方で呼んでみたのだけど、まずかったかしら?」


「い、いや、まずくはないが……」


 リノは何とも言えない表情を見せた。

 正直、『リノちゃん』などと呼ばれたのは生まれて初めての経験だ。サラの言い分もよく分かるが、流石にムズ痒いような奇妙な感覚になる。


「別に呼び捨てで構わんぞ」


 と、言うが、サラはパタパタと手を振り、


「それはそれで違和感を覚えるのよ。あなた実際十四歳ぐらいでしょう?」


「……確かにわらわは十四じゃが……」


 と、眉をひそめるリノに、サラは腰に手を当てつつ大きな胸を反らして告げる。


「私はこう見えても二十三なのよ」


「は、はあ?」リノは大きく目を見開いた。「その見た目でか?」


 サラの容姿は美しいが、どう見ても十代後半。それも十六歳ぐらいにしか見えない。彼女の実年齢が二十三歳と聞いても信じる人間は少ないだろう。

 が、驚愕するリノには構わず、サラは言葉を続けた。


「ね? 私の方が一回り近く年上なのよ。だから『リノちゃん』でいいでしょう?」


「う、う~む……」


 確かにそこまで歳が離れているのなら、『ちゃん』付けもおかしくない。

 リノはまだ渋面を浮かべていたが、「あい、分かった」と承諾することにした。

 サラは満足げに首肯する。応接室での険悪な気配がうそのような笑顔だ。きっとこの《ディノ=バロウス教団》の新たなる盟主殿は、負の感情を持続させるのが苦手な人間なのかもしれない。そこには悪意の欠片もなかった。

 リノはわずかに柳眉を寄せると、


(……ふむ)


 眼前の黒髪の少女を、まじまじと見据えた。

 神秘的な黒い瞳は、リノの心に住む『あの少年』を彷彿させる。だからだろうか。何故か心が惹かれるような気がした。何とも不思議な魅力を持つ女性である。


「まぁよいか。ところで、わらわの方はお主を何と呼べばよいのじゃ?」


 と、リノが尋ねる。彼女は盟主の名を知らなかった。

 それに対し、黒髪の少女は気軽に答える。


「ああ、それなら『サラ』でいいわ。この国ではその名で通すことにしたから」


「了解した。さて」


 そう言って、リノは表情を改める。

 兎にも角にも、ここはまだスラム街に近い。

 早めに移動するのが得策だ。とは言え、露骨に走るのもよくない。

 二人はゆっくりと大通りを歩き始めた。

 しかし、リノにしろサラにしろ共に目を惹く美少女。ただ並んで歩くだけで、どうしても注目を集めてしまうのは仕方がないことか。


「下手に警戒するのは逆効果じゃな。盟主――いやサラ殿」


 リノはふっと笑って、隣を歩くサラに言った。


「ここは堂々と散策を装いながら、街の外まで参るとするかの」

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