13 軍議


「その繰り言、あと何度ほどつづきましょうや?」



 それが自分にむけられた言葉と気づき、水戸老公は唖然茫然。

 今までこんな風に話をさえぎられたことなどなかったようだ。


「二度もうかがえば充分にございます」


 もう二回以上ループしてるけどな。


「さて、ほかの方々におかれましては、とくに新しきご意見もござらぬのであらば、このまま水戸さまご提案の攘夷戦軍議に入ろうではありませぬか」


 口を半開きにしたまま固まる井伊。


「おお、肥後守、わかってくれたか!」


 ムッとした表情から一転、顔をほころばせる斉昭公。


「それでこそ御家門中最強の武威をほこる会津松平家の当主じゃっ!」



 聞くところによると会津藩は、藩祖保科正之以来一貫して武断の士風を保ちつづけている稀有な集団なんだとか。


 去年、惰弱になった幕臣たちに喝を入れるため、幕府は会津藩に命じて、駒場野で軍事演習を開催。

 千人を超す藩士が藩主容保指揮のもと、一糸乱れず行軍・実演するさまは、さながら武士のあるべき姿を示す一大ページェント。

 それを老中以下の幕臣たちが見学したらしい。


 思いがけず徳川最強アーミーが攘夷を支持したことで、がぜん勢いづく水戸老公。



(……ふふ、甘いな、ジジイ……)


「攘夷と決すれば、具体的にどう戦うおつもりか、腹案をお聞きしたい」


 味方のフリから、あざやかに手のひら返し。


 切れ長の瞳でジジイをがっちりとらえ、詰問。


「先鋒は尾張・水戸ご両家でよいとして、兵と火器弾薬、船はいかほど用意できますか?」


 うるわしい顔に悪魔の笑みをうかべ、なぶりあげる。


「その折、前中納言さまはじめ、尾張水戸ご両家当主には陣頭に立って全軍を率いていただきます」


「な、なにを申すか!」


 色をなしてどなるジジイ。


「なぜ、徳川御三家の尾張と水戸が陣頭に立たねばならぬ!?」


「……おや?」


 赤鬼もどきの斉昭とは対照的に、容さんはたんたんと言葉をつむぎつづける。


「さきほど前中納言さまは『国中の侍が討死しても戦う』と仰せになられましたが?」


「さ、さよう」


 しぶしぶ認めた。



 認めたね? 

 認めたよね?


 はい、言質とったー!



「では遅かれ早かれ、みな死ぬる定め。ならば、まず戦を言いだした方々が先陣をつとめるがものの道理」


 オッサンたちからどよめきがわき起る。


「勇ましいのはお言葉だけ。本心は安全な場所から他の者に下知なさろうなどとの卑怯なお考え、神君家康公の末裔ならばよもやお持ちではありますまい?

 不幸にもご両家が玉砕なされましょうとも、その見事なご最期は後世まで長く語り伝えられるものと存じまする。まさに武門の鑑っっ!」



 一気に凍りつく空気。



「では、攘夷戦の詳細を承りましょう」


 ジジイは酸欠の金魚のようにパクパク。


「七隻の黒船に対し、どのような戦法で、どの武器を使い、兵はどう動かすのでございますか?」



 どんな策もないのは承知のうえ。

 イデオロギーだけのノープラン。

 具体案も軍略もあるわけがない。


 わかってて質問したのはこいつらにイヤミのひとつも言ってやりたかったからだ。



 ―― 溜間、消音 ――



 老中席の端。松平ズが小さくガッツポーズしたように見えたのは、俺の錯覚か?



