第62話 引きこもり娘、再び②

 月明かりも差し込まない暗い森の中を、コウタは一人黙々と歩いていた。

 しかし、別に彼は郊外に出た訳ではない。それどころか、ここはまだアシュレイ家の敷地内。意外なことに、庭園の一角なのである。


 アシュレイ家の庭園は、一流の庭師達に日々剪定される広大かつ美しい庭だ。

 が、そんな中で唯一ほとんど手を加えられていないのが、この暗くて深い森だった。

 その不気味ささえも漂う大きな木々に囲まれた森の道を真直ぐ進んだところに、コウタが目指す目的地である――通称『魔窟館』があるのだ。

 そして、そこに住まう少女こそが、彼の大切なお嬢さまであって……。


「…………はあ」


 そこで、コウタは深々と溜息をついた。

 それから少し天を仰ぎ、困り果てた表情を見せる。


(まさか、メルが再び引きこもるなんて……)


 正直、こんな事態になるとは思ってもいなかった。

 学校にも少しは慣れ、少ないながらも心を許せる友人も出来た。

 にも拘らず、夏期休暇明けからすでに二週間も経ったというのに、一度さえも騎士学校に行こうとしないとは――。


「……メルゥ……」


 コウタは苦虫を噛み潰したような顔で、幼馴染の名を呟いた。

 彼にとって、メルティアは命の恩人であるアシュレイ家のお嬢さまであると同時に、幼い頃から兄妹のように育った大切な少女でもあった。

 当然、彼女が引きこもれば、使用人であろうとなかろうと心配する。


(けど、今回は一体何が原因なんだろう……)


 そんなことを思案しながら、コウタは木々に囲まれた道を進む。

 と、ややあって、森の中に大きな広場が見えて来た。

 中央に鎮座するのは、四階建の大きな屋敷だった。

 アシュレイ家に相応しい豪勢な造りの建造物。しかし壁の一部に樹のつたも絡みついており、完全に廃屋にしか見えない景観の館だった。


 この館こそが――『魔窟館』。

 住んでいるは主人であるメルティアと、使用人である少女の二人だけというメルティア専用の館だった。


「……さて。いよいよか」


 コウタは真剣な面持ちで屋敷に近付くと、腰の白布ケープから金の鍵を取り出した。

 アシュレイ家においても所有者が限られている魔窟館の鍵だ。コウタはガチャリと鍵を外し、重厚なドアを開けた。

 そして随分と本などで散らかった広いホールに入ると、真直ぐ四階の奥にある寝室に向かった。ここ最近、彼女はそこにいることが多いからだ。

 しかし、そもそもこの魔窟館は広い。別の部屋にいることもある。


「メル~、アイリ~、どこにいるの~」


 コウタは廊下を進みながら、この館の住人の名を呼び続けた。

 だが、主人である少女も、使用人である少女――アイリ=ラストンも姿を見せない。

 もしかすると、二人とも寝室にいるかもしれない。

 あの二人は仲がいい。特に、メルティアはまだ幼い少女であるアイリを実の妹のように溺愛している。二人して寝室のベッドの上で寝ていることもたまにあった。

 ともあれ、コウタは当初の予定通り、寝室に向かった。


 そうして手摺を掴みながら四階へと続く階段を昇り切ったところで、コウタは初めてこの屋敷の住人と出会った。


 身長はおよそ幼児程度。全身には紫色の甲冑を纏い、背中には短い尾が生えている。丸みを帯びたその姿は一見するとぬいぐるみか、もしくは玩具の騎士にも見えるが、その体はすべて鋼鉄で出来ている重量級の存在だ。


 椅子に乗って、廊下の窓を拭くその人外の名前は『ゴーレム』。

 メルティアが製作した自律型鎧機兵の――その一機だった。


 よく見れば、窓を拭くのは一機だけでない。四階の廊下には十機ほどが並んで拭いていた。中には肘関節が外れて、ワイヤーで繋がった両腕が椅子でも届かない場所を拭くといったことまでしている機体がいる。メルティアが追加した新機能だろうか。

