1  本大会への切符

 

 ………?………



 目を開けると、うす暗い空間がひろがっていた。


 ぼんやりしていた目の焦点が徐々に合いはじめる。


 頭上には何種類もの花。

 梅・菖蒲・撫子・桔梗・橘・萩・菊。


 板に描かれた日本画調の絵――天井画らしい。


 天井にはりめぐらされた黒い格子の枠にはめられている数十の板絵。



 横をむくと畳敷きの床が見えた。


 視線の低さから、いま寝ているのはベッドではなく……布団。



 畳?


 布団?


 …………旅館???



 まったく心あたりがない。



 おぼえているのは、大手門交差点で内堀通りをわたったところまで。


 読売新聞社でたっぷり感傷にひたってから、傍の将門塚で合格祈願。


 首塚を出、なんとなく歩道をぶらりぶらり。


 自然と明るい方に足がむく。


 行く手には白い壁と石垣、海松色みるいろの濠。



 視界いっぱいにひろがる近世の城。



 二世紀半以上にわたりこの国の中枢だった場所。




 ――江戸城――




 そのハンパない威圧感に全思考停止。



 ふらふらと青信号をわたり、濠端を南進。



 直後。


 強烈な寒気。


 ガリガリ君百本を背筋に押しあてられたような、ハイパー級の悪寒。


 鼻の奥に鉄の刺激臭。



 しだいに小さくなる周囲の喧騒。



 そのあと……意識が…………。




 皇居東御苑大手門前には守衛所があった。


 皇居近くは巡回の警察官も多い場所。


 そこで急病人が出れば、守衛や警察官がすみやかに119通報してくれるはず。



 だとしたら……都心の救急救命室ERが、純和風なわけない!



 じゃあ、ここは?



 不安がふくらんでくる。



 も、もしや? 拉致られた……?



 いやいやいや、そりゃないだろ。


 女ならともかく、なんで俺なんかを?




「お気がつかれましたか?」


 声とともにあらわれた男。


 スキンヘッド・着物姿のオッサンが布団横に正座し、こっちを見おろしていた。




 ……だ……誰?



 聞こうとしたとき、


「殿!」


 悲鳴にも似た叫び。


 逆サイドに、二人目出現。



 ……………。



 センター部ハゲ正統派ちょんまげヘアの、オッサンというより後期高齢者が全力ですがりついてきた。



 ……ぇっと……なんの冗談……っすか?


 それとも仮装大会かなんか?



 ツッコミたくなったが目がめちゃくちゃ真剣。ガチで怖い。



 げげっ。


 いわゆる…………イッちゃってる人……っ!?



 自己防衛本能が退去勧告を発令する。



 でも、動けない。


 全身土嚢にでもなったようにずしりと重い。


 まぶたを開けているのもやっと。



「………誰っすか?」



 勇気をふりしぼって言いかけたとき、





山川兵衛重栄やまかわひょうえしげひさ・江戸家老》


 ジジイの胸元に一瞬、字幕が見えた。


 まるで、テレビや映画のテロップのように。



「……山川?」


「おお、おわかりになりますか?」


 おわかりになったわけではなく、見えたテロップを反芻しただけなんだが。



 ところが、ジイサン大喜び。


「安堵いたしました。お世継ぎなきまま殿に万一のことあらば……このじいは……じいは……」


 意味不明なことを口ばしり、はげしく泣く。



 頭の中真っ白。



 スキンヘッドは、俺の左手をかるくつかんで脈を取りはじめる。



 ――医者なのか?



 自然とそちらに視線をうつす。


 今度はテロップが出ない。



 ――???



 ずっと坊主を凝視していると、ジイサンが、


「この者は、イイさまがお手配くだされた御殿医にございます」



 イイさま?


 井伊さま?



「井伊さまは殿の御身をことのほかお案じになられ、家伝の薬までくださいました」


 よくわかんないけど、イイっていう人が医者や薬を差し入れてくれた良い人ってこと?


 ……で?


 殿って誰よ?


 ……だれ?


 …………ま、まさか?


 俺ーーーぇぇぇっ!?



 ジイサンの照準、完璧に俺に固定。



 もしかして、人ちがいしてんの?


 それで拉致られたの?


 しかも…………殿とか、普通じゃねーこと言ってるし。



 やばい、ヤバい、ヤバイ!


 さっさと帰らなきゃ。


 あさってはセンター試験だし!


 ああ、寄り道なんかしないで、おやじの社宅にまっすぐ行きゃーよかった。



 くそっ。


 とりあえず、現在地を確認しとくか。



「ここ、どこですか?」


 そう言ったはず。


 でも、聞こえてきた音声は、


「ここはどこじゃ?」



 えっ!?


「じゃ」って、なに?


 だれが言ったの?


 タイミング的には俺だけど……そんなこと言ってねーし。


 しかも、俺の声じゃねーし!



「和田倉の上屋敷にございます」


 わが子を見るようなやさしい目つき。


「下城の駕籠の中で意識を失われ、三日三晩昏睡しておいでにございました」



 カミヤシキィ?



 今までの人生で聞いたことのない単語。


 だが、なぜか頭の中では『上屋敷』と漢字変換されてる。



 三日三晩?


 三日…………三晩……。


 ………………。



 ねぇ……、センター試験……は?



 東京にきたのって、試験二日前……だよな?



 三日後ってことは………終わって……る?




 えーーーーーーー!?




 急に脈が速くなったせいか、坊主があわてる。


「お身体に障ります! お静まりください!」



 いやいやいやいや。


 落ちつけって言われても……無理だろーっ!?



 意識不明 → センター試験欠席 → はい終了!


「マークシートなら楽勝じゃん」と甘く考え、記述式対策は全然やってこなかったのに。


 今から三教科一夜漬けすれば、一般入試でなんとかなるのか?


 こりゃ相当マズイって!


 帰んなきゃ!


 重い体をおこそうとした。



 なんだか不思議な感覚。


 まるで…………頭のてっぺんから手足の指先にいたるまで、薄いダイビングスーツを一枚着ているような……?


 自分の体なのにすんごい違和感。



 ひじをついて上半身をおこす。


 ジイサンたちは「ご無理をなさいますな!」と大さわぎ。



 冗談じゃねー!


 こっちは人生かかってんだ。おまえらにつきあってるヒマなんかねーんだよっ!



 顔の両側にほつれた髪が落ちてくる。



 …………あ、あれ?


 なんか、長くないか?



 両頬にふれる数本の髪は肩までたれさがっている。


 ふと頭に手をやると、中央部分に毛が…………………ない。



 はぁ!?


 な、な、な、なんでー?



 半狂乱。


 頭をなでまわす。



 すると、前頭部から後頭部にかけてはスポーツ刈り。


 反対に、その両側の毛は肩をこす超ロン毛。



 意味わかんねーーーっ!



 思考回路ぐちゃぐちゃ。



 なにかされたわけ?



 て、てめーらーっっ! ざけんなっ!


 俺が意識失ってるあいだ、好き勝手おもちゃにしやがって!



 許せん!


 ぶっ殺す!!!




 たぎる殺意とともに立ちあがる。

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