 長い沈黙。誰もが息をひそめていた。



「しばし休息といたしましょう」


 老中首座のひとことが重い空気を破った。


 水戸さま御一行は勢いよく立ちあがり、怒りマックスのごようすで部屋から出ていった。


 ほかの諸侯もホットスポットを避けるように、こそこそ廊下に逃げていく。


 老中四人と常溜三家以外は。



「わたくし、なにか失礼なことを申しあげましたか?」


 老中たちにわざとらしく聞いてみる。


「いや。至極まっとうなご質問かと」


 まじめくさった顔で伊賀守のほうの松平(忠優)が答える。


「いかにも」


 となりの和泉守の松平(乗全)も大きくうなずき、


「戦うと仰せになるなら、具体的な戦術をお示しになるは当然のことにございます」


 老中首座の阿部と牧野じいちゃんはただ苦笑をうかべるのみ。



 ところが、背後に思わぬ伏兵が。


「どうなされたのだ!?」


 井伊掃部頭直弼、超不機嫌。


「いつもの容保殿らしゅうもない!」


「さよう。目上の者に対してあのような物言い。感心せぬな」


 讃岐守の松平(頼胤)さんもきびしく指摘。


 オッサンたちは若い会津侯の前に座を移動し、説教開始の態勢。



「そこまでおっしゃられずとも」


 上田侯(松平伊賀守)が助け舟をだそうとした。


「肥後守の言には理がございますぞ」


「「口出し無用!」」


 井伊と讃岐守、完全にハモっていた。


「われらは先代会津侯よりご嫡男容保殿の後見を託されておる、いわば親代わり。容保殿を正しき方へ導かねばならぬのじゃっ!」


 松平頼胤はぴしゃりと言い放つ。


「殿中における作法、譜代大名としての心得、すべてわれら常溜二家が責任をもってお教えいたす。ご老中にはかかわりなきことでござるっっ!!」


 井伊の強い語気に圧倒される四老中。



 常溜は、溜間という譜代大名最高席がつねに用意されるエリート中のエリート。


 これに指定されているのは三家のみ。


 譜代のトップ、近江彦根藩井伊家


 藩祖が水戸黄門の兄・讃岐高松藩松平家


 そして、二代将軍秀忠男系の陸奥会津藩松平家



 四人の老中は顔を見あわせ、鼻白んだように退席。



 ……ぅぅっ。


 一対二――まさにアウェイ!


 生活指導室に呼ばれ、教師二人がかりでぎゅうぎゅうにしぼられてる感じだ。



「本復しておらぬ容保殿に『早く登城せよ』などと無理な催促をして申しわけなかった。水戸老公に抗するため、溜詰としてひとりでも多くの賛同者が必要だったのだが」


 井伊の赤ら顔に怒りがプラスされ、いまや赤さび色に変色。


(オッサン、あんまり興奮すると身体によくないよ。とくに冬場は……)


 突然死の危険性をひそかに気づかってやってるとも知らず、説教はクレッシェンド状態。


「御三家の尾張さま水戸さまが玉砕などと、戯言としても度がすぎようっ! 亡き父君がお聞きになられたら、きっとお嘆きになるはずっっ!!」



 えぇぇー???


 なんでだよーっっ!!!


 そりゃ、俺もイラッとしたからだけど、基本はあんたを援護したつもりなんだけどねっ!



「われら常溜は譜代の範とならねばならぬ」


 讃岐守は、しずかな口調でこんこんと諭す。


「御親藩譜代は徳川将軍家をお守りするのが務め。その大事なお血筋に万が一のことがあってはならぬ。命にかえても御三家を守り抜く覚悟を持たずしていかがいたすのか?」



 うわ……うぜっ。



 俺的には反論したいことだらけなのに、容さんの身体はそれにまったく反応してくれない。


 視線をななめ下方四十五度に落としたまま、オッサンどもの小言にこくりこくりとうなずき、


「申しわけございませぬ」「以後気をつけまする」と機械的につぶやくだけ。


 ふたりに対するこの従順な態度は、どうやら容さんの細胞にしみこんだ条件反射らしい。



 なさけねーぞ、容さんっ!



 かなり濃密な説教タイム。


 体内時計で十五分はすぎたと思われるころ。



「……しかし」


 讃岐守はおだやかな微笑とともに、井伊をかえりみた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る