 いずれにせよ、かなりシュールな光景だった。


「え、えっと、メルは寝室かな?」


 とりあえずコウタは、一番近くのゴーレムにメルティアの居場所を訊いた。

 すると、そのゴーレムは首を振り向かせて、


「……シンシツニ、イル」


 そう答えた。どうやらコウタの推測は当たりのようだ。

 コウタは「ありがとう」と感謝を告げると、窓を拭くゴーレム達の横を通り抜け、廊下の奥にある寝室に向かった。

 そして、すべての部屋においても一番重厚そうな扉の前に辿り着く。

 ここがメルティアの寝室だった。


「メル。入るよ」


 ノックと同時にそう声をかけるコウタ。

 すると一拍の間を置いて「……どうぞ」という可憐な声が返って来た。

 メルティアの声ではない。もう一人の少女の声だ。何はともあれ、許可は貰ったのでコウタは「じゃあ、入るね」と言ってドアを開けた。

 続けて、おもむろに寝室に入る。

 その部屋は、とても広かった。

 五十人ぐらいは入れそうな部屋であり、今は大量の本や図面の山を整理するゴーレム達の姿もある。部屋の端の方には現在休憩中なのか、巨大な鉄製の土管のようなものに屯している機体達もいた

 コウタは彼らの姿を一瞥してから、部屋の中央に視線を向けた。

 そこにあるのは、天蓋付きの宮殿のような丸いベッド。周辺に工具が散らばるその巨大なベッドの前で胡坐をかいている少女こそが、メルティアだった。

 うなじ辺りまである紫銀色の髪に、獣人族の血を引く証であるネコ耳。白いブラウスと黒いタイトパンツを纏う肢体は、抜群のプロポーションを持ち、その肌は白磁のように透き通っている。誰もが羨むような容姿に恵まれた少女。

 そして今、彼女の綺麗な顔立ちは真剣そのものであり、普段は若干眠たそうな金色の瞳は爛々と輝いていた。


「…………メル?」


 コウタは首を傾げた。

 いつもなら、真っ先にコウタの来訪を歓迎する少女が、今は見向きもせずに作業に専念している。ベッドの前で座り込み、黙々と一機のゴーレムを調整していた。

 胸部装甲を横開きに開放し、その内部に細い指先を伸ばしている。

 カチャカチャ、と何かをいじる音だけが部屋に響いていた。


「メル? 何をしているの?」


 というコウタの質問に、


「……ゴーレムの追加装甲だよ」


 そう答えたのは、入室を許可してくれた少女だった。

 コウタはそちらの方に目をやる。その少女はベッドの端に座っていた。

 年の頃は八歳ほど。整った顔立ちと、薄い緑色の瞳を持ち、腰まで伸ばした同色の流れるような髪が印象的な少女だ。

 アイリ=ラストン。頭に銀色の小さな王冠付きカチューシャ。そして黒と白で彩られたメイド服を纏う彼女はこの館唯一の使用人だった。


「こんばんは、アイリ」


 コウタは少女にそう挨拶をした後、


「それにしても、ゴーレムの追加装甲って?」


 アイリが告げた台詞を小さな声で反芻しつつ、コウタは、メルティアの前に鎮座するゴーレムに改めて視線を向けた。

 確かに言われてみれば、メルティアが調整中のゴーレムは、他の機体とかなり姿が違っていた。全体的に丸みを帯びたゴーレム達なのだが、その機体はさらに丸い……と言うよりもフォルムそのものが球体に近かった。

 全身の装甲は分厚く、所々に何故か細い穴が空いている。両腕の手甲は通常よりも二倍ぐらいは巨大だった。ヘルムは肩の装甲と一体化しており、その姿は深々とフードを被っているようにも見える。外部装甲のため、尾も鎧の内部に隠れていた。

 見た目はまるでボール。丸くなる前の甲殻獣のような姿だった。


「メル。これって何さ?」


 と、コウタが、メルティアの頭の上から覗き込みつつ尋ねたら、


「え? コウタ?」


 いきなり現れたコウタの存在に、メルティアが目を丸くした。

 どうやら作業に夢中で、彼の入室にさえ気付いていなかったらしい。

 しかし、すぐにふふっと笑みを零して――。


「よくぞ訊いてくれました」


 そう嘯き、ガシャンとゴーレムの胸部を閉め、メルティアはゆっくりと立ちあがった。

 続けて、豊かな胸を誇らしげに反らして言葉を続ける。


「これこそが、私が開発したゴーレム専用追加装甲。作品ナンバー467。名称は《アクティブ・アーマー》です」


「……デデーン」


 言って、両手を上げるのはその装甲を纏うゴーレムだ。

 顔さえも完全に覆う《アクティブ・アーマー》の奥では円らな瞳が輝いていた。

「……アイム、アクティブ」とゴーレムが呟き、「……おお~」とアイリがパチパチと手を叩くが、コウタの反応はかなり微妙だった。


「いや、あのさメル」


 頬をポリポリとかきつつ、眉根を寄せる。メルティアが造ったゴーレム達は、元々は炊事洗濯を担う家庭用鎧機兵だ。武装などさせてどうする気なのだろうか。


「アクティブって割には随分と重装甲で動きにくそうだけど、まあ、それはともかくどうしてまたゴーレムの強化なんてしているの?」


 と、率直に訊くと、メルティアはふふんと鼻を鳴らした。


「ここ最近は荒事が多かったですし。私も身辺の強化を図ろうと思ったのです」


 そこでメルティアは再度、大きな胸をたゆんっと揺らした。


「今はまだ一機分しかありませんが、最終的には量産する予定です」


「い、いや、量産って……」


 コウタは頬を引きつらせた。これでは魔窟館が完全に要塞化してしまう。そうなってくると、ますます彼女は引きこもるような気がして仕方がない。

 これは早めに手を打たなければならないようだ。


「メル……」


 コウタは真剣な眼差しで少女の名を呼んだ。

 そして、メルティアの細い肩をガシッと掴み、


「少し大事な話があるんだけど、いいかな」


 少年の真剣な様子に、メルティアは反射的に緊張した。


「だ、大事な話ですか……?」


 そう尋ねると、コウタはこくんと頷く。


「うん。メルの将来に関する大事な話なんだ」


「私の……将来の話?」


 そんなことを告げられ、メルティアは眉をひそめた――が、すぐにハッとする。

 彼女の将来。その単語から連想する事柄は一つだけだった。


(ま、まさか、お父さまがいよいよ決断を……)


 心臓が、ドクンと跳ね上がる。

 以前、執事長ラックスからその話を聞かされていたが、遂にコウタの口から告げられるのか。

 彼女の将来――すなわち、コウタとの結婚の話を。


(~~~~ッッ)


 メルティアは期待感から、ピコピコッとネコ耳を激しく動かした。

 思わず両手を固めて、まるで祈るように胸元をキュッと抑える。胸の奥の鼓動が、激しく高鳴るのがはっきりと分かった。

 しばし深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる少女。それから十数秒後、彼女は勇気を振り絞り「は、はい。聞かせて下さい」と少年に答えた。


「うん。分かったよ。メル」


 コウタは静かに頷き、語り出した。

 しかし、彼の話が進むにつれて、メルティアの期待と覚悟が裏切られる。

 彼女の表情は、どんどん険しくなっていった。

 そしておよそ十分後、


「…………はあ」


 零れ落ちる深い溜息。

 がっかりした表情の少女が、その場にいたのは言うまでもなかった。